かごめ かごめ

野菜ジュースを飲めるようになりたい。別に野菜ジュースは飲めるんだけど、野菜ジュースを飲むような生活ができるようになりたいという意味。ミキサーで自作はやりすぎだから、近くのスーパーで、一番安いやつでいいから買おうという暮らし。

父が死んだ。普段は静かなのに、お酒を飲むとよく喋る男だった。だから私はお酒が嫌い。お酒は生活に影が顔をのぞかせる契機であり、アルコールの匂いで父の赤く火照った顔を、私が嫌いだった粘度のある哀愁の顔を思い出してしまう。

父はお酒を飲むとたまに暴力を振るった。暴力を振るった後は決まって、母と私を無言で見た。無表情だったが、そうしないと何かが溢れてしまうというような気持ちの悪い、弱い表情だった。しかし何度も死ねばいいのにと思ったけど、本気で死ねばいいと思ったことは数回で、思い返すと私は父のことが多分好きだった。なぜだろう。何があっても暴力を振るうような親は最悪のはず。私の身体には、父の酒を飲んだ時の顔が刻み込まれ、腕にできたあざの刺すような痛みもまた殴られると思う迫る恐怖も刻み込まれている。それはかつて失った処女のように、外から干渉してくるものではなく、既に私の中に入り私の一部になってしまった。

別に酒を飲まなければその他が帳消しになるようないい父だったわけでもないし、むしろ酒を飲んでない父も良くなかった。だけど父のことを思い出すと、その記憶の中に少しだけ温度がある。

ある日、父が高校生の私を海に連れて行った。暴力を振るうようになる少しだけ前のこと。何もない日に海なんて、父はなにをぶってるんだと思ったが、せっかくだから助手席に乗った。平日昼の道は空いていて、15時のお台場の海辺もまた空いていた。車内で父はタバコを吸って、私は自分のシャツに匂いがつくのがとても嫌だった。車を降りて父について行くと、父は浜から少し距離があるベンチに腰掛けた。ベンチの前には散歩道と木が横に流れていて、せっかく海に来たのに潮の嫌な匂いがするだけであまり海が見えない。そもそも父はなぜ私を海に連れてきたのだろう。父はいきなり「海、行くか?」と言っただけで、その意図は説明しなかった。
隣に座って木の間から海を見たり、ランニングをする人などを見たりしながらぼんやりしていると、少しして、父は「何か飲むか?」と言った。私は別に喉が渇いていなかったから「いや」と言った。

何か特別なことがあったわけでもない。いや、父と海に行くということは何か特別な意味があったのかもしれないが、説明されていない私はそれを知らないし、せっかく海に来たのに海が見づらいベンチに座り、会話もそれきりだった。30分くらいそこにいて、その後「うん」とボソッと言って立ち上がった父について行ったら車で家に帰った。帰りの車の中の父は、何か大切なものがある人特有の光のある顔を、しかしきっとそういう顔に慣れていなくて変な顔をしていた。

一体いつの、どの父が本当の父だったのだろうか。家族でいるのに無言で食事をしていた父だろうか。あるいは、いつも遅くに帰ってきて、革靴を脱いでいた頃の父だろうか。私が小さい時に公園に連れて行って、肩車をしながら慣れていない変な笑顔をしていた父だろうか。私が生まれる前、母との結婚式でなぜか不機嫌そうな真顔でいる写真の中の父だろうか。いつからか夜中に目を覚ますようになった父だろうか。三日間同じスウェットを着ていた父だろうか。酒を飲んで赤い顔になった父だろうか。口からアルコールの不快な匂いがした父だろうか。暴力を振るおうと顔が強張っていた父だろうか。暴力を振るいながら私と母を見ないようにしていた父だろうか。暴力を振るい終わって、許しを乞うような気持ちの悪い顔だった父だろうか。

それとも、まだ気付かないふりができていた頃の、朝、腰に手を当てて野菜ジュースを飲んでいた父だろうか。

父はなぜ死んだ?

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