紙がもったいない
子供の頃、紙っていうのは木が人間により紙にされてしまった時点で既に「もったいない」が確定状態なのだから一人ひとりが紙を大事にするとかそういう小さい話と関係ないのではないかとちょっとよくわからない理論をベースにそういうことを真剣に思っていたことがある。実はいまも少し思っている。無駄に使わなければ当然遡って原材料である木も余計に切られないという計算は立つのだが、多分だけど、この森はこの木を使って紙にしちゃう!だからこの木をなぎ倒してこっちの木を植えちゃう!と決まった時点でもう僕らは止められないんじゃないか、その方針が出た時点でもったいないは確定していると、何となくそういう無力感があって素直に紙を大事にしようという気持ちが起きない。一応しているけど。
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