セレコの続き

…1

ザックは既に家に帰りたかった。

塔のだいぶ上階まで登って来た。
最上階がどのくらいの高さなのか見当もつかないが、かなり終わりに近いのは感じている。

終点が近い。
それなのに、今から引き返し家に戻りたい、と言う気持ちが勝っている。
まあ、帰れないのだが。

今の今までずっと逃走を図っていたのだから足も随分疲れている。この後の事を考えなければいけないが、考えるのが面倒になってきていた。

ルルの暗殺に失敗した。
そして、今度は追われる側になった。

一度失敗している時点でザックの身はほとんど御仕舞いであると言えた。暗殺は相手に気づかれないうちに仕事を終わらせるものであり、気づかれた時点で店仕舞いするしかない。しかし、この塔のおかげで店仕舞いも不可能であった。

ザックは頭を振って、歩みを止めると、草原の一画に腰を降ろした。

塔の中に草原である。
まあ、こういった草木があるのは有難い。

これが、障害物も無いだだっ広い空間でなくて良かった。
姿を隠すにはうってつけである。

「はあ……」

ザックは煙草に火をつける。

考えたくはない事であったが、考えざるを得ない。

この現状の解決方法はひとつしかない。
ルルを正面から迎え撃つ。

仕事を失敗したザックに取れる選択肢はそれしかなかった。
懐から銃をとりだし、その身をなぞった。

「頼むぜ、我がスレドニ・ヴァシュター」

…2

草むらが風で揺れている。
それを視界の端で確認しながら、ゆっくりとアタシは歩を進める。

ザックが身を潜めている可能性もある。
感覚を研ぎ澄ましながら、歩く。
足元の草木をゆっくりと踏みしめ、前に進んでいく。

『ああ、そうくるのですね』
ザックが銃を向けた時に、ルルはそんなことを思っていた……ようだ。

相方から銃を向けられた割には随分と淡白な反応だ。
"アタシ"が言うのもなんだが、そう思う。

だが、彼女がいくら自分の生死に興味が無くても死なれては困る。ルルの死に困るのは彼女だけでは無い。だから"アタシ"が出ることになった。自分だけの身体じゃないのだから、もう少し関心を持って欲しい。

ザックを退けるのはさほど難しくなかった。いわば、"アタシ"の存在は彼にとって不意討ちそのものである。普段彼の行っている暗殺の趣向返しのような形になった。

彼は退き、姿を眩ました。
が、逃がすわけにはいかないだろう。

彼の存在がルルの驚異になるなら、消えてもらうしかない。

なら、しばらく"ルル"ではなく"アタシ"が表に出たほうが良いだろう。彼女を守ることだけが私の意義。

もっとも、彼女は"アタシ"の存在を知らない。もうひとりの自分を知らない。まあ、それで困ったこともないので、特に知らせようとも思わなかった。

普段の面倒事はルルが受け持つ。
ルルの危機には"アタシ"が出る。

ずっと、昔からそうだった。

だから、"アタシ"は今でもそうしている。
"アタシ"がいる意味はそれが全て。

そして、これからまたひとつ、その危機も消える。
くたびれたスーツ姿が目の先に映った。

…3

ザックへの仕事の依頼はそう多くは無かった。
表の仕事であれ、そうでないものであれ。

探偵もどきの調査業はまず事務所の存在すら認知されていないことが多い。
なので、仕事もこない。
殺し屋としての仕事はそもそも成功率1割未満である。
そんな殺し屋に仕事を頼むやつはいない。

ザックが生計を立てられているのは、『小さな机の引き出し』からの仕事があるからである。その仕事も不定期であり、貰った報酬のほとんどは””彼女””のために使ってしまうため、自分の手元に残る金は殆どないが。

そのため、『小さな机の引き出し』は基本的に失敗できない。
断ることもしない。
報酬のために。

だから、それはルルに対しても例外ではなかった。
いつも通りと変わらず仕事をする予定だった。
予定と違い、失敗になったが。

暗殺は一度の機会で殺しきれなかったらお仕舞である。
失敗する殺し屋に仕事は来ない。

だから、失敗で終わるわけにはいかない。
失敗は成功で塗りつぶす。

銃の撃鉄が起きる。
目の前には『悪魔』がいる。

…4

彼が『死神』と呼ばれていたことは”アタシ”の記憶では殆どない。
殆どの人間は彼の事を名前…『ザック』と呼び、殆どの人の彼の印象は『ろくでなしのサラリーマン』である。

そして、少数の人間は彼の事を『殺し屋』であると知っていた。
『失敗率9割の殺し屋』。これも『ろくでもない』という印象とそう変わらない。

さらに、本当に限られた人間…というかほぼ『小さな机の引き出し』の人間だけが、彼を『死神』と呼ぶ。

雨が降るそうだ。
そういう話を聞いた。

けれど、今日は雨ではない。
そういう日もあるのだろう。

普段は殺す側の人間が、死ぬ。
そういうこともある。

目の前のザックを見る。

血にまみれたスーツ姿。
息も絶え絶えだが、アタシの攻撃を急所をはずして受け続けている。

最後まで面倒な奴だ。
首元を狙い剣を振る。

微かな手ごたえ。
肉を切る感触じゃない。
帽子が弾き飛んだ。

奴の表情が見えた。

そういえば、ルルを撃った時の奴表情はどんなだったか。
今みたいに、少し疲れたような、それとも何も考えていないかのような、
ポッカリと虚ろな表情だっただろうか。

今度はそれが向けられる側になっている。
ドスッと音が鳴る。

さようなら。
『死神』。

…5

確かに、ルル……いや、
ルルではない別の誰か。

『悪魔』の剣は俺の心臓近くを貫いている。
けれど、僅かに。わずかにではあるが致命傷ではない。致命傷に限りなく近いそれではあるけれど。

眠い。いつにもまして。

こういう時に、すべてを忘れて、痛みとかいろいろな面倒なものを全部おいて行って、綺麗さっぱりなくすことができたら気持ちいいんだろうな、とぼんやり思う。

それでも、ここで死ぬわけにはいかない。

いや。実際のところ、どうなのだろうか。
これ以上、生きる意味があるのか。
それが、『彼女』のためになるのか。

どうだろう。

ザックは懐から、薬を取り出す。
卵型のそれは、いつか天使から貰ったもの。
何の折に貰ったんだっけか。よく思い出せないが。
何と言っていたっけ、あの天使……アプリは。

『あまり無茶をしないで』

そんな感じの事を言ってこの薬をくれたっけ。
口の中で薬と一緒に言葉を噛む。

ガリッと音がした。

生きるという事はたいてい無茶なものなんだ。

「やり始めた事は最後まで」

痛みが消える。
視界がクリアになる。
傷は消えない。出血は多少マシになったか。

そう考える思考速度も、より速く。
銃を持つ腕が持ち上がる。

…6

死神が何かを噛む仕草をしたのは視認してる。
それと、ほぼ同時に銃口がこちらの心臓を向くのが見えた。

剣で防ぐことは出来ない。
咄嗟に結界を眼前に。
射線を遮る。

が、即座に死神が反応している。
現れた結界を脚で蹴り、反動で後ろに跳んだ。
剣が身体から引き抜かれる。

奴の身体から血が舞うより早く、銃声が響いていた。
アタシの耳にはひとつの音しか届いてない。

それなのに、見える銃弾は3つ。

距離を離すわけにはいかない。
剣の間合いの外には出させない。

結界解除。

アタシは前に踏み込む。
剣でひとつの弾丸を逸らし、残りは無視。

弾丸が肉を貫くが知ったことではない。
致命傷にはならない傷だ。

防御に結界を回すわけにはいかない。
踏み込んだ足に力を込める。
跳躍。

アタシの結界は攻撃のために。
ルルの敵を殲滅するための結界。

結界生成。

空中に貼った結界を足場にさらに跳ぶ。
宙を、跳ねる。幾つもの結界から結界へ。

縦横無尽に空間を飛ぶ。
銃口が追い付かない速度で。

四方八方から斬撃を見舞う。

「ハハッ」

思わず口から音が漏れる。
死神は崩れない。
剣は幾筋もの手ごたえを感じているのに。

倒れない。
銃口は耐えず動き、こちらの動きを先読みするように弾丸を吐く。
もうひとつの銃身が、切っ先をはじく。

血が一面を濡らしている。

この出血量でどうかしている。
それなのに、奴の動きはさらに速くなっていく。

金属と金属がぶつかる音。
切っ先から血しぶきが跳ねる。
音が、どんどん置き去りになる。

ポタリと、音がした

何かの水滴。
その何かを確認することもしない。
雨が降っているんだ。

笑みが零れる。
”仕事をすると、いつも降るんだ”
あいつの言葉が脳裏に浮かぶ。

「面白くなってきた」

…7

ザックは考える。
なんとか身体は動くようだ。

調子が良いか悪いかは別として。

天使から貰った薬が効いてくれて助かった。
服用した事の無い薬がどれほどの効果を及ぼすのか、
またどれくらいの時間で効果を発揮するのかザックにも未知数だったからだ。

けれども。
ザックは思う。

こういった薬は土壇場で使うものだ。大体天使から貰った薬は1つであり、効果を確認しようがない。

それに、天使から貰った薬が効かなかったら、その時はその時だった。
天使のお迎え。
まあ、死に時だったというだけだろう。

そういう意味では運が向いている。
これは、あくまで怪我の回復ではなく鎮痛効果であるはずなので、
状況として好転したわけでは無いが。

けれど、相手の攻撃を捌けている。
呼吸が読める。

『悪魔』の剣の切っ先も、その前に流れる一線の殺気も見えている。

雨の音がする。
水滴の落ちる音だ。

ザックの魔術には雨を降らすものがある。
その雨を降らすにも様々な理由があるが、そのひとつにレーダーの役割がある。雨が纏う魔力を通して、雨が触れた相手の位置情報を把握する…そんな感じだ。

ザックの強みは”精度”である。
銃の弾丸を思ったところに当てる。ナイフを刺すにもその刺す位置、
力加減。そういったものを正確にコントロールできる。

相手の位置を、動きを細かく把握する魔術は実にザックと相性が良かった。
相手の癖が読める、次に移動する場所が見える、相手が動く先がわかれば。

あとはそこに弾丸を撃ち込めばいい。
ザックの指が動く。

雨音が銃声に消える。

…8

『死神』の弾丸を捌き、前に出る。
アタシには下手な小細工は必要無い。

こちらの動きを読むのなら、フェイントを混ぜ、相手の読みをずらす。
何にしろ、あの出血量だ。薬を使おうが何をしようが、傷が治ったわけでは無い以上、このまま戦闘が続けばこちらが勝つ。

雨が降っている。

ただ、それだけの事だが、妙に気に障る。

少しずつ相手への攻撃が届かなくなっているのも、嫌な感じだ。
間合いは詰めているのに。確実に一歩一歩。

なのに、こちらの切っ先が相手に届く数が少なくなっている。
『死神』との距離が遠くに感じる。

面白い。
相手は時間を使い、ギリギリまで待つつもりだ。
命の火を天秤に掛けて。

何か奥の手を使うタイミングを。

なら、踏み込む。
アタシが先に動く。

アタシは『悪魔』。
ルルやアタシの邪魔になるものは全てぶち壊す。

…9

何とはなしに考える。

そもそも『世界』の奴が俺達を組ませたのは何が理由なのだろう。
セレッシャルコールの調査も、差し当たって一人でも問題の無い仕事だったように思う。

それなのに、どうして『死神』と『悪魔』が組むことになったのだろう。
結局のところ、こうして戦り合う羽目になっているというのに。

『世界』の考えることはわからない。
彼女の《未来予報》はせいぜい的中率33%くらいだろう。
何で言うことをそれほど真に受ける必要もないが。

こうして、『悪魔』と『死神』が相対することになるのも予報できていたのだろうか。なのに、どうして仕事で組ませるような真似をしたのだろう。
わからない。

やはり、最初に組ませた時はこの現状は予報出来ていなかったのかもしれない。何か不測の事態が起きたから、俺に『悪魔』の始末を依頼した。

いやはや。

弾丸の雨の合間を躊躇なく潜り抜けて来る『悪魔』。
始末するにしても、もっとやり易い相手にしてほしい。

それに、子供相手は仕事しづらい。

目を瞑る。
雨の音、水滴の動き。雨の魔術。

見たくないものは見ないように。

せめて痛みが無いように。

10…

均衡は唐突に破られる。

勝負の決まり際は常に他愛もない事。
何でもない事だ。

例えば今回、ザックの銃身が僅かに水滴を帯び、その微かな重みが弾丸の軌跡をずらしたように。そしてある瞬間に。足元の泥濘、それに足を取られて彼女の重心が僅かに崩れたように。

大したことではない積み重ね。これまでのルルとザックの関係に近い。
だから幕切れがあっけなくとも、それほど気になる事ではない。

『悪魔』の右脚を弾丸が貫く。

脚に熱を感じる。
痛みは遅れて来るんだ。身体が前に倒れ込む。

『死神』の瞳を覗き込む。
何の熱も浮かんでいないような色。
深い、黒だ。

この結末にも特段驚きは無いという事か。
確かに結末というのは、いつもあっけない。
だから?

歯がギリッと鳴る。
口角が吊り上がる。

脚の熱など気にもならない。

崩れた重心、そのまま身体を勢いのまま右に捩じる。
そうすれば、剣は後をついて来る。

目指すは『死神』の喉笛だ。

そう、結末はいつもあっけない。
『悪魔』が嗤ったのが見える。
『死神』が咄嗟に後ろに身体を引いた。

ドンッと何かにぶつかる。
後ろに何かある。
下がれない。

結界だ。

彼女が吠える。

考えるより先にザックは動いていた。
銃の持つ手で喉元を庇う。
激痛。
血が飛ぶ。感覚が追い付かない。
銃がザックの手から離れるのを、彼女の目が見つめている。

彼女は、息を継ぐ間もなく。剣を薙ぐ。

もう片方の銃が、剣先に打たれ、宙に舞った。
これでザックに手持ちの銃は無い。打つ手も。いや。

剣がザックの頭に振り下ろされる。避けれない。
頭だけは、そう思い身体を右に振る。
肩から先に激痛が走った。

ザックは叫ぶ。痛みによる声じゃない。
鎮痛剤の効果で痛覚は鈍くなっている。
魔術の詠唱。

『悪魔』もそれに気づく。
けれど、ザックの身体に刺さった剣が抜けない。
ザックの右手が伸びた。『悪魔』の身体を抱え込むように引き寄せる。
これで距離を離すこともできない。結界を挟む余地も無い。

ザックの魔力はあたりに散っている。ザックの血飛沫がこれだけ舞っているのだ。自身の衣服にも、『悪魔』服にも。
そして、この密着からの術式行使。

「あ…」

『悪魔』の声がザックの耳に聞こえた気がした。
けれど、それと重なるようにザックの詠唱が終わる。

「Bleve(血の燃焼)」

閃光が辺りを白く塗りつぶした。

11…

”アタシ”の意識はここで、途切れている。

けれど、すぐにその意識が引き戻された。

視界に広がるのは空。
自分が
何が起きている?
状況を確認しようと、身体を動かそうとするがそれも不可能だった。

それほどの負傷なのか?
いや、違う。

「大丈夫ですか?」

声が聞こえた。
よく知った声色。ずっと傍で聞いていた声。

「ルル……」

ルルの声だ。
ルルの意識が戻っている。
身体が動かないのも、ルルの意識が戻ったせいだ。

「大丈夫そうで何よりです」

ルルはそういう。
けれど、大丈夫も何もアタシの身体とルルの身体は一心同体だ。
アタシが大丈夫かどうかは、ルルが良く分かっている。
そして、その身体はどう見ても大丈夫とは言い難かった。

「いえ、傷はそんなに深くないですよ。多少火傷は負いましたが……動くのに支障はありません」

そんなことがあるだろうか。
”アタシ”は意識が途切れる前の事を思い返す。
あの距離からの魔術攻撃。
結界も張ることはできなかった。

傷が浅いわけがない。

「あなたの結界術だったら、危なかったです。攻撃に特化してますからね。あなたの術式は」

そういって、ルルは身体を動かして見せた。
確かに表情から痛みがあるようには見えない。
けど、あんたはいつも無表情だから良く分からない。

「守る、癒す事だけに関しては私の方が得意ですから。なんとか代わって頂きました」

ルルはそう言ってゆっくり立ち上がる。

「こうして話すのは初めてですね。はじめまして、ルル・アンノウンです」

そう言ってルルは呑気に自己紹介を始める。
この状況で、このような会話を始められるのがルルらしい。
”アタシ”は返す言葉に詰まる。

「ルル、アタシは…」

「はい」

答えが返ってこなくても構わないのか。
ルルは続けた。

「ずっとこうして、私の事を守って貰っていただいていたんですね」

ありがとうございました、そうルルは続けるが相変わらずの無表情でその言葉にどれくらい感情が入っているのか全く伝わらない。

「私はずっとあなたに助けられてきました。私は気づかなかったけど、ずっと。気づけて良かったです」

抑揚の変わらない声。
本当に良かったと思っているのか?
いつも通りである。

「あなたの名前を教えて貰っていいですか?」

12…

ザックの視界には空が広がっている。
無理をしすぎたせいか、身体を少し動かすのもしんどい。

けれど、あの至近距離での術式をまともに受けたのであれば、
あちらも動くことは出来ないだろう。
ザック自身も大きなダメージを負うくらいの威力だ。
これで、無事仕事は果たした。いや、無事では無いが。
それでも、仕事が終わったという確かな安堵がザックを包んでいた。

と、ふと人影がザックの顔に当たっている光を遮った。
誰だ?
影の主は口を開いた。

「元気ですか?ザック」

「……いや、今その声を聴いて残り少しの元気も無くなった」

ザックは目を瞑った。
あれでも、まだ歩ける程元気とはね。
やれやれ。

「そうですか。それは良かったです」

ルルの声。
相変わらずの抑揚の無い……いや、ということはこれは今まで戦っていた、
”彼女”では無いのだろうか。

「とどめを刺しに来たのかい?」

「いえ、私の仕事は『死神』と同行しこの塔を調査する事なので」

「そうかい」

ザックはルルの方に目を向ける。
こちらも、ザックに負けず劣らずひどい負傷だった。
その割に元気に見える。

ルルはザックの意図を読み取ったかのように答える。

「私は守ることと癒すことにかけてはエキスパートなんですよ。それに傷の殆どは”彼女”が受けてくれたものですし」

「”彼女”……ね。一体何なんだい、あの娘は?」

「恩人……且つ友人です」

「これはアドバイスだが、友達付き合いは選んだ方が良い」

「奇遇ですね。私もあなたとは絶対に距離を置きたいと思っていますよ」

ルルは本当にいつもと変わるところが無い。
先程の戦いの後なのに。

しばらく、沈黙が続いた。
次に口を開いたのはザックである。

「俺が『世界』から頼まれた仕事は【『悪魔』と『塔』を倒せ】、だった」

「きっとそうなんじゃないかと思っていました」

ルルが答える。

「それを知ってても、俺を生かしたままにする?」

「あなたでは私達を殺せないので」

「そうかもしれない」

「説明したかもしれませんが、私が得意としているのは『空想術』です」

「聞いた事が無い」

「いえ、説明は確実にしてます。あなたは聞いてなかったかもしれませんが」

「そうだったか?」

「私は『想いを具現化する術』が得意なんです。だから、私もこうして無事なんです」

「どういうことだい?」

ザックの疑問にルルは何でも無いように答える。

「あなたは無意識に『私を殺したくない』と思っている。その想いが私の術を強くした」

「……」

「まあ、私自身も死にたくは無いですから。お互いの想いが一つになりましたね。めでたしめでたしです」

ルルはそう言って、ザックに治癒術をかける。
ザックはため息をついた。

「人を殺せない『死神』か」

「いいんじゃないですか?どちらにせよ仕事の成功率1割未満なんですし」

「それは表の仕事の話だよ」

「とりあえず、『世界』に報告しておいたほうが良いんじゃないないですか?」

「仕事の失敗を報告するのは気が重い」

「でも、私もどうして『世界』が『死神』に私の暗殺を依頼したのか気になりますから」

13…

「どうでしょうか。仕事の首尾は」

「失敗した」

「ええ~~~~~~!!??!!??」

『世界』のびっくりする声が携帯から漏れている。ザックは携帯に向かってひたすら謝っていた。「すいません、すいません」と平謝りが続く。

「……まさか『死神』と『悪魔』二人で『塔』を倒せないなんて事は予想してませんでした。私の未来予報でもその可能性は全く思いつかなかった……」

携帯から『世界』がそう言っているのが聞こえる。

「……なんだって?」

ザックが答える。
聞き間違えか?そう言った表情だ。

「思った以上に『塔』も難所なんですね……。ううん、『小さな机の引き出し』二人も向かわせて難しいとなると……でも、他に今空いてる人手も……」

「ちょっと待ってくれ。話が見えない」

「何がです?」

「俺が失敗したのは、『悪魔』を倒すことだが……」

「『悪魔』を????どうして仕事のパートナーを倒さないといけないんです????」

「あんたがそう依頼したからだが」

「私は””『悪魔』と『塔』を倒せ””って言ったんですよ?」

「……」

「『悪魔』と””一緒に””『塔』を倒せって事に決まってるでしょ。え?まさか『死神』さん、あなた……」

「ああ、『悪魔』の暗殺に失敗した」

その瞬間、携帯から大きな声が飛び出した。
大きな笑い声。『世界』がそんな大きい声を出すのは珍しい。
いつもはその小さな身体に相応しい、小さな声だから。

ひとしきり笑い声をあげた『世界』は、ようやく落ち着きを取り戻したのか、また元の声量に戻る。

「そんな間違いありえます?仮に間違えても実行します?ああ、可笑しい」

「思わぬ笑いを提供できて光栄だよ。未来予報でも見えなかったかい?おかげでこっちは死にかけたが」

「全く予報出来ませんでした。いやあ、そんな面白い事になっているとは。ま、『悪魔』と『死神』がそう簡単に死ぬわけ無いですから、そう大事になってるとは思わないですが」

「いや、そうでもない。……という事は『塔』を倒せというのは」

「セレッシャルコールの塔をぶっ壊して倒してきて下さいって事ですよ」

「紛らわしいよ」

「そうですか?まあ『塔』が願いを叶えようとしているのなら、そっちを倒してもいいですけど」

「やめておく。これ以上余計なことに手を出さないように」

「そうですか。こちらは面白い事が起きるのは大歓迎なのですけど。でも、今日は面白いニュースを聞かせて貰えて良かったですよ。この調子で宜しくお願いします、『死神』」

「『世界』」

私はザックと『世界』の会話に割り込む。

「ああ、ルル。ご苦労様です。あなたも災難でしたね。相方が早とちりで」

「ええ、本当に。という事は、結局、私はまだ『小さな机の引き出し』から外されたわけでは無いという事ですね」

「勿論。あ、そういえば『悪魔』には会えましたか?」

「……はい」

「それは良かった。ザックとルルの二人で調査に行かせたのは間違いでは無かったみたいですね」

「『世界』は知っていたんですか?もう一人の私の事を」

「勿論です。まあ、わざわざ言う必要を感じなかったので誰にも話してないですが」

「それは、言う必要を感じるべきところだと思いますけど……」

「ルル自身が見つけてこそ意味があるんですよ」

「適当言ってませんか?」

「ばれました?」

適当な人間しかいない。それが『小さな机の引き出し』である。
ルルは今更それを指摘する必要も感じなかった。

「ザックが仕事内容を間違えてくれたおかげで、ルルは『悪魔』に出会い、ザックは相棒の知らない一面を知ることができた。一方私は面白い出来事が聞けてたくさん笑えた。良い事尽くめですね」

ルルはそこで、携帯をガチャ切りした。
ザックは肩を竦めている。

「行きますよ、ザック」

「自分を撃った相手にそんな気を許して良いのかい?」

「そういうのはよくあることみたいですよ。この業界だと特に」

「どんな業界だ」

「『塔』が言ってました」

「そっちを撃たなくて良くなったのは、本当に有難い」

ザックはそう言って煙草に火をつける。

「『歯車』にはそう言った冗談は通用しなさそうだ」

14…

「名前を聞いたんです」

そうルルが呟いたのは、二人で歩きだしてからしばらくしてからだ。
この塔も終点が近い。最後に何が待つかはわからないが、そこに近づいているのは肌で感じ取れる。

「名前?」

「もうひとりの私の」

「ああ」

彼女の事か。
実際、ザックと死闘を繰り広げたのはルルでは無く、どちらかと言うと彼女とだった。だから、心配ではあった。また彼女が現れた時にザックに斬りかかる可能性も無くは無いのではないか。

「でも、名前は無いと言われて。アタシはアタシだ、って」

「そうか」

「だから、私の名前からあげる事にしたんです。アンの部分を」

「アン?」

「そう。だから彼女の名前は””アン””です。」

「覚えやすい名前だ」

「ああ、アンがザックを攻撃することはもう無いですよ。私に敵意を向けない限りは」

「会話ができるのかい?」

「ええ。彼女は私であり、恩人で、友人ですから」

心の中で会話ができるのだろうか。便利だな。自分の中にもう一人自分がいるって言うのはどういう感覚なのかはザックには全く想像ができない。

「ザックには感謝してますよ」

「俺に?」

「あなたのおかげで、アンに会えましたから」

ルルはそう言ってザックを見る。

「私は私が良く分かりません。どんな過去があるのかも。でも、私の事をずっと大切に守ってくれる人がいて。そして今まではそれに気づくことも無くて」

ザックはルルの歩幅に合わせ、同じ速度で歩く。

「でも、今日、それを知ることが出来ました。私の中のアタシに。気づくことが出来た。本当に感謝します」

「俺は銃で撃っただけだけど」

「それに関しては許してません。必ず後日何らかの形で復讐します」

ルルの表情が変わらないので冗談かどうかもわからない。

「というわけで、私は今日からルル=ノウンです。アン共々宜しくお願い致します」

そういうと、ルルは再び前を向いた。
ザックは煙草の煙を空に向けて吐く。
雨が降っていない。

「二人揃って『悪魔』ってことか」

「そうです。なので、私達は三人で『死神』と『悪魔』です」

「仕事の報酬を分けるのには向いてない人数だ」

「ええ。でも仕事は上手くいきますよ」

「どうしてそう思うんだい?」

「『死神』と『悪魔』は相性が良い」

ルルがこちらを向いて無表情にVサインを作る。

「そんな台詞を聞いた事があります」

ザックはその言葉を聞いてふっと笑う。
咥えた煙草の煙を深く吸い、吐いた。

「その台詞を吐いた奴、仕事の成功率1割未満だと思うよ」

15...

「結局、願いは叶えられなかったね」

「そううまい話は転がっていない」

コニーは塔から降りる道中だ。
ヘンリーはその後方にゆっくりと歩いている。

当初の目的である、『セレッシャルコール』を登って願いを叶える事は叶わなかった。もう、この塔にいる意味は無い。

「まあ、私は諦めないけどね」

コニーはヘンリーのほうに顔を向けてニカッと笑う。
ヘンリーは特に答えることも無く目を細めている。
コニーは走るのと歩くのと中間くらいのスピードで、道を進む。

「でも、ザックとルルも最後まで二人一緒に塔を登り切ったんだって。あの二人、そんな相性良さそうに見えないけど」

「どうして?」

ヘンリーがコニーに聞き返す。
コニーは進行方向に顔を向け、歩みは止めず、会話を続ける。

「だって、ザックは物凄くいい加減そうだし、ルルはマイペースだし。なんか二人で組んで何かするって感じしなくない?それぞれ個人プレーで行きそうじゃん」

「それは間違いない」

「何で『世界』もあの二人で一緒に組ませたんだろうね~?」

「別にそう不思議なことでは無いだろう。親子なんだから」

「は?」

コニーは思わず立ち止まって、ヘンリーの方に向き直る。
ヘンリーは特に歩く速度を落とすこともない。どんどんとコニーを追い越し進んでいく。

「ちょっとちょっと!!何!!どういうこと親子って!?」

「言葉通りの意味だ」

「ザックとルルが!?噓でしょ!?」

「ルルは幼い頃に両親を失い孤児となっている。その時の記憶は無い。記録も無い。彼女は自身が両親に捨てられたものだと思っている」

「え」

「一方、ザックは自身の子供は魔物化した妻に食われたものだと思っている。まさか、その時の子供が生きているとは夢にも思っていない」

「え、え」

「すれ違いは人間が最も得意とするものだ」

ヘンリーは表情を変えずに淡々と喋る。

「今回のザックとルルの戦闘があった箇所で、血液データは採取できている。遺伝子情報からも親子で間違いない」

「えーーー!!!???」

コニーの絶叫が塔に響き渡る。
ヘンリーはコニーを待ち、歩みを止める。

「な、何で二人に言わないの!?」

「特に言う必要がある情報じゃない」

ヘンリーはコニーが追い付くのを待つ。
「いや、言う必要あるでしょ!!」とコニーが嚙みついてくるがそれを気にする事も無い。

「そう、『死神』と『悪魔』は相性が良い」

ヘンリーが呟いた声はコニーのわめき声の中に消える。

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