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上環快味


 講釋中の一尾を一旦もとの抽斗へ仕舞ひ已乃輔を奧まで引率すると、この家のあるじ處置室と札の掛かった戸をコツンと叩き、此處を入つた向かう正面ね、と云つたぎり戾つていく。

 中は微かに藥臭い。處置とはいふが處理室だ。店先からは思ひつかない數を捌くのだな、長いの短いの厚いの薄いの全體何千では利かない皮が色柄さまざまヒートンに掛けられ四面の壁いつぱい、タイルばりの床じゆうには剝かれた素つ裸な身が長いままビニル箱にぎつしり詰まつてゐる。千羽鶴みたやうな皮が孰れもつやつやと剥ぎたて、山の肉はパツンと耀き剝かれたての新鮮さ。ちやうど潰したばかりの家鴨のモツに輕く丁子粉を振ったやうな香が喉にむず痒く固唾が口の端ににじむ。うつとりするうち便所を借りに入つたのをうつかり忘れて失禁するところだ。

 店先へ歸るひやうしに五蛇羹の椀がやつて來た。この家は卸の商賣だが小さな卓に四つばかりの椅子を並べてこの羹だけは出すのだ。已乃輔さつそく具の盛りあがつた汁を啜ってゐると、壁じゆうに積まれた飴色の抽斗から旦那今度は居眠りしてゐる太いのを引つぱり出し首の邊りをギユツと締めデコを人さし指でピンと彈く。派手な柄を纏ったコブラ輩、寢惚けまなこの大欠伸で白い齒並び、奧にピンクの喉ちんこを曝すとシヤリシヤリつと妙な音をさせながら甘えるやうに旦那の首に絡みつひた。

「五蛇羹と云ひますがね」

 已乃輔の隣に腰掛け蛇の顎を撫ぜながら、

「何でも五種入ればいいんじやないんですよ」

 喉を今度はカラカラつと乾いた風に鳴らし、又始まつたよ、煩さいなあ、と云ふ薄目で長モノ旦那を見たが、まてよ蛇は聽覺が利いてゐないんじやなかつたか、大振りの黑い、先づ中はメラミンらしいジヤパンから蛇玉林と彫られたチヤイナの角な箸で細切り肉をつまみながら考へる已乃輔、蛇と目が合った。

「普通はな、オレはよく聞こえてゐるよ」

「どこが耳だい」

「横つ腹につーつと淺葱色の帶文様があるだらう、そこへ並んだ鱗の五枚目每に耳穴が穿つてある」

「穴が開けてあるのか」

「さう」

「誰が開けたんだ」

「知らない、お客さんも煩いね、おやじさんとしやべつておいで」

「序でだ、も一つ訊かうじやないか、おまえさん方は卵の生れなわけだが、そいつからさあ表へ出るぞといふところを茹で卵にして喰ひたい、さふ常づね思ふのだがまだ機會がない、やつぱり半熟より固茹でのはうがいいかね」

「知らない、おやじに訊けよ」

「骨なんか柔らかだらう、そのままいつていいやね、それともやっぱり齒の間からつーつと小骨を拔くのがいい形かなあ」

「耳の蓋閉めるよ」

「開けしめできんのか」

 蛇は黙つて寢息を始めた。

「五種それぞれ美味しいどうしで料理するのは易しいが、それじや上手くないですね、いいものだけを重ねるとはっきりと惡くなるんじやない、がよさ一と別のよさ一とを合はせるとよさ二・一や二・七にはなりません、二人が力を合はせると二人前以上になるかと云ふとならない、相乘はおこりません、さふなれば算數として合つていますからよさに別段のことはないはずです、ところが何かぶよぶよとだぶついた感觸、一人責任を負ふているんじやないといふ少し樂のやうな、春一番の日に目がチカチカする中、乾いた鼻の頭に嫌な脂が浮いたと思ふのは氣のせゐに違ひないと知つてはゐても、なほ手に觸れてみないわけにはいかないやうな、大きな聲で、ほらほらここですよ、こんなところがをかしくなりましたよ、と指さし出來る拙さじやないんだな」

「目ツカチだの脂つ鼻はどうでも、おいしくないならはっきり駄目でいいでせう」

「ちよくせつ味のはなしではなくて、その邊り、近所で何といふか美味しいや不味いが纏った緩い景氣、さふいつたところに輕い不愉快があるんですよ」

「やはり五匹も毛色の別なおいしい蛇を一緒に料理すると、まずくなるとは云はないまでもお互い張り合つて味がしらばつくれると、そんなところですか」

「あなた、蛇に毛なんか生えてゐませんよ、ですから熱湯につつ込んでからむしるなんて手間がなく、つつーつと一息に剝けるんですから氣持ちのいいものです、あつ、必ず頭から尻尾のはうへ向かつて剝いてください、逆はやりにくいです、ウロコがいやな音をたてますし、え、しっぽは何處かつて、そりや頭のないはうです、いいですか、あれに毛があつてごらんなさい、不氣味といふか不作法といふか不見識といつたらいいか、そんな蟲にそこらをうろうろされた日にや氣の短い人なら喧嘩をうりますよ、やい蛇やらう寒きや冬眠しろ、お前のそりやカツラだろ、いえ旦那これでも地毛なんです、とか何とかしやべつてゐるうちにこの短気なおやじは考へる、天然蛇の毛皮かあ、うん、よしこいつにお愛想して仲間を紹介させよう、こりや上手くいきや存外賣れるかも知れないぞ、この冬貴女の只ならぬ秘めた野生が臭ほう首まわりをおどろに演出するスネークフアー、さあ、刈り込んだ眉を顰める遠巻きの男性陣を脅迫まがひに一人じめ、これでいこう、とね」

「やはり中には毛深い蛇もあるんじやないですか」

「云つたでしよ、そんなのまづゐません、それはいいとして、五種のおいしい蛇を一緒にしても料理として機能不全ではありません、が何か醉つ拂ひとまでは云へないまでも素面には見えず、どおも蛇料理としてシヤンとしないのは、わかり易く大がかりに説明すると、仮に世界じゆうのあらゆる食べ物がすべておつむテンテンまでおいしいに決定してゐるとしますよ、すると、おいしい、は食べ物、食べられる側の領分にあるだけで食べるはうには言論、信教、味覺の自由はなく、おいしいといふ錯覺もないので獨り言にしろそれを傳へる、おいしい、といふ言葉もないんです、いやいや、おいしい、は絶對ですと云はれる向きもありますが、あたしは赤ん坊が夢中でおつぱいを吸ひながら、こいつはいつのんでもうめえや、と云ふのを聞いたことがありませんね」

「では五蛇羹には不味いのを五種使ふんですか」

「あなたわからんちんですね、ときにお名前は」

「めうな間で訊きますね、已乃輔です」

「では、みのすけさん」

「いえ、いのすけです」

「どちらでもよろしいが、それじやあおなじです」

「何と」

「おつむテンテンとです」

「おいしいと不味いは仲間なんですか」

「ちがひますよ、おなじなんだつたらもう、あのねイとロが仲間ならばイとロは親しいとはいへ別々の事や物や者でしょう、いいですか、五蛇羹に不味いのを五タイプ一緒にすると美味しくないのではないんです、また仮に世界ぢゆうの料理がはしからはしまで悉く、どれほど信心深くてもとても信じられないくらいなおいしくなさだ、と全國家の人民、國民、臣民その他ノラ人も含む全てのもの喰らふ民のみならず、國王、統帥者、書記長それらに纏はりつく頭取や大臣など全員が一律に承認しているとしませうか、本人たちはまるで與り知らぬ自動的のうちにですよ、すると、不味い、は又もや料理の中だけにあるわけですから食べるこじきも農水相も蚊帳の外で、世界随一の舌を持つわれら華南人でさえこれは免れるを得ません、ですから當人には内も外もあつたもんじやありません、蚊帳を見かけても、何だコレ、と思へば意識が高いはうなくらゐの頓着なしです、いや不味いの受容器は絶對的です、と色の惡い顔にゲロを吐きさうな目つきでつぶやくスカタンの聲はいつの世にもありますが、わたしは乳のみ兒がおつぱいに夢中でしやぶりつきながら、こいつはひでえや、このあま、いつてえなにをくらつてやがんだ、と凄むのを聞ひたことがありません、ほらね、おなじでしょ」

「ははあ、おいしいはイではなく、不味いはロではないと、かういふことなんですね、なるほど」

「全然違ひますが、まうそれでいいです」

「あ、逆ですか、うまいがロであるわけではなく、だめなはうがイだと決まったとも云へないと、はあなるほど、やつと分かってきましたがわたしはどつちでもいいんですよ、旦那は專門家の手前さうもいかないつていふあれですね、つまらないとこに見榮を張らなくたつてこの家の蛇はいつも旨いや、ラがリだらうがハがイと入れ替はらうがね、蛇も吟味してゐるんでしやうが腕も一流だ、天香樓だつて仲々かうはいかない、何か秘密の藥でもかけるんですか、味の素グランクリユみたやうな」

「もとからそのはなしをするんじやないですか、詳しい説教をすれば簡單ないきさつではすまない勉強や研究が密に捻じけからまった複雑さなんですが大雑把に云ふならば馬鹿にスカスカです、つまり」

「おいしい蛇とおいしくない蛇との盬梅なんですね」

「なんだ、わからずやのふりをして、わかつてゐるんぢやないですか」

「うまい蛇でだめ、不味い蛇でだめ、さうすると配合するか兩方あきらめてどつちでもない蛇を採用するかでせう、お話しの空合ひからまづ混ぜ合はせ加減なんだらうな、とね」

「さうです交ぜます、そしてその割合ひが肝要です、しかし易しくないですよ、イ、ロ、ハの蛇を七割り、ニ、ホの蛇を三割りです、殘らず二枚に下ろし骨切りしたらハイミをたつぷりすり込んで七晝夜冷蔵庫で休ませます、ハイミがなければいの一番で間に合はせてもいいでせう、なんて寸胴ばばあの料理番組みたことではとてもとても」

 コブラは首にからんだままヨダレをにじませすつかり寢込んてゐる。

「長くなりさうですね、お替わりをもらひませう」

「だいたい蛇の種類からして食蛇屋が選つて扱ふ上々のものだけでも六百五十四種内外、うちは好みにかなり注文のつくはうですがそれでもたいてい百四十色は飼つてある、已乃輔さんが背負つてゐる壁の抽斗で四十五、轉た寢てしてゐるのを別としても卅匹見当は五蛇羹をうまさうに頬ばるあなたをすき間からのぞいてゐる」

「オレもあなたもああなる順番まちをしてゐるんだなあ、と感慨ぶかけにアゴひげを撫でたりおくれ毛をかき上けたりしなからですね」

「あなた蛇に手なんか生えてゐませんよ、あれに爪つき五本ゆびがあつてごらんなさい、かたわのトカゲじやすみませんよ、毛がないのはさつき説明しましたね」

「旦那はすぐむきになる、知つてますつて蛇は腕に毛なんか生やしてゐないことぐらい、さういへばオタマジヤクシも足より先に兩手がなくなりますねえ」

「えつ」

「陸が合はなくて蛙から引つ返へした奴らですよ、蛇のにらみに嫌氣がさしナメクジとの取り引きも上手くなかつた組もあるでせう」

「はいわかりました、そのことは又つぎに考へるとして、今あなたか食べてゐる蛇汁のね」

「まうないです」

「おい、はやく已乃さんに替はりをお持ちしろ」

「すみません、おまち遠さまです、なにしろ仕込中の若いヤマカガシが皮を剝かれたのも忘れて、あつちい、なんて叫んて鍋から飛び出したんですから、逃げあしが速くつてやつと裏の路地で首つたまをおさへたんです、ヤマちゃん地だんだ踏んで悔しがりました、カガシ汁は水からやりますから途中いい湯かげんで都々逸なんかうなつてゐたんですよ、ええ日本の蛇です」

「日本製には足があるんですね、ときに大將このお孃さんは」

「うちの娘です」

「肌のきれいな美人さんですねえ」

「ひとつのときから蛇を食べてゐますから」
「美容にいいんですか」

「とんな蛇も皮が美しいでせう、蛇の皮膚科がないわけてす、お肌のトラフルなんかまるで知りまん」

「おいくつですか」

「蛇ですか、そりやいろいろですよ」

「いや娘さん」

「まう十四になりますがまだ生娘なんです、蛇を食べる女の子はそつちの欲がわりに平氣らしいんですよ、なんとなく分かりますね蛇のつむりなんか見てゐると」

「お父さん、お客さんに変なこと云はないでつ」

「ところが男にはあべこべで欲が亢進するんですから蛇つ喰いの女の子に見當をつけた男子は面白くない、それに蛇を多食する男性ほど蛇好きな子を求めます、どうも蛇の榮養は不思議です」
「さうですか、氣がつかなかつたなあ」

「あれえ、蛇つ喰ひの男はたいていそこを惱むんですがねえ、ああ、あなた男色ですか」

「違ふとはいひませんが大將はどうなんです」

「あたしはここ上環の驛まへに南京でう約の発効から看板を上げてゐる老舗蛇やの七代目、生まれてこのかた混じりつ氣なしの若道一本です」

「お孃さんがありますねえ」

「蛇を食べない男つたらしの女房をもらひましてね」

「はあ」

「蛇の嫌ひな精力盛んで血統のいい友人に賴んだといふわけです」

「お父さんつたらお客さんにそんなことまで、もう、おしやべりつ」

「おまへだつていつもお父さんが二人ゐてうれしいつてニコニコしてゐるじやないか」

「それはわたしだつて男まさりのお母さんに種目のちがふお父さんがふたり、それにおいしい蛇たちにかこまれて幸せよ」

「だらう、それなら少しくらゐお客さんに自慢ばなしをしたからつて、おしやべりつ、なんてきかないこと云ふんぢやないよ、それからお母さんは決して男まさりなんかじやないぞ、男つたらしだろう、間違へんな」

「あつそうか、ごめんねパパ」

「よしよしさすがはオレの子、その素直なとこが父さんおまへが大好きだ」

「仕合わせさうですね」

「おや客人まだおいでだつたか」

「これから旦那の蛇汁がいかに苦心の作かといふところを伺ふんじやないですか」

「ああなるほど覺えがよろしい、あなた蛇つ喰らひにしておくのが惜しいくらゐですよ」

「蛇をやつてゐると忘れつぽくなりますか」

「ええ話しの組み立て順序なんかは氣にしなくなりますね、誰とはなしてゐるかなんてことにも注意がいかない、その邊がこの動物の不思議な榮養の中でも實に好ましいところで、氣が樂になるといふのが効き目なんですね」

「そのわりに大將さつきからこの羹の料理法をなかなかの理屈で説法しましたね、まだ中途ですが」

「たまさかあたまがそんな按配になることもないではないんです、さうだ、この具合ひのうちに話しをやつてしまひませう、どこ迄しやべりましたかあたし、といふよりも何の話しでしたつけ」

「まう好ましい効果へもどつたんぢやないですか、蛇汁へ入れるイロハうたをそらんじる蛇の見立てが密につまつた複雑さにもかかわらず馬鹿にスカスカなのでアミノ酸等をすり込んだ蛇を大量に飼育している、といふ邊です」

「はいさうなんです、スツカスカの馬鹿のくせにどこのアミノ酸會社がうちの蛇たちにピツタリする粉を賣つてゐるのか、あるいは各種さまざまなグルタマン、イノサン、アスパラキンなんかをうまいてうしにはいがふする困難に立ち向かふのも蛇やのさだめなのか、といつた惱みなどをお互ひ心をひらいて蛇たちと相談したりね」

「蛇と料理の話し合ひをしますか」

「かれらああ見えて眞剣ですよ」

「どう見えて」

「細長くニヨロニヨロに見えるでせう、なにか眞面目に進化して來なかったやうな」

「蛇族のこころがまへについてはあまり考へたことがありませんよ」

「ひきだし稼働率十割に住まつてゐるみんなは養殖ものはハナから仕方ないとしてノラが下手うつて連行されたのもこの家の虜になつたいじやうは人生の締めくくり、をはり幕をどう演じるかについて、さつぱりとした諦めのきもちを背景に眞摯に取りくむんです、ね、見かけによらないでせう」

「人生ですか」

「さうです、なにか氣にかかるところがあるやうでしたら恥づかしがらずひとおもひに白狀するがよろしい、早めに手を打つことは放ふつておくことと同じくらいたいせつですから」

「だいぢやうぶです、人生でいいです」

「むりをせずに氣が変わつたり変になつたら途中でも左手をあげて話しをとめてください、それでは忘れないうちに一息に話してしまひませう、ええと、さういふわけで彼らとはそれぞれ本人の納得できる最期をおうゑんする爲またわたしにとつてはよりおいしい五蛇羹をこしらへる爲に日夜ひざを詰めてはなし合つてゐるといふわけです」

「膝といふとどの邊でせう」

「ひざをご存じない、あたしの膝は、ほらこの後ろへまがるところの前つ側です、左側にもおなしのがありますよ、ほら、ね」

「いや、彼らのです」

「あつ、さうですか、見慣れないと分かりにくいでせうね、頭からだとおほむね三分の二つまり反対の先つぽからだと三分の一のところと思へばいいでせう、以上」

「えつ、おしまひですか」

「はい、きやつらの膝小僧はその見當でだいぢやうぶです、ご安心なさい」

「不安ぢやありませんが蛇汁づくりの極意についてはまだ一席が半ちくですよ」

「なるほどね、あなた蛇つ喰ひとおつしやるわりにひつつこい質ですな」

「蛇といふ動物は食味は別としてどちらかといへばトリモチタイプではないですか」

「さうですよ、さっぱりした氣立てではありませんが、くどい質の動物を食べると粘つこい氣性になるでせうか、牛はぼうつとしていますがどこが旨いのか、此奴をよろこんでたつぷりあがる方々ね、誰だか知ってゐますよね、連ぢゆうのあくどさ根性ぐされといつたらないですよ、ニコニコしながらジンケンなんて変なお題目をあげて、大人しいのかとおもへばよそのお家をいきなり爆彈で狙ったりする、ビヤウドウとかなんとか、めうな念佛を唱へながら」

「わたしも牛を食べますがおいしいですよ」
「えつ、あなた蛇つ喰いでせう」

「いくら好きでも蛇だけ食べてゐるわけにはいきませんよ、旦那は蛇より上がりませんか」

「まさかさうもいきません、實は内しよで牛も少せうやつてます、あれはやはり和牛ですね、あの薫り高い桃色のキヤンバスにちりばめられた實に細かな白一色の点描、あれは最早藝能です、あたしは中でもササ身が一等です」

「ささみといふと」

「むね肉の内つ側にある笹つ葉みたやうな形のじやう品なところです、知らないんですか」

「わたしは牛といつてもひたぶる消か器、循くわん器ですからその邊はぶ調はうなんですが、旦那それは鳥の類いのなにではないですか」

「いやいや奴らは蛇の天敵ですからね、嫌ひです、ハシビロコウのことでせう、よほどムカムカしないかぎり食べませんよ、不細工を氣どってゐながらあんな獰猛な鳥はありません、蛇たちが、なんだ変な鳥がうつろな目でじつと見やがる、見んじやねえよ氣味わりいなあ、といふ態度で行きすぎ尾つぽを見せた途端にあのペリカンめいたくちばしでズルズルすつぽんとうどんみたやうに呑むんですからひどい、ああ魯鈍に見えてそんなときだけ素速いんです、蛇のはうだつて何があつたか分からないうちに一氣に暗いところへ吸い込まれてじたばたするしかない」

「じたばたしますか」

「あ、のたくたでした」

「お腹の中で」

「いえ、大きなくちばしの中でしばらく蛇があばれる感觸を樂しんでから呑むんです、あまり元氣なうちはだめで、多少諦めかかつてから、かといつてグロツキイにはなる前の、かすかな望みをまだもつているくらい、そこが美味しいんです、がそのタイミングを計るのがむずかしい」

「詳しいですね、訊いたんですか」

「はい一度大きなやらうを現かう犯たい捕して尋問したんです、あひかはらず空ろな目で、快味を反芻してゐるのか涎をすすりあげながらスラスラ答えましたよ、あんまり業腹でまたその腹も空いてゐましたから丸燒にして一杯やりました」

「食べたんですか」

「ええムカムカしてましたからね」

「むねが惡くてもいけますか」

「腹がへつたときに美味いもんなしといふでせう、どうせ何でもうまくないなら誰でも何だつて食べますよ、ところがあなたそれが大違ひ、下つ腹におほきなキンカンが鈴なりでどつさり詰まつてゐたんですよ、先頭のがインド人のこぶし大でずらずらつと五六十はありましたね、みなで百十個くらゐになりますか」

「インド人の」

「はい、チョンキン系の」
 「そんなへんちく鳥この島にいましたか」
「ハナゐませんがたまたま香港に流れて來たのがメシの旨いのにおどろいた、ジンバブエからと云つてましたかね、一味にうわさが廣まつて、いまぢやリトルハラレまで何處だかにあるらしい人氣」
 「アフリカまで噂が」
「傳書でもしたんでしょう、鳩に云つて」
「だれに聞いたんです」

「鴉のうわさですがね、ともかくこのインド經由のアフリカ鳥が馬つ鹿に旨い、あたしおもはず左のたなごころで眉間をピシヤつと叩いてクウエーツと聲をあげてしまひました、あやふくこの鳥を許してもいいかな、と心がなごみ口元がほころんだとき、ハツとして邊りを見まわしましたが、お日がらがよろしかつたらしくたれにも見られてゐませんでした、ホツとしてこんどはゆつくり笑ひました」

「その鳥は大きな野郎でしたよね、はらに玉子がありましたか」

「ほんたうにハシビロといふ鳥ははしたない、それはいいとしてうちの蛇がまた旨ひのなんの」

「どの蛇ですか」
「ずるずるすつぽんと呑まれてしばらく大きなクチバシの中で弄てあそばれた舉げ句、無念、腹へ納まつた、かはいさうなうちの蛇ですよ、小ぶりながらややおほきめの、中型といつてもいいでせうか、いやそれより少しおほきいかな、まづ中の大といつたところでせう、見かたによつては大型でもとほりますかね、ガラガラヒバカリといふ銘柄でどう食べたつて美味しい、お造り、土佐づくり、酢の物、煮る、燒く、蒸す、どれがだめといふことのない優等な蛇なんです、それがあのぶさいく極まったインチキやらうの腹ん中でていねいに蒸し燒きにされると、この特級蛇のやつまだこんな技を隱しもってゐたのか、と恥づかしいやら樂しいやら、こみ上げるうれし泪をこらへつつ同時に胃ぶくろが痙れんするほどの笑ひをおさへるのが活やく筋が斷續てきにゆるむやうにくすぐつたく、えい、まうどうにでもなれつ、と兩ほほをしつかり守つていたさいうの掌も放擲し汗にはりついたシヤツを癇癪もちのやうにもどかしく脱ぎすて、禿げかかつた腋のしたをさらしてバンザイ三唱するまでのハゲしいうまさだったのです」

「旦那かうふんしてますね」

「はい、あぶないところでした」

「どんなところがですか」

「あやうくハシビロコウの養殖を決心するところだつたのです」

「しなかつたんですね」

「ええギリギリでした」

「その鳥を殖やすのはなにかゐ反にでもなりますか」

「なりませんがまうしわけが立ちません」

「どちらへ」

「あの子たちにです」

「どの子たちに」

「どの子もこの子もありません、長ねん人間くわんけいをつくりあげてきたうちの蛇たちにですよ、いいですか、生えぬきであれノラの出であれあたしは一人ひとりていねいに面談をして、ほんにんの德心がいくまで話し合ひ、お互ひいいき持ちで送りだしてゐるんです、それをきふにこんだ養じやうが別だから何でもこのイカレた鳥に呑まれろなんて口がいくつあつたつて云へませんでせう、信らいし合つてゐる仲なんですから、でも、しやうぢきな氣もち又うちのだいじな蛇があれにやられさうになつてゐるところを見かけたら、ほん氣でたすけるか自信がもてません、まう間にあはないといふところまで氣がつかないふりをしておいてから、おいこらバカ鳥め、うちの蛇になにをするつ、だつ誰カアーなんて叫んだり鳴いたりするんじやないかと、そんな後ろぐらいきもちでゐるとあの子たちと目を合はせるのがつらいんです」

「さうですか、そんなどつちつかずな氣もちでしたらいつそ蛇をまるごと裏ぎつてハシベロとかいふバカ鳥と組んだらどうですか、それくらいおいしい蛇ができるんでせう」

「そりやあまう、こつちのなう味噌まで負けじとフワフワに蒸しあがるほど、氣がとほくなるやうなうまさですがね、ハシコウと組むといつても奴らもまる燒きにするんですから承知しないでせう」

「だんな、人間くわんけいだの面だんだのといつても詰まるところ蛇をまるめ込んで食だうに卸してきたんでせう、バカ鳥なんかわけないじやないですか」

「いやね、ああ見えて蛇はちゑがいいんです、ですから説めいがわかる、り屈も通る、つまり算すうのやうにおひ込んでいけば、あげ句こつちのいいやうなところへ落ちますが、バカあひてぢやさうはいきません、なにしろバカには考へがありませんから、またあつたとしてもあたしはその仕くみを知りませんからかん單に洗なうできないんです」

「そんなバカならどんどん蛇を食べさせて理くつなんかなしにはしからまる燒きにすればいいでせう、蛇を喰ふと燒かれちまふ、あいつはあぶない、などといふ考へはないとすればバカ鳥のれうかいなど要らないぢやありませんか」

「そりやさうかも知れませんが、あたしはそんな自ぶん勝つての不にんぢやうは性にあはないんですよ」

「ではガラガラ某がたまさかのじ故でバカやらうにのまれるのを樂しみにするよりないですね」
「ええ、なるがたけまちがひのおほいことを願ひながら、さて、まういつぱいお替はりはよろしいですか」

「けふはまうけつこうです、なんだかハシベロ蒸しのヒバガラが氣になつて仕かたがないんですよ、蛇やさんがのけぞるほどのその味が、ではまたおじやまします」

「さうですか、あたしもそろそろ散ぽをさせませう」

「さん歩を」

「ええ、蛇たちをね、健康くわんりにはとても氣をつかつてゐるんです」

「蛇をおさんぽへ、どちらまで」

「うちはおほ所たいですから天星小輪の下層を四はんぶん借りきつて大陸へわたるんです、それから廟街をぞろぞろわう復してかへります、こづかいをもたせてありますからみなおもひ思ひに買ひぐひをしたり手さうを見てもらつたり、とてもさんぽを樂しみにしてゐます」

「あれえ、おたくの蛇には手がありましたつけ」

「ありやしませんが向かうもしやう賣です、お足をだせば手のあるなしは氣にしません」
「足はありますか」

「ないからあたしがあげてゐるんです」

「それにしても行く人がたまげるでせう」

「さうでもないんです、每日のことですから、刻をあはせて樂しみにやつて來るかたもあります、おたくの蛇さんたちはいつ見ても美味しさうですね、なんて聲をかけてもらつたりね、するとみんなも、どおぞごひいきに、と恥ずかしさうにえ釋をします、どうですこれからご一緒しませんか」

「いえ、細に晚の菜を賴まれましてね、ひらきを二ほんばかり中串にいいところをいただいてかへります、又こんどお誘ひください」

「さうですか、ちやうどいいガラヒバがありますから、蒲焼ですね、蒸しが入ひつたのをおもちなさい」

「それはありがたい、バカ鳥のはなしも土産になります、では五蛇羹づくりの極い、つづきは又おきかせください」

「さうだ、つぎにハシコウのやつが脂ののつたうちの子を呑んだら急いでおしらせしますよ」

「いやあ樂しみです、かう奮してお忘れにならないでくださいね」

「ええ、呑んだとみたらすぐに電ぽをうちます、でん報やはおとなりですから」

「ああ、サミユエルのとこですね、よろしくおねがひします」

「ときに已乃さん、あなたどちらまでおかへりになります」

「エスカレタのきん所ですからあるきでもわけないんです」

「あのしやう油やさんのはうの」

「その裏つ手です」

已乃輔ちやうどみせ先をとほりかかつたトラムにひよいととび乘り旦那へ手をふつた。


             をはり

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