時を過ごす

責任ある関係性になることは、失う怖さとセット販売で、もう2度とごめんだとも思う。
結局誰と居ても誰とも、合わない。そりゃそうなんだよ、他人なんだから。

合わなさを、どうしたら受け入れられるか自分でもわからないし、受け入れなくてもイイのかもしれないけど、合わないな、と思った瞬間に諦めて閉ざしてしまうほうがよっぽど楽だとも思う。

やっぱり、血の繋がりがないと、家族にはなれないんじゃないかなぁ?
なんか、夫とか妻とか父とか母とか、肩書き?に縛られたくないとすごく思う。
苗字も変えたくない、苗字を変えることは相手の家の中に入ること・所有物と誤認されがちで、私はどこにも入りたくないし、入ったとも思われたくもない。誰のものにもなりたくないし、なったと思われたくもない。私は私のままでいたい。
パートナーっていう響きはとても素敵だと思う。
でも家族になるって、肩書きを得ることなんじゃないのかなぁ?

私は属したくないし、自立したいし、〇〇だからこうすべきとか言われたくない。
でも、少しだけ誰かに甘える権利は欲しいなぁ、とは思う。

そもそも結婚って無理な制度ではないか?
なぜ一人の人間と生活を共にしつつ、必要に応じて子育てを共に行い、財産も共有して、性欲もその人以外に抱いてはならず、時には日本の男尊女卑文化の中で家事を多めに担いつつ金銭は平等に稼ぎ、美しく女性らしくあらねばならず、しかしながら相手が古く汚くなっていくことは受け入れねばならず、とにかくなんで一人で全てをまかなわねばならないんだ?
そんな全部がぴったり合うわけないし、土台無理な話では?

なんかこうだからこそ、子供という相手よりも?大切な共通の存在があって初めて永遠の関係が築けるんじゃないのかな?
2人だけでお互いを永遠に大切にし続けるのは、結局相手より自分を大切にしたくなるから、成立しにくいんじゃないか?

なんだか、自分を大切にすることに必死で、誰も大切にしてくれないんだから全力で自分を大切にしたいし、それを阻害しようする他人なんて、怖くて一緒にいられない。

人と一緒に過ごす素敵さや温かさは、知ってる。でもなんか自分の身を守るために、一人で居たいと思う気持ちも同じようにある。

自分を大切にすることと相手を大切にすることがバランス良くできれば幸せなのにね。必要以上に拒絶したり、必要以上に自己犠牲してしまったり、うまいこと生きるのはまだ私には難しい。

甘えたり頼ったり甘えられたり頼られたり、その経験値が圧倒的に少ないんだろうね。

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