「頑張らなきゃいけない」にたいして頑張ってもいいと許す

たいてい、頑張らなきゃいけない人にたいして言うのは、

「頑張らなくていいよ」だろう。


頑張らなきゃいけない→押す

頑張らなくていいよ→引く

(心配だろうとなんだろうと、やめさせようとするのは否定だから抵抗になる)


私もそれを最初に抵抗解放にもっていって、手応えなく失敗。


逆に、押せ押せの状態の「しようしよう」としているときなら、

さらに押せ押せで「いいよいいよ!どんどん頑張っていいよ!」


これなら、「ああどっちもでいいや」って思えた。

頑張っても頑張らなくても同じだから、どっちでもいいや!


許したくない!→許さないことを頑張っている

私の場合は反対に、「許してもいいよ!」で解放されることもある

そうすると「別に許さなくてもいいや」と解放が起きることがある


抵抗する質問にたいして、『抵抗が起きる反対の質問』すると抵抗が解ける

エイブラハム・ヒックスで言う「コントラスト」でもあるし、認める質問とも言える


頑張らなきゃいけないと思っているときには、

「もっと頑張っていいよ!」

か、

「休んでいいよ!」

のどっちも試してみる。


私は休んでいいよ!だと抵抗がおきた。

私の場合は頑張りたかったので、頑張っていいよ!って言われたら、

ああ〜どっちでもいいか〜ってゆるんで解放されていく。


テーマに対して、押すか引くかのどちらかの質問で、

心の緩みが起きて解放が起きる。


「休まなきゃ」ってときも、働きたいか休みたいか、なにか思っている。。

そういうときに、「もっと動いていいよ!」って言うと反対に休んでもいいか〜、って思える。

「働いてもいいよ!」って言うと「いま働きたくないんだよね」って応答があることもあるから、今は休みたいんだな、でいい。休むことを許す。

本当は休まずに働きたかったけれど、いまは私、休みたい。


私に休んでいる暇はないと思っていた。

居候だから。でもここは私の家でもあるんだから休む権利は十分にあった。



「許したくない」ときって、許すまい許すまい無理しているときだから、

「許してもいいよ!でパッと開くことがある


反対に許したいと思っていて、じつは許したくないと思っているときには逆になる

「許したいと無理しているなら許さなくてもいいと許すか?」などと質問してみる。


ほかにも、私は家族が嫌い、だけど好きになろうとしているとき

そこで、「家族を好きになってもいい抵抗を認めますか?」と質問した

好きになってもいい、でも嫌いでもいい、どちらでもいい



セドナメソッドでは「どちらでもいい」が最も楽な状態だと書かれている

「「どちらでも、どっちでも、構わない」が最も願いが叶いやすいしエネルギーも軽くなる

抵抗という余計なことにエネルギーを使わなくなるので、エネルギーが充足していく

そうすれば回復力も自然と高まるし、自然といい流れがきやすくなる


といったことに気づいた




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