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私の超人ばあちゃん

私のばあちゃんは東北の果てで生まれ育った。
いまもじいちゃんと従姉妹家族と一緒に暮らしている。

生まれた瞬間こそ東北の産婦人科にいたけど、育ちは関東圏の私がばあちゃんに会えるのは、年に一度の年末年始。

ユーモアに富んでいて、所謂「普通」とはちょっと離れた、そんな数々の逸話を持ってる私のばあちゃんの話。

そもそもどうしてばあちゃんのことを書こうと思ったかという話だけど、ついこの前ばあちゃんの誕生日だったから久々に電話をしまして。今日誕生日だったよね?って私の問いかけに衝撃の発言をぶつけてきた。何やら歯切れ悪くもごもご言ってるから、今日だったよね?ってもう一回聞いてみた。そうしたら、天皇誕生日と一緒がいいからという理由(実母調べ)で、「本当は22日だったけど保険証を変えてから23日になった」と言い張っていた。ばあちゃんの誕生日は保険証切替のタイミングで変わっていた。

他にも。私が中学の頃に書いた書き初め(学校に提出するに至らなかった二軍の作品)を、鶴の剥製とか高そうな壺が整然と並べられている、ばあちゃん家の中でも一等地の場所のど真ん中に飾る。

買い物にでかける時は大抵自転車で、カゴにどデカいポスター型のカレンダーをレジ袋無しでつっこんで持って帰ってくるから、壁にかける頃には紙がよれてみすぼらしく、毎年年末に見る来年分のカレンダーはいつも端が折れていて汚い。

大型銭湯の露天風呂で居合わせた人とは必ずともだちになって帰ってくる。旧友みたいな空気感を3秒で作り上げる天才で、こんやの大雪警報とか春先に控えた畑仕事のことを、隣の家のおばさんとたまとま会ったみたいに談笑する。

ばあちゃんとの連絡手段は実家の固定電話。月に2、3度、夕飯時に電話が来ることが多く、野菜を触った手を拭きながら受話器を取ると、開口一番「ご飯詰めしっだ?」と聞かれる。
ごはんづめ…ごはんづめ?と毎回聞き返すくだりがあるのに懲りなくご飯詰めしたかどうか聞いてくる。東北のごく一部の方言。毎度のことなのにいつ聞いても懐かしくなる。


そして私は、幾度となくばあちゃんと話してきて一度もばあちゃんが話す全文を聞き取れたことがない。


そんなばあちゃんも今年で90歳。

大好きなばあちゃんとあと何度電話できるか、是非とも長生きしていただきたい。


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