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無理に承知させられた【聖書研究】


《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録16:11〜15

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

宣教者パウロとその仲間たちは、夢に出てきたマケドニア人に、イエス様の教えと業を語るため、トロアスから船出して、マケドニア州の第一区である、フィリピの町へ訪れました。この町はローマの植民都市で、ヨーロッパで、最初に教会が建てられた場所として有名です。
 
ところが、パウロとシラスがやって来た当初、この町には、ユダヤ人の集まる会堂さえありませんでした。いつもなら、新しい土地へ入ったときは、必ず、ユダヤ人が礼拝する会堂を訪れ、そこから宣教を始めていました。会堂は、ユダヤ人の成人男性が10人もいれば建てられましたが、この町には10人もいなかったようです。
 
代わりに、神をあがめる女性たちの集まっていた「祈りの場所」が、町の門を出たところの川岸にありました。どうやら、ユダヤ人男性は少なかったものの、神様を信じて礼拝する女性たちは何人かいたようです。しかし、女性たちのために、会堂を建てようとする人は現れず、彼女たちはいつも、外に集まって、みんなで祈りを合わせていました。
 
さて、パウロたちは、安息日になると、女性たちがいる祈りの場所へ訪れて、自分たちもそこに座り、イエス様の教えと業について話し始めました。けれども、よく考えると、町の外からやってきた男性が、女性たちの集まっているところへ、急に入って話しかけるって、けっこうリスキーな行為です。
 
近東からヨーロッパへやって来た外国人ということで、ただでさえ警戒されそうなのに、女性たちが静かに祈りをささげる場所へ、いきなり入って話しかける……そんなおじさんが現れたら、誰かが通報するかもしれません。そもそも、初対面の男性が、結婚している女性に公然と話しかけるのは、まあまあタブーな時代でもありました。
 
実を言うと、ヨーロッパで展開された最初の宣教は、周りから見ると、「大丈夫かな?」と心配されそうなスタートでした。そのまま突っ走れば、すぐにトラブルが起きそうに見えました。パウロたちは、文句なしに、上手くやれていたわけではありません。むしろ、このリスキーな接触が上手くいったのは、リディアという女性の存在があったからです。
 
彼女は、ティアティラ市出身の紫布を商う人で、おそらく、祈りの場所でみんなを世話するリーダーのような存在でした。紫布を扱う商人は、かなり裕福な家を意味しました。町の門から出たところで集まっていたこともあり、彼女は自分たちを襲う人がいないか、女性たちが安全に過ごせるか、普段から警戒していたでしょう。
 
その彼女が、近東から来た男たちに話しかけられ、追い出すことも、人を呼ぶこともなく、冷静に話を聞いたのは、驚きに値します。異なる人種、民族に対する偏見や差別感情が、今よりもずっとあからさまだった時代、彼女は冷静に、パウロたちが自分たちと一緒に座ることを許し、他の女性たちも安心して話を聞けるよう、場を取り仕切りました。
 
おそらく、それがなければ、ヨーロッパで最初にできた教会は建てられなかったでしょう。決して、パウロの手腕があったから、フィリピに入ってすぐ伝道が上手くいったわけではありません。むしろ、使徒言行録は、パウロの手腕によってではなく、「主が彼女の心が開かれたので」話を聞いて、心から信じ、他の者も仲間になったと明記しています。
 
さて、リディアは自分だけでなく、家族も一緒に洗礼を受け、パウロたちにこう願い出ます。「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」丁寧な物言いですが、非常に断りにくい言い方です。実際、パウロたちはそうやって、彼女から「無理に承知させられた」と告白しています。
 
もう少し、正面から訳すと「強要した」という言葉です。実は、新約聖書で同じ言葉が使われているのは、ルカによる福音書24:29だけです。それは、エルサレムからエマオへ行く途中、復活したイエス様に出会った2人の弟子が、本人と気づかずに話し込み、「一緒にお泊りください……もう日も傾いていますから」と「無理に引き止めた」ところです。
 
「無理に承知させた」「無理に引き止めた」……一見すると、その強引さは、弟子たちに、イエス様に、迷惑な態度に思えるかもしれません。しかし、信仰とは、イエス様を無理に引き止める、「一緒に居て」と無理に承知させる、子どもが駄々をこねるような、純粋な、願いの塊でもあるんです。
 
「もう少し、一緒に居てください」「まだ、話を聞かせてください」「私のところへ泊まってください」……強引に、イエス様を引き止めた場所、弟子たちを泊まらせた場所、そこが、教会の出発点になりました。もともとの計画では、すぐ違うところへ行くはずだったにもかかわらず。
 
パウロとしては、本当はすぐ、次の場所へ行きたかったかもしれません。夢に現れたマケドニア人の男性を探したかったかもしれません。しかし、リディアが無理に承知させたことで、パウロたちはフィリピに数日間滞在し、占いの霊に取り憑かれている女奴隷や、牢に囚われていた囚人たちと会い、たくさんの者が洗礼を受けました。
 
はたから見れば、それを神の導きや恵みとして受け取る人は少なかったかもしれません。リディアが引き止めたから、パウロたちはその町で女奴隷に絡まれ、主人たちに目をつけられ、鞭で打たれて投獄されます。迷惑なことをしてくれたと、恨みを言う人が出てきても、おかしくありません。

しかし、いずれの出会いも、パウロにとって、弟子たちにとって、迷惑ではありませんでした。彼らは悟ります。「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」……夢の中で、助けを求めていた人はここに居た、彼女が引き止めて出会わせてくれた、私の意志や思い込みを超えて、神様が行くべき道を開いてくれた。
 
教会の伝道は、私たちの宣教は、思いどおりにはいきません。ときに、誰かに引き止められ、強く願われ、当初、計画していた方向とは違う道のりが始まります。しかし、先へ行こうとする私たちを、無理に引き止め、無理に承知させる、人々の切実な声と願いは、神様が、最初から、そこへ訪れるよう決めていた、教会の出発点でもあるんです。
 
華陽教会では、どんな声が聞こえてくるでしょうか? みんなに教会へ来てほしいと願う一方、教会に対して「来てほしい」「訪れてほしい」と願っている一人一人の声を、見落としているかもしれません。言えなくしているかもしれません。今改めて、かつての宣教を振り返りながら、私たちの行くべき場所、訪れる場所を見出したいと思います。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。