【セドナメソッド・コツ】 「やりたい」ときの「やっちゃいけない」抵抗を手放す

やりたいとき。

「やっちゃいけない」抵抗がある。


たとえば、

花壇を踏み荒らしたいとする。

”常識”で言えば「やっちゃダメ!」と思うだろう。


そこをあえて「やっていいよ!」と許す。

抵抗の解放ワークを使って、

「やっちゃいけないと思っている抵抗の方を手放しますか?」

と質問する。


「やりたい」気持ちを手放すのは抵抗が強い。

でも、

「やっちゃいけない」ほうを手放すのって気持ちがいい。

実際にやるかどうかは解放してみればわかる。


私は家族をやっつけたいと思った。

虐待された怒りをその行為で解放できると思ったから。

「やりたい」だったので、「やっちゃいけない!」も当然あった。


私は「やっちゃいけないと思っている気持ち」のほうを解放した。


結果は、やっていいんだ!でも、「やりたくない」に変わった。


やりたくない!にも抵抗があって、

この抵抗を手放したときに「やりたいこと(やっていること)」が見つかる。


私の場合は、家庭円満がいいから、やりたくない。

私は家の中が和やかなのが好きだから、家庭の中で不満をぶちまけることをしたくない。

だから家の中でなら、親にも家族にも不満をぶつけていいんだと思っている、

とうてい家庭向きじゃない叔母が来られるととっても迷惑だったことにも同時に気付いて解放が起きた。


叔母や母親や祖母は、家庭の中で不満をぶちまけてもいいと思っている人たちだった。

私は解放まえ、彼女たちをやっつけたくってしょうがなかった!!

でもいくら解放しても解放してもその気持ちが残ったままだった。


そこで私は逆説的に「やってはいけない」を手放した。

人間は常識に縛られやすいし、「やるな」と言われると、やりたくなくてもどうしようもなく「やりたくなる」生き物だ。

なら試しに、自分のことは自分で制御できるんだから、

「やりたい」と思ってとどまっていることを、「やっていいよ!」と許すために抵抗を解放してもらった。


「やってはいけない抵抗があるからやりたくなるんだろう」

とは解放のときに思わなかったけれど、

抵抗の解放をしているときに「(常識的に)やっちゃダメ!」と抵抗している気持ちを発見したので、試しに「やりたい」を「やっていい」と許可したらどうなるかやってみた。


結果としてとてもいい解放がおきた。

「やってはいけない」「やりたい」を許可するために抵抗を手放したら、危ない「やりたい」ことが「やりたくない」に変わった(抵抗ないようによっては「やろう!」になることもあると思う。抵抗がないぶんだけ波に逆らう感じもなくなって、軽やかに行動できるようになっているはずだ)


「家の中で不満をぶちまける甘え方をする人が嫌い(叔母みたいに親孝行渡渉して過程の中をぐちゃぐちゃにしに来る、親を奴隷扱いする人が大嫌い!)」

「私はひとりで不満を処理して、言いたいことは言うなりお願いするなりする」

「だけど嫌な甘え方はしたくない。そういう甘え方でもいいよ!って人もいるけれど、私は家庭の中を不満で充満させたくないの。笑いや活気にあふれていたいの。不満をぶちまけずに家庭円満な努力をしたいし、そういう人と家族でいたい」


こういうふうに望みが明確になった。

エイブラハム・ヒックスで言う、コントラストだ。


ちなみに「しなきゃいけない」「やらなきゃいけない」も抵抗がある。

「〜でいたい」とか「〜がいい」とかも抵抗になっていることがあるから、これも手放す。

私なら「活気に満ちた家庭がいい」で「やりたい」になっている。

私は家庭に強い憧れや理想があった。それに執着していた。

「こうでなくてはいけない」も自由を妨げてしまうので、解放した。


ここから出ていけば良い家庭を築けるんじゃないかと思っていたし、

良い家庭を築けないのなら結婚したくないとも思っていた。

家庭っていうのもひとつのコミュニティで色んな人がいるから、自分の思い通りに動いてくれるわけじゃない。

家庭を安住の地にしたくても、そうはならないこともある。

家族も家庭も永遠じゃない。不変でもない。

私は家族や家庭を築くことを生きる支えにしようとしていた。

でもこれだと、不自由が生まれることがある。


「やりたい」

「やりたくない」

「しなきゃいけない」

「それはいけない」

こういったものには制限がかかっている。

抵抗がある。一度手放してなにがほんとうの望みか解放してみる。


「自分はこれがいいんだ」

「自分がこれがほしかったんだ」

「自分はこれが好きだ」

「自分はこうしたかったんだ!」

などがわかって解放されたら、

いままでよりも軽く行動できる。

執着は身体を重くするし、やってはいけないとかやらなければも身体を重くする。

そしてやりたくもないことをやって後悔したりする。

そうするまえにワンステップ置くだけで、結果は全くちがう内容になった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?