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近すぎると見えなくて、綺麗すぎると怖いもの

綺麗なものは遠くにあるから綺麗。「Superflyの愛をこめて花束を」の歌詞。

桜があまりにも綺麗で、怖い。森見登美彦さんの「新釈 走れメロス」のうちの一作品で、主人公は人気(ひとけ)のない場所に咲く満開の桜を見ると恐怖を覚える。

どちらも綺麗について表現しているけど、前者は自分にとって綺麗なもの(=憧れの対象、純潔で汚れのないもの、理想)は、その対象に近づくにつれて微かな違和感や幻滅を覚え、汚らわしいと感じる。つまりほどほどの距離から見ている今のその状態が一番綺麗っていうこと。ちなみにここでの『近づく』の意味としては、物理的と心情的のどちらにも当てはまる、と思う。あと、この言葉の芯の部分に関しては決してマイナスな意味合いじゃない。これだけは絶対、確信。絶対って聞くと、絶対女の子♪絶対女の子がいいな♪って大森靖子の曲が脳内再生される。メロディが綺麗で聴いてて心地いい。
後者、満開の桜の方。新釈走れメロスの中で、人気(ひとけ)のない静かな場所で見る桜がどうも怖い、と主人公は言う。そこで出会った1人の女性は、艶やかな髪の間から陶器のような肌を覗かせ、美人で整った顔を主人公に向ける。彼女との出会いから別れまで書いていて、最終的に桜に対して恐怖心は薄れず、彼女をも怖いと思ってしまう。本作では言及されてなかったけど、出会った彼女は満開の桜のように可憐で美しく、主人公は完璧すぎるものに対しての不安感や不信感が最後まで拭えなかったのだと、私は解釈した。
だって完璧すぎるものが側にあったら、自分のことが不安になる。真っ直ぐな美しさは自分が揺らぐ要素になってしまう。だから言ってた、君は何も間違ってない。間違ってたのは僕だって。

綺麗なものは時に鋭く光る。近くにあると尚更。今年6冊目の小説だったけど、なんとも言えない苦しさ身に沁みて、体の中の感情のスペースがぐっと広がったような、とっても綺麗な作品だった。また読みたい


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