日記230124

火曜日。今日は関東圏に最強寒波が来てるらしい。学校がめんどくさくてしょうがない。多分寒波とか関係ないけど。


先日アコースティックギターの弾き語りを聴きに行った。歌詞が臭くてあんまり好きではなかった。必要から出てくる言葉じゃないと、全部嘘に聞こえてしまう。「本当にそれ思った?」「それが言いたいだけじゃない?」みたいな視点で見る自分が常にいる。そいつは中々厄介で意識してしまうともう逃げられない無限の自己言及にとらわれてしまう。僕たちは、いつも、とらわれている。


ただそんな嫌なことを考えちゃうだけではなくて、やっぱり歌は魅力的でいいなとも思った。人にとって空を飛びたいという思いはかなり重要なものだと思うのだけど、歌っているのを見て、歌を歌うことは人の営みの中で空を飛ぶことに最も近いんじゃないかなと思った。

歌を聴いているとどこかへ飛んでいける気がしてくる。重力にとらわれないで、自由に。

飛び方はたくさんあって、天使みたいだったり、悪魔みたいだったり、大鷲のようだったり、ツバメのようだったりする。私が聴きに行った弾き語りの彼は海鳥のように見えた。


自由でありたいという思いはつまり因果律からの脱出なんだと思う。世界という巨大な一つの因果。その果てしなさからの脱出。蝶が羽ばたいたから僕はここにいるのかもしれないけど、僕はここにいるから僕はここにいると言わなければならない。詞によって。死によって。

なぜ「歌」が「良い」のか誰も分かってない。なぜ歌を歌うのか、何が歌なのか誰も分かってない。なのに歌う。歌を歌う理由が分かっちゃったら人間はまた因果の重力に囚われる。でも多分分かることはない。きっと究極の歌は到来しない。人は自由だから。自由になれるから。

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