物や形や行動より気持ちがうれしい

誕生日。珍しくお金があるので、贅沢でもしようかと思った。
サイトを開いたものの、私は乗り気じゃなかった。
むしろイライラしてきた。

というのも、家族が「形ばかり」に
家族好みのコンビニスイーツを買ってきて、
「ケーキよりよっぽどいいよね!」
と言ってきた。

私の誕生日を珍しく覚えていた家族と話していて、
私は今朝「後でコンビニにケーキ買いに行こうかな」
って言っていたのだ。
それでこの台詞、そして家族好みのスイーツ。
私のことなんてぜんぜん考えてないくせに、
形ばかり整えて、
「あなたのためにやってあげました。
感謝してるでしょ?うれしいでしょ?」
って押し付けられたようで、
すっごい気分悪かった。

コンビニにわざわざ行ってくれたのはありがたい。
支払いついでだとしても、それは嬉しかった。
わざわざ買いに行ってくれたんだから。
でも、買ってきたのは家族好み。
家族にケーキが食べたいと言ったのに、
「ケーキ買うよりよっぽどいい」?
真面目に、あとで自分でコンビニに行って、
自分好みのスイーツを買うか迷う。
それくらい腹がたった。

行ってくれたところまでは、少し嬉しかった。
行ってきてくれたんだ!と思った。
でも、買ってきたものを見て愕然。
自分が食いたいもの買ってきてんじゃん。
これだよ。形ばっかり。
それで喜べと言われても喜べなかったから、
否定も肯定もしないで済ませた。
何も言わなかった。

自分で買おうと思ったピザや寿司も、
気持ちがこもっていないと気づいてやめた。
私は私が生まれてきて嬉しい!の一言気持ちがこもっていれば、
ごちそうがなくても贅沢がなくても、とっても嬉しいんだと気づいた。

でも気持ちがないのに形ばかり、ものばかり、行為ばかりそれっぽくして、
「やってあげました」っていうのが、最悪に気分が悪いと気付く。
それで感謝しろ、感謝しているよね、自分いいことしたわ、みたいな、
おしつけがまし〜態度を取られるのが一番キライ。

これだよ、うちの家系のカルマは。
まあそんなカルマをもっている家なんてザラにあるんだけれど、
うちは形ばかり親孝行とかその人の幸せのためって言ってそれっぽくして、
感謝や愛を求めるの。

形だけのくせに愛を求めるの。
愛がないくせに愛を求めるの。
気持ちが悪い!!
もらっていないものは返せねーんだよ!!

怒りをぶつけるために人をゴミ箱にして!
自分の食いたいものを買ってきて「あなたのため」?
何いってんの?バレバレすぎて気持ち悪いんだけど!


私もそういうところあった。
これすれば喜んでくれるよね?

って家族のためにっていう理由で墓参りしたり。

これだけ先祖供養したんだから私にいいことあるよね!?

って先祖に期待したり。

あなた好みのファッションをしたから
あなたも私の言うことを聞いてよね!

とか。

全く気持ちなんてなかった。
愛なんて知らないし感情も知らなかった。
感情が幼児期に完全に失われていた。
なんにも知らなかった。瞑想も、セドナメソッドも。
エイブラハムを知ってからもうまく扱えなかった。

第一、相手のこと、私、嫌いだったし。
気持ちなんてこもるわけがない。
そういうのってバレるんだよね。
形ばっかり身体を重ねても、
それってお相撲さんのぶつかり稽古みたいなものだけれど。
けれどそんな神聖なものでもなく、
お粗末で貧相な愛のない気持ち悪い行為だった。おえっ。

むかし、女子大生が当時付き合っていた男性から、
ブランドものばかり贈られていた事件があった。
高価なものばかり贈って気持ちがこもっていなかったのに、
犯人は形のない愛を求めていた。
自分は形のあるものばかり贈っていたのに、
自分が与えられないものよこせと。

自分にないものを女性から奪おうとしていた。
そういう人って相手が気分よくしてくれることが愛だと思っている。
そんなわけないのに。そういう勘違いをしているから形を取り繕えば愛されると勘違いしている。だから愛なんて受け取れない。

愛されていることにも愛がなにかも気づかない。
感情が死んでいるから。
感情のなかにいっぱい怒りや悲しさやいろんな感情が抵抗としてつもりつもっているから。
それを取り除いてくれること、
気分よくしてくれることを求める人に愛はわからない。
他人が気分を良くしてくれるものだって期待している人には絶対に、
愛はわからない。

事件の最後にその被害者の女性は、
犯人が依頼した第三者によって事件で亡くなった。
似たことがシンガーソングライター刺傷事件でもあった。
犯人が女性歌手に高価なものを贈り、

受け取った女性は愛を返してくれないと逆ギレして犯行に及んだんだ。
愛なんて与えていないのに、愛されたい愛されたいと要求し続けた末の反抗だ。それにそういう人を引き寄せる人にも、とっても残念だけれど我慢したり自分を傷つけて怒りを発散しがちな癖とか、原因があったりする・・・。

身内なら断りづらいものもあるかもしれないが、
ありがたくないものは受け取らないに限る。
気持ちのこもっていないものなんて「怖い」だけだ。
私の行為や心理も、前述した犯人たちの心理に共通した部分があった。
これだけ払ったんだから払えよ、って。
考えてみれば恐ろしい心理だ。
自分で自分を愛せないからって、形ばかり愛しているふりをして、
「愛してくれ、愛してくれ」って、恐怖過ぎる。そして重い。
そんな承認欲求は強すぎた。そんなやつに愛は受け取れない。
愛して欲しいと思った時点で自分を愛していないから、
自分を愛していない人は絶対に愛を感じられない。
どれが愛かわからないから。感情が死んでいるから。
どれが愛で、どれだ恐怖で、どれが怒りか喜びかもわからないから。
だからモノばかり尽くして与えて、
形ばっかり愛しているフリして愛して欲しがる。
形や心がこもっていても、彼らは愛がわからないから、
「相手が接待のように自分の気分を良くしてくれるものだけが愛」
だと思い込んでいる状態の人には通じない。
感情が死んでいる人に感情の頂点にある愛なんてわかるわけがないんだ。

愛のないものは受取拒否!それに限る。
無理して喜ぶなんてご法度!
自分を我慢させちゃまた我慢させたがる人がやってくるから手放す。
これはもうほんとう。
我慢していると人をゴミ箱扱いするゴミが近寄ってくるから。
我慢は手放す。ひとりで感情を手放すスキルをもっておくと、
人生のどこででもとっても助かること請け合い。

嫌だともったら直感で断る!もとよりそういう人が寄ってこないように、
セドナメソッドで抵抗を手放しておけば、こういった人も現れなくなる。
つけこまれる要素があるからつけこんでくる人がやってくるけれど、

怒りや恐れを我慢しないで「ひとりででも出せる(自分で感情を処理できる、自分が与えたものは相手から返ってくることを理解している)」人だったら、基本的にそういう人から避けていってくれる。


まあそういう気付きがあって、ピザも寿司もやめた。
ものばかりで祝おうとすることに反感を感じるからやめた。
気持ちがこもっていないからやめた。
贅沢することがお祝いじゃないものね。

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