四天王の中でも最弱と言える優しさ

東大、慶応、早稲田、明治、立教、法政による「東京六大学」という枠組みがあるが、実際には時々開催されるスポーツイベント以外で六大学、六大学!俺たちは六大学!と盛んに言っているのは悲しいことに大体実力、人気両面で大きく差をつけられた明治、立教、法政側である。東大生が「六大学の一つ、東大!です」とわざわざ紹介することは恐らくかなり稀であろう。言っていたらそれは渾身の東大JOKEなので察して適切にご反応をお願いしたいが、東京大学にとっての六大学とは時々ソフトボール大会などにお付き合いで参加するときだけに入ってたんだと自認する業界団体のようなものだと推測される。
慶応、早稲田にしてもそもそも単品でもブランド力があり、しいて言えば慶応・早稲田のセットで語られる方が多いわけだから、六大学というのはまるで毎回明らかに上三つと下三つに実力が分かれるW杯アジア最終予選のようなグループのよう。確かに死の組!俺たちは死の組と騒ぐのは大体そのグループの下の側である。
こういう大学の枠組みの話は関西の関関同立、または「旧帝大」というもはや誰も気にしてない大昔の物語にも当てはまり、そこには常に下の側からの強い要望、または必死の保存活動が行われているはずである。分かりやすく大学を例にしたがこうした例は世の中に恐らく沢山あることと思う。

もはや我が国のインターネットではおじいさん以外は誰も使うことの無くなった「四天王の中でも最弱」というコピペのようなものがある。あるグループに属する一つが負けた事に対し、後に控えている者が「そいつは一番ザコだから勝ったとてぬか喜びだぞ」というある種の余裕の意思表示をする場合の漫画の定型文である。大体この場合の一番目は実力的にかなり劣っているケースが多く、だからいつも「よく彼は四天王に入れたな」という疑問が伴うわけだが、同時にそんな実力の劣った人にもちゃんと死後もしっかり「四天王」と呼んであげる残りの皆さんの優しさに触れると、普段は「六大学」とは決して名乗ろうとしない東大、慶応、早稲田とはなんと心の狭い大学なのかと(狭き門だけに)俺は思っちゃう次第である。
※大学の実力に関する記述は当事者(OB)という事で失礼お許しください

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