ぼくのものがたり〜高校1年生〜
遂に高校生に。
新しくてカッコいいブレザーの制服に袖を通し。
休みのうちにネクタイの結び方は練習した。
小中とサッカーを切磋琢磨したあいつも同じ高校へと進学していた。
中学時代に仲の良かった男の友人はほぼ同じ高校にはいなかった。
新しい高校は家のすぐ近く。
自転車で運が良く信号に捕まらなければ3分くらいで着く。
両親が仕事に行き、妹が通学した後、8:30の通学時間に合わせて、8:20くらいに一番最後に余裕を持って家を出る。
家の近さもあっていつもギリギリの遅めの到着だった。
朝ごはんはサッカーの試合の日くらいしか中学くらいからあまり食べなくなっていた。
朝起きて気分が乗らずに眠い中、なにかを食べて腹に入れることが気持ち悪くて嫌いだった。
朝バタバタしたくないから余裕を持って目覚め、顔を洗って歯を磨いて、寝癖がついた髪の毛をビシャビシャに濡らして、ドライヤーでセットしながらワックスで髪を整える。
コーヒーを飲みながら出発の時間が来るのを待つのがいつものルーティン。
これでいつものぼくの完成。
髪は相変わらず長めで当時は前髪をチョロンとおろすM字バングが流行っていて、それがぼくの代名詞。
入学すぐの最初の頭髪検査で引っ掛かり、まあ怒られない程度に受け流し。
高校生にもなって色々と口を出すなよ。
容姿は高校生にとっては命なんだ。
みんな、みんなからどう思われるか、女の子は可愛いを、男はカッコいいを、みんな必死で演出している。
そのレースに参加していないやつは陰キャラ認定で、楽しい青春を謳歌することは難しいだろう。
ヤンキーじゃなくて、適度にチャラい、クールでかっこいい感じを演出していた。
ローファーも指定のものを履くわけもなく、ちょっと先のとんがったかっこいいやつを。
ネクタイは結び目はギュウッと締め小さく、第一ボタンは閉めるわけもなく、ネクタイは緩めに少し下げて、下品にならないくらいの腰パンで。
後ろにパチンとボタンがついている簡易式のネクタイもあった。
ネクタイを締めることはなく、ボタンでパチン式なので第一ボタンを閉めなければならない。
あんなものをつけているやつはかわいそうだなあ。
高校生の容姿は命だ。
女の子は必死で可愛いメイクをしているし、眉毛を細めに整えて、パンツが見えるギリギリまで短く追って履いている。
もちろんスタイル維持で、太らずスレンダー系。
ぼくは中学くらいからニキビに悩まされていた。
触ったり潰してはいけないが、気になる。
薬を塗ったり飲んだり、ひどい時にはコンシーラーなんかをつけていた。
さて、部活。
知っている小中の2個上の先輩もいたこともあり、もちろんサッカー部に。
実は、中学の卒業間際に高校ユースへの昇格を打診されていたが、断った。
正直、高校ではサッカーを真剣にする気があまりなかった。
中学の部活サッカー部は割とゆるゆるで、部活を知らなかったぼくはそのイメージしかなかった。
サッカーはまあ好きなので、適当に楽しくやりつつ、友達とカラオケに行ったりして部活をサボって遊んだりして適当に青春を謳歌するつもりだった。
それに自分のサッカーの実力(将来)もわかっていた。
結局、鳴かず飛ばずで夢見たプロサッカー選手になれるのは夢のまた夢。
プロ選手になれたとしても活躍できるのはほんの一握りだし、プロになれば遠征や移動が増え、大好きな人と結婚したってなかなか一緒にはいられないのも嫌だった。
ぼくはなにより愛されたかった。
中学時代2人の彼女らしい人はいたが、好きになった人と付き合ったわけではなかった。
向こうから好きと言われ、なんとなく。
好きと言われると好きになるタイプ。
他に好きな人もいたが、うまくアプローチできずに自分が好きになった人と付き合ったことはなかった。
サッカーの話に戻す。
適当にサッカーを楽しみたくて、サッカー部には無事入部。
ジュニアユース出身という噂はすでに回っていて、それなりに期待されていたのだろう。
数年前にゴリゴリの熱血サッカー指導者の先生が顧問となっていた。
思っていた部活生活ではなかった。
結構ガチ。
走り込みや筋トレもたくさんあった。
中学時代の経験があったからまあついていけたが、思っていたことと違って辛かった。
同級生の新入生は10人ほどだった。
小中一緒のあいつも一緒だ。
2個上の3年生の先輩は8人ほど、一個上の2年生の先輩は20人弱くらいいたのかな。
入部して1ヶ月ほど、サッカー部でちょっとした事件が。
ボールがなくなったとかなんとかだった気がする。
そんなん、知らねーよ。
なんやかんだで全員"坊主"にすることになった。
おいおい、まじかよ。
ぼくらは全く関係ないことだったが、連帯責任というやつで入学してそうそう坊主にさせられる。
高校生にとっては容姿は命だ。
坊主にすることが確定している野球部ならともかく、ぼくからしたら全くの予想外。
それに適当にサッカーがしたかっただけなのに。
入学して早々に、高校デビューしたばかりなのに、なんで坊主にしなければならないんだ。
ここで坊主にしたら女の子にキモがられ、ぼくの高校生活は終わるだろう。
彼女なんて夢のまた夢となり、モテることは今後なく、つまらない3年間を過ごすことになるだろう。
それに坊主にしたからといってなにがわかるんだ、ただの恐怖政治だった。
坊主にしたくない数人の部員は辞めていった。
残っても坊主にしない先輩は数人いた。
新入生もそれで半分くらい辞めてった。
そりゃそうだろ、高校生の坊主はなかなか酷なことだ。
それにぼくは昔の坊主コンプレックスもあった。
小学校の卒業アルバムは丸坊主だ。
どうするか。
辞めるか、坊主にせず残るか、坊主にするか。
少しして、同級生の部員と学校帰りに美容院に行って坊主にした。
少し反抗して丸坊主ではなく、モヒカン風にしてオシャレ坊主な感じにした。
次の日、学校に行くのが本当に嫌だった。
どうしたの?触らせて。かわいいじゃんといじられ、みんなの視線がマジで痛かった。
適当に楽しくサッカーをするつもりだったのに入学早々に高校生の命である容姿を犠牲にして、坊主にしたかはよくわからない。
坊主にしない先輩には心底腹に立っていた。
とにかくぼくにはサッカーしかなかったのかな。
もうどうにでもなれ、と。
少し投げやりになっていたのかもしれない。
坊主にしてすぐ入学ちょっと立った後の研修旅行なるものがあった。
入学してみんなで仲良くなりましょーねー的なレクリエーション行事だ。
その初めての行事の集合写真は坊主だ。
この時点で夢見たぼくの甘い高校生活はもう終わったも同然に思っていて、やはりサッカーをするしかないと思っていた。
もう十分長いが、やはり歳を重ねるにつれて記憶もよく残っていて、密度も濃くなってくるのですごく長くなる。
誰かに読んで欲しいわけでもなく、誰かに向けて書いているわけでもなく、ただの記録用として書き記してるだけなので、あしからず。
さて、坊主の高校生活がスタートした。
同級生のサッカー部員は坊主事件で半減して5人に。
ぼくら昔から同級生が少ない星の下に生まれているらしい。
サッカーは11人でやるスポーツである。
小中一緒のあいつら坊主にしたがその後すぐに辞めて、結局ユースに行ったらしい。
じゃあ、なぜ坊主にしたのかぼくは疑問だった。
熱血顧問のお陰で、走り込みに筋トレ、厳しい練習の日々。
走り込みと筋トレがぼくは大嫌いだった。
サッカーやりてえんだよ、ぼくは。
筋トレは腹筋系のみ真剣にやり、他のは適当にサボってた。
走る系もほどほどに手を抜きながらやってた。
朝練もあったが、家が近いとはいえ、ぼくは朝が弱いのでほぼ行ったことはなかった。
太陽が昇る前から身体を動かすなんて人間のすることではない。
ましてや学校行く前に汗びっしょりになるなんて正気の沙汰じゃない。
坊主頭を伸ばしつつ、ルックスには人一倍気を配っていたような人間だった。
初めての大きな大会ではベンチ入りすらできずに、試合のビデオを撮る係だった。
悔しいような悔しくないような。
ちょっとスピードアップ。
勉強はまあそこそこ上位に位置しつつ、夏合宿をしたり、友達もたくさん出来て、それなりに楽しい日々を送っていた。
ぼくはいじめられた経験がない。これは本当に良かった。そこそこの人気者で、まわりには恵まれていた。無視されたり、嫌がらせを受けたことが今まで一度もない。
それなりに人当たりは良く、八方美人的な感じだ。
逆にいじめたこともない。自分がされたら嫌なことを基本他の人にはしない。もちろん好き嫌いはあり、嫌いなやつもいたがいじめたことはない。
部活の話に戻す。
夏を過ぎたあたりから、ぼくは1年生ながらレギュラーへとなっていた。
中学時代にポッキリと折れた自信も次第に回復してきて、それなりに楽しくなっていた。
ぼくのサッカーは中学で一回終わった。親もそれをなんとなく理解していて、高校でまた花開くとはあまり期待していなかったらしい。
逆に妹は小さい頃からサッカーをしていたこともあり、日本代表クラスの選手へとなっていて、遠征に行ったりしていた。
高校の部活とはいえ上下関係はあんまり厳しくなかった。先輩たちとは仲が良かった。
なんならタメ口くらいな感じだった。
1年でレギュラーだからといって嫌がらせや嫉妬されることもなく良い関係を保っていた。
昔から上下関係に厳しい環境に置かれたことがなく、ラッキーだった。
だが、部室を使わせてもらうことはなかった。
サッカー部の部室は2つあり、各部屋を2,3年生が学年ごとに占領していた。
ぼくら1年は部室の前の外で着替えたり。
ジュニアユース時代は曜日ごとに違う高校のグラウンドや公共施設なんかでの活動だったので、部室なんてもちろんなかった。
外で着替えたりなんて当たり前だった。
サッカー部の隣の部室は、県内でも珍しいラグビー部の部室だった。
部員はとても少なく他の高校と合同でなけれぼ試合にも出場できないくらいの弱小ラグビー部。
高校でラグビーをする人はどういう神経なんだろう?
サッカーやバスケは高校スポーツでは花形である。野球は坊主だが、甲子園という夢もある。
なのにラグビーって臭そうだし、身体痛そうだし、モテなそうだし、なにが楽しいんだろうって思ってた。
ただ、そのラグビー部の一個上のマネージャーがとても可愛くてぼくのドタイプだった。
いつしかその先輩に恋をしていた。
たまに部室で会う程度。
それに彼氏がいるらしい。
聞けばラクビー部の先輩と付き合っているらしい。
なんで?そのコと同じクラスの一個上のサッカー部の先輩もいたが、その先輩相談するのはいただけない。なによりこの恋心がバレてはいけない。
同級生で割と仲の良い友達がラグビー部にいた。
野球やってたのになんで高校でいきなりラグビーデビューしてんだこいつは?
そいつにそれとなく話して、そのコのアドレスをゲットした。
入学当初にした坊主頭もすっかり伸び、代名詞のM字バングもその頃には復活していた。
気になるあのコは彼氏がいるが、ちょこちょことメールをするような仲になっていった。
そのコは当時大好きだった大塚愛にどこか似ていて細くてちっちゃくてちょっとギャル風な感じのコ。
そのコからのメールの着メロは大塚愛のチューリップにしてたのを覚えている。
自分から好きになったコとうまくいったことはない。恋には奥手な男の子だった。
そのコとは会ったら挨拶をする程度。
グラウンドが一緒だったし、その頃にはレギュラーで中心選手となっていたので張り切って頑張っていた。
そんなこんなで月日は流れ、3年生最後の大会。
負ければ3年生は引退だ。
県内ではベスト4くらいの実力だったが、割と早々に2回戦くらいで割と強豪校とぶつかって呆気なく負けた。
その日、それまで絶対的なエースとして君臨していてぼくとツートップを組んでいた10番の先輩からユニホームを受け継いだ。
俺の次の10番はお前だろ、と、嬉しい言葉をかけてくれた。
一個上の先輩には申し訳ない気持ちもあったが、みんなが認めてくれ、なにより直接もらったのだから、僕はその日以降10番を引き継いだ。
意外にも真剣に取り組み始めて良い結果が出ている感じなサッカー高校ライフだった。
話は変わって高校1年のバレンタイン。
相変わらず、ラグビー部の先輩に恋していた訳だが、バレンタインチョコをもらえるはずもなく、その日もサッカーの練習。
高校生の男にとってバレンタインはやっぱりココロオドル。
髪型や服装はいつにも増して完璧にして、朝からソワソワ。
靴箱チェック、机の中を何食わぬ顔で出で漁ったりするものだ。
けど、特になにもなかったな。
呼び出しもないし、まあ、こんなもんかと。
で、放課後部活の時間に。雨が降っていてグラウンドが使えなかったので、外を走り込みだったな。
着替えて、走り込みのウォーミングアップをしている時に、同級生のコから声を掛けられた。
サッカー部みんなの前でめちゃくちゃ恥ずかしかった。
たぶん一日中タイミングを見計らっていたが、なかなか声を掛けられず、放課後になってしまい、最後の最後のチャンスだと思ったのだろう。
そのコは同級生の中ではトップカーストに属するコで、どこか新垣結衣に似ている雰囲気があって、それとなくぼくへの好意は耳には入っていたし、気にはなっていた存在だった。
ただみんなの手前もあり、それに、相変わらず女の子とのお喋りは苦手だった。
練習中だったこともあり、ありがとう、と言って受け取りはせずに、靴箱に入れておいてと伝えただけだった。
ドキドキしたことを覚えてる。
みんなにいじられながらも、時間が来て、走り込み走り込み走り込み、雨の中ビショビショになりながら。そして、筋トレルームで筋トレ。屋根のある体育館脇でボール練習。
帰り際に靴箱で無事回収して、そのコにありがとうメール。
告白されたわけではない。
ただ、バレンタインにチョコを貰っただけだ。
ホワイトデーには適当にコンビニで購入したぬいぐるみ付きのお返しをあげた。
バレンタインもらった人には必ずお返しするのがぼくの流儀だった。
そのコはぼくの返事を期待していたかもしれないが、気にはなっていたがぼくはそのコと付き合うつもりはなかったので、特にアクションはせず。
もちろん、付き合うこともなく。
高校を卒業して以降、会うことはなかったけれど、聞いた話だとそのコは結婚して幸せに暮らしているようだ。
高校1年はこんな感じかなあ。
やる気のなかったサッカーに意外にも励みに励み、入学早々にまさかの坊主になり、恋をしたり、楽しい日々を過ごしていた。
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