【セドナメソッド・コツ】 「つかんで、手放す」

母親が「子供より金」「自分の働いた金は子供に使いたくない」「子供に使いたくないけれど子供からは脅し取りたいしタダ働きさせて搾取して楽がしたい」人だったという気づきはすでに書いている。


それから、ブログなんてお金にならない。4年以上書いていてなんの金にも繋がらないんじゃやってもムダ!という声が聞こえてきた。

そういう人だったんだ、という事実を知ったときに、「買ってあげたほうがいいじゃないか?」とか「お金があるんだから買ってあげようよ」と、あれがほしいこれがほしいという声に反応していることに気づいて、すみやかに聴く体制を取った。
ただ<なにもしない>で聞いていたら、上記の母親の声が出てきた。

今回、ブログに関しての解放は、私なりのセドナメソッドのコツ、手放したい感情をつかんでおいて、さいごに手放すを使う。

この方法は、手放したいことを意識的にもっている(質問のたびに確認する)。ひとつずつの質問のたびに確認して、さいごに解放する。

こうすると余計なステップがなくてすばっと取れることを実感している。

都度確認するなんて!っておもうときって時間や手間がかかる恐れがある。
それこそ「その恐れ」をひっつかんでおいて、質問のたびにそれを見てから、はいいいえと答えて手放すことを試しにやってみると案外するっと取れてしまうかもしれない。

遠回りを怖がったり、時短やタイパって言っている人、意外と余計な時間を食うことをしていたり、省ける手間をわざわざ経て「時間がない」って言っている。

自分で気づかないから無意識にムダな時間、ムダな手間をつくって余計に疲れている。そしてだれかのせい、自分のせい。これじゃ疲れて当たりまえ。
急いでいる人ほどじつは遠回りしていることに気づかないでいる。


本題に戻る。
私がこのコツに気づいたのが、私のブログなんてなんの価値にもならない、だった。

一度、依存症解放ワークでも手放したんだけれど、「稼ぐこと」「お金にすること」に集中していた。「こんなことやめよう、こんなことがしたいんじゃないよ」とさいごに出てきた。

それからまたブログを書くことに迷いが出てきた。
つかんで、一度ずつ確認してから、手放す。
無意識にこれをやっていたんだけれど、これが卵の殻をツルンとむくみたいにきれいに剥がれた感覚がしてめっちゃ嬉しくなる。

出てきたことはまあまあ、だったけれど。
まあまあ、ああそうだよね、だった。

先にも書いた通り、母親は人より金。金がすべて。私は金にならないし邪魔な存在だった。タダ飯を食らうな、働け、生きてここにいたいなら働いて金を稼いで自分達に貢げと言っていた。

母親の声に賛同した祖母は私にお金をせびったりお金について脅すようになった。自分のほうが立場が上なんだぞと言い出すようになった。私を奴隷に見立てて結婚させて、子供を産ませて貢がせようとしてきた。
叔母は私を言いなりにさせたがり、監視監視監視。生きた心地がしなくて、私は叔母にやられたことをそっくりそのまま返したい、復讐してやる、そう思いつめていたこともセドナメソッドで解放している。

レプティリアン側に落ちた人間ってこういうふうになるんだな。
気づかないって不幸だな。

私は家族のためにお金を稼いで貢ぐために働き続けていた。生き続けていた。生きるために、ここで生きていくために、稼いで働いて、家族のために金を貢ごうとしていた。
生きていることを許してもらおうとしていた。ここにいてもいい、でも私は出ていきたいと堂々と言いたくて稼ごうとしていた。

母親は、いやそれ以外の人間も、私よりも金が大事な人間だった。母親なんて特に、私のために自分で稼いだお金を払うのが嫌だから、父親が養育費を止めた途端に私を追い出した。6歳の頃だ。

だから彼女は自分が稼いだ金を使いたくな男と再婚して子供まで産んで、DVを受けて離婚した。
とてもじゃないがお金に恵まれているとも思えないし、愛に恵まれているとも思えない。ゴミ屋敷であることが彼女の心が以下に荒んでいるかを表しているだろう。

家は心。家や家族関係がごちゃごちゃしているなら、それは底に住む人間の心もごちゃごちゃしている。
私みたいにセドナメソッドでもしていればゴチャゴチャしていようと平静でいられる。気づけるから。

私は横浜の某スピリチュアル詐欺セミナーと同様に、脅されて目上だと思えと上下関係を敷かれて、金金金で私が死んでも構わない、命よりも金が大事なやつらなんかのために貢ごうとしていただけだったんだ。こんな奴等のために金を稼いで働こうとしていた。

頑張らなきゃいけないと思っていた。生きていくにはタダメシなんて食っていられなくて、住むためにも食っていくためにも生きる価値があるかどうかも金があるかどうか、金を家族や他人に貢げるかどうかで決まるんだと思いこんでいた。

レプティリアン側に落ちた自分達に貢がせるために、私を働かせて恩をかぶせて、脅して、搾取して、私の人生のすべてを奴隷支配しようとしていた。こんな奴等を家族だと思って、頑張って働こうとしていたのかと気づけてよかった。

私の命よりも金が大事な人たちのために粉骨砕身がんばって自分の人生の喜びも何もかも犠牲にしていたんだなって気づけてよかった。
何でもお金に結びつけようとしていた悲鳴がここにつながっていたんだと気づけて楽になれてよかった。

親からの影響を真っ先に取れ!!すべては親子関係にあり!!って言うけれどこんなに根深いところにまで毒針が刺さっていたんだな。瞑想だけの気付けなかった。ていうか時間かかりすぎてクソすぎた。

セドナメソッドはコツをつかんだらあんなに抜こう抜こうとしても抜けなかったものがズボッと取れて快感すぎる(笑)
しかも<なにもしない>で聞いているだけ、しばらく聞いたら感情をつかんで、一回ずつ確認して質問するだけでズボッと取れて気持ちがいい(笑)
雑草を一気に引っこ抜いたときの爽快感だ(笑)


セドナメソッド・コツ「感情をつかんで、手放す」


セドナメソッドを行うときは、なにか声が聞こえたり、映像が聞こえたり、胸のあたりや体の一部に不快感や痛みがあると思う。

「それ」をしかとつかんで(持っているような意識)、「これを認めますか?」
と尋ねる。

手放すときも同じように、その感情や感情のきっかけをもっている、「それ」を意識しながら、「手放しますか?」と尋ねる。
「いつ?」の質問までずっと持ち続けて(感じつづける、意識し続けておく)、最後の質問の応えでにパッと放すと、なんだか今まで以上に楽に手放せる実感がきた。

いままではこれと決めたテーマや感情を事務的・理性的に手放して、感じている感情や映像といったものをあまり感じていなかった。ハートが開いていなかった、意識が理性に移っていた。

質問のあいだ、浮かんできた感情を、手放すまで持ち続けて持ち続けて、持ち続けているそれに「はい」「いいえ」で応えていって、質問の最後にパッと手放す。

もっているものをその一回一回の質問で感じながら、認められるな、手放せる、手放せるね、大丈夫だ手放せる、と進むとあれ?ってくらいかんたんに手放せた。いつもはもうちょっと時間がかかるのに「つかんでおく」「質問のたびにつかんでいるものを見てから、手放せるかどうか確認してから応答する」だけで歴然とした体感差を感じられる。

まーた頭で解放していたーっていう気付きもある。
つい本を読みながらだと文章だから頭使っちゃうところがあった。

でもさいきんは心のなかで質問し手放しに慣れてきている。最初は全然できないって思っていたけれど慣れればできるものだな。体や心が覚えてきてくれるのかもしれない。助かる〜。

それに手放したいものを確認しながら、うん大丈夫、手放せるな、と確信を持ってからすすめていく、手放すのって、なんだか自信につながっている気がする。なんか、充足感がある。今までは結構しんどさが勝っていたのに、その方法に気づいたら、満足感や達成感や、自分はやれる!っていう自信を感じられて楽しい。

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