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もっと気になるキリスト教(1)【キリスト教ABC講座】

聖書の内容やキリスト教に関する知識をQ&A方式でザックリ説明している講座です。購入しなくても全文読めます。


旧約聖書に関する質問

Q. 聖書には、たった7日間でこの世界が造られたと書かれているんですか?

A. 正確には6日間です。創世記1章と2章に、神が天地を創造し、第一の日から第六の日に世界を作り、第七の日に休まれたことが書かれています。そして神は、仕事を終えて休んだ日を祝福し、聖なる日「安息日」として区別するようになりました。実は、もともと週の初め(第1日目)が日曜日で、週の終わり(第7日目)が土曜日だったので、安息日は土曜日でした。しかし後に、神の子イエス・キリストが日曜日に復活したことを記念して、キリスト教徒は日曜日を安息日として、仕事を休み、礼拝するようになりました。


Q. 「産めよ、増えよ」という神の命令は、異性愛以外を認めないものなんですか?

A. 創世記1章には、それぞれの生き物に対して、神が繰り返し「産めよ、増えよ」と命じる言葉が出てきます。また、1章27節には、神が人を「男と女に創造された」と書かれています。そのため、子孫を産むことのできない同性愛の関係性や、男か女かで表現できないセクシュアリティは、神の創造に反している……と主張されてしまうこともあります。しかし、聖書には、子どもを産むことのできなかった夫婦や、去勢された宦官も、神に造られた存在として大切にされ、祝福される様子が出てきます。また、「男と女に創造された」という言葉も、男か女かで表現できないセクシュアリティを否定するため、拒絶するために書かれたものではありません。神が大切にしているのは、異性愛か、それ以外かという「属性」ではなく「互いに思いやる関係」を築けるかどうかです。


Q. 聖書には、女は男のあばら骨から造られたと書かれているんですか?

A. 創世記2章20節〜25節に、神が男を深い眠りに落とし、あばら骨の一部を抜き取って、その骨で女を造ったことが書かれています。しかし、創世記1章27節には、神が、ご自分をかたどって人を創造し、最初から男と女を一緒に造られたようにも書かれています。実は、創世記1章と2章で、天地が造られていく順番も違います。創世記1章では、様々な生き物のうち、人が最後に造られますが、創世記2章では、人が最初に造られて、あらゆる生き物に名前を付ける役割を持たされています。「どっちの順番や過程が正しいのか?」と思われるかもしれませんが、聖書は、事実をそのまま記した単なる「記録」ではありません。聖書は、神が私たち人間とどのような関係を築いてきたのか、どのように付き合い続けてこられたのか、様々な表現や証言を通して書き表された書物です。繰り返しますが、事実をそのまま記した単なる「記録」ではありません。


Q. アダムとエバは、神との約束を破ったせいで、呪われてしまったんですか?

A. 神に造られた最初の人類アダムとエバは「園のすべての木から実を取って食べてもいいが、園の中央にある善悪の知識の木からは、決して食べてはいけない」と言われていました。「食べると必ず死んでしまう」と神に言われていますが、原文のニュアンスとしては「食べたら死刑だ、分かっているな?」という言い方です。しかし、2人は蛇から「決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知るものとなる」と言われ、実を取って食べてしまいます。結果、2人は約束を破ったことが神にばれ、女は子を産むとき痛みで苦しむように、男は食べ物を得るとき苦労するように、それぞれ言い渡されてしまいます。一方で、もともと「食べたら死刑だ」と言われていたので「約束を破った結果、呪われた」というよりも「これからも生きるよう、恩赦を言い渡された」という方が、正しいのかもしれません。


Q. アダムとエバの子どもたちは、仲の悪い兄弟だったんですか?

A. 聖書には、清く正しい人たちや、模範的な家族の姿が描かれているイメージがあるかもしれません。しかし、人類最初の夫婦であるアダムとエバは、神との約束を破って「取って食べるな」と言われた木の実を二人して食べてしまいます。さらに、アダムは妻に罪をなすりつけ、「あの女が木から取って与えたので食べました」と言い訳してしまいます。そんな2人の子どもであるカインとアベルは、人類最初の兄弟ですが、兄弟間で、最初の人殺しが起きてしまいます。2人がそれぞれ、神に献げ物を持ってきたとき、神はアベルの献げ物には目を留めたのに、カインの献げ物には目を留めなかったため、激しく怒ったカインが、アベルを野に呼び出して殺してしまうのです。カインはその後、弟を殺したのがばれ、神から「土を耕しても作物を作れなくなる」と言い渡されます。彼は「私の罪は重すぎて負いきれません」「わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう」と言いますが、神様はカインの命が失われないよう、しるしを与えて守り続けました。実は、聖書に出てくるのは「模範的な家族」の姿ではなく「次々と黒歴史を生み出す家族」の姿であり、そんな家族から離れることなく、見捨てることなく、付き合い続ける神の姿が描かれます。


Q. 人類初の殺人を犯してしまったカインは、悔い改めて反省し、罪を償ったんですか?

A. キリスト教では、自分の犯した罪や過ちを悔い改めて、神に赦していただいて、新しい生き方に変えられることを求めるように教えられます。この「悔い改め」は、とても大切な教えですが、実は、創世記に出てくる人類の多くは、神に対して「悔い改め」や「反省」や「謝罪」を口にしないことがほとんどです。たとえば、神との約束を破って「取って食べるな」と言われた木の実を食べてしまったアダムとエバは「ごめんなさい」と謝ることも、「赦してください」と願うこともありませんでした。2人の息子であるカインも弟のアベルを殺してしまったあと「わたしの罪は重すぎで負いきれません」と言いますが、亡くなった弟や神に対する謝罪の言葉はありません。過ちを犯しても、すぐには悔い改められず、償いの言葉も出てきません。しかし、カインはその後、ノドという地に移り住み、妻と出会って、子どもが生まれ、息子にエノクと名付けます。さらに彼は、作物が作れない代わりに町を建て、その町を息子の名前にちなんでエノクと名付けます。この「エノク」という名前には、「従う者」という意味がありました。かつて、自分が従えなかった神に「今度こそ従います」という思いを込めて、生まれてきた息子と自分が建てた町に、そのような名前をつけたのかもしれません。彼なりの新しい献げ物です。少なくとも、カインの生き方は、古いまま変わらなかったわけではなかったでしょう。


Q. ノアの箱舟に乗って洪水から助かった人たちは、善良で正しい人だったから、助けられたんですか?

A. 有名な「ノアの洪水」の話は、創世記6章から記されています。そこには「地上に人の悪が増し、常に悪いことばかり心に思い計っている」のを神が見て、心を痛め、人を地上からぬぐい去ろうと決意したことが書かれています。しかし、「ノアは主(神)の好意を得た」と言われ、その世代の中で「神に従う無垢な人」であったと紹介されています。神は、ノアとその家族に、箱舟を作って他の生き物と一緒に乗り、洪水から生き延びるよう命じました。これだけ見ると、ノアとその家族は、善良で正しいから助けられ、他の人たちは悪人だったから滅ぼされた……と感じます。しかし、ノアはこの後、ぶどう酒を飲んで酔っ払い、裸になって眠りこけ、それを見た息子に逆恨みして、孫を呪うような醜態を見せます。「良い人だから救われた」のではなく「正しい人になり切れないけど救われた」のが、聖書に出てくる神に助けられた人たちです。


Q. 現在の地震や津波なども、神が怒って引き起こされたものなんですか?

A. どこかで自然災害が起きる度に「神の怒りが下された」「信仰の少ない地域が罰された」と言われてしまうことがあります。しかし、創世記8〜9章では、神が「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」「この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」と約束し、虹を見る度に、それを思い出すよう促されています。また、新約聖書にも、生まれつき目が見えない人を見て「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」と尋ねる弟子たちに対し、イエスが「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と言って、その人を癒されたことが書かれています。災害や、事故や、病気を見て、安易に「神の怒りが下された」と言うことは、かつて、神が交わした約束を忘れ、イエスが教えた言葉を忘れ、勝手に神を代弁してしまう行為です。被災した人たちを、さらに貶めるような言葉をかけるのは、聖書的でも、誠実な態度でもありません。


Q. バベルの塔が破壊されたのは、人間が神に近づこうとしたからですか?

A. 様々なゲームや映画の題材になった「バベルの塔」は、創世記11章に出てきます。ここでは、世界中で同じ言葉が使われていた時代、シンアルの地に住み着いた人々が、レンガとアスファルトで、天まで届く塔を建てようとしたことが書かれています。しかし、神はこれを見て、彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにして、人々を全地に散らしてしまいます。実は、聖書をよく見ると、バベルの塔が破壊されたとは、どこにも書かれていません。ただ、言葉が混乱させられ、塔の建設ができなくなったので、人々が全地へ散っていったことが記されています。また、神が人の言葉を混乱させたのは「人間が天まで届く塔を建て、自分たちが神のようになろうとしたから」と説明されることが多いですが、聖書に出てくる彼らの目的は「有名になって、全地に散らされることのないようにしよう」というものでした。どちらかと言うと「人間が神のようになろうとしたから」というより「人間が一つの町に閉じこもって、外へ出て行こうとしなかったから」世界中へ散らされたようにも見えてきます。言葉の混乱は、単純な罰ではなく、町から世界へ広がるための後押しだったのかもしれません。


Q. 言葉の違いで争いが起きるのは、人間が罪を犯して神に呪われたからですか?

A. バベルの塔のエピソードで、神が人々の言葉を混乱させ、全地に散らされた出来事を単なる「罰」と受け取るなら、言葉の違いによる国と国、民族と民族との争いや戦争も、人が罪を犯した結果、神に呪われた出来事の延長のように思えてきます。しかし、創世記11章に入る前、世界中で同じ言葉が使われていたときも、地上に悪が増したり、兄弟を殺したり、罪をなすりつける人々の姿が描かれていました。言葉の違いによって生まれる争いや戦争を、そのまま「神の罰」として受け取るのは、ちょっと乱暴かもしれません。むしろ、互いに違いが出てきたからこそ、人々は外へ広がっていきました。キリスト教会も、互いに違いが出てきたからこそ、様々な教派に分かれて、世界中へ広がっていきました。言葉やスタイルに違いが生まれ、分かれていくことは、神が造ったこの世界に、私たちが広がっていくきっかけでもあったことを忘れてはなりません。


新約聖書に関する質問

Q. 神の子イエス・キリストは、人間の夫婦から生まれてきたんですか?

A. 新約聖書には、救い主である神の子が、ヨセフと婚約中のマリアから生まれてきたと書かれています。マリアは聖霊によって身ごもったので、厳密には、ヨセフとイエスの間に血のつながりはありません。しかし、ヨセフの家に息子として生まれたイエスは、ヨセフの家系に属する人間として、系図に記されるようになります。その系図には、遊女をしていたラハブや、夫に何度も先立たれたタマル、異教の国の出身であるルツ、そして、ダビデ王に寝取られたウリヤの妻も入っていました。イエスは「由緒正しい清い家系から」というより、忌み嫌われた人たちや「家」の問題に苦しんできた人たちから、彼らの身内として生まれてきます。「神の子」と聞くと、遠い時代、遠い所に現れた存在のように感じますが、まさに、私たちの身内として、私たちの間に生まれてきてくださったのが、イエス・キリストです。


Q. ヨセフはマリアが救い主を身ごもったとき、離婚しようとしたんですか?

A. マタイによる福音書1章の後半には、マリアと婚約していたヨセフが、彼女の妊娠を知って、ひそかに縁を切ろうと決心したことが記されています。婚約中に、自分の身に覚えのないところで、婚約者が妊娠したわけですから、真っ先に浮気が疑われます。かつてのイスラエル社会で、浮気をした人は、石で打ち殺されることになっていました。そこで、ヨセフはマリアのことを表沙汰にせず、彼女が処刑されないよう、ひそかに縁を切ろうとしたわけです。ただし、婚約解消や離婚には、2人の証人を立てて、その正当性を認めてもらう手続きが要りました。その手続きを無視して、ひそかに縁を切ったとなれば、逆に、ヨセフが責めを負うことになりました。そんな中、ヨセフの夢に天使が現れ、マリアは浮気ではなく、聖霊によって身ごもったことが知らされます。マリアの受胎告知は、単に神秘的な出来事ではなく、かなり緊張の走る出来事でもありました。


Q. なぜ、キリストは家畜小屋で生まれたんですか?

A. ルカによる福音書2章には、イエス・キリストの誕生の次第が書かれています。それによると、イエスが生まれてくる直前に、ローマ皇帝から全領土の住民へ「登録をせよ」との勅令が出たため、マリアとヨセフも、生まれ故郷の町ベツレヘムへ行って、登録をしなければならなくなりました。ところが、故郷には2人を泊めてくれる家がなかったようです。また、宿屋もいっぱいになっていたため、仕方なく、2人は家畜小屋に泊まり、そこで赤ちゃんを産んで、牛や羊の餌箱である飼い葉桶に寝かせました。よく「イエスは馬小屋で生まれた」と言われますが、馬は基本的に軍の持ち物で、庶民が飼える家畜ではなかったので、おそらく、牛や羊の小屋だったと思われます。


Q. 天使から救い主誕生の知らせを聞いたのは、心の清い、信心深い人たちですか?

A. 聖書には、救い主イエス・キリストが誕生するとき、天使からその知らせを受け取った人たちが出てきます。天使から重要なことを知らされると言えば、心の清い人や信心深い人をイメージするかもしれません。しかし、救い主が生まれたとき、その誕生を知らされたのは、神殿で働く人たちや、毎週礼拝へ行っているような人たちではなく、安息日を守ることが困難な、貧しい羊飼いたちでした。通常、神からの重要な知らせ受け取って、人々に伝えるのは、ユダヤ人の祭司や預言者の役目でした。しかし、救い主誕生の知らせを受け取って、人々に伝えたのは、特別信心深いと思われていた人でも、神から与えられた掟を忠実に守れる人でもなく、むしろ「汚い」「臭い」と蔑まれ、野宿を強いられるような、追いやられた人たちでした。


Q. 救い主を最初に拝んだ占星術の学者たちは、異教の国の祭司なんですか?

A. マタイによる福音書2章には、星に導かれて、東の方から来た占星術の学者たちが、救い主イエス・キリストを新しい王として最初に拝んだことが記されています。東の方にある国と言えば、神の民であるイスラエルを滅ぼしたアッシリアやバビロンの他、イスラエルを征服し支配してきたペルシャなどの国々があったところです。また、占星術と言えば、旧約聖書で禁じられた呪いの一つであり、「学者」と訳されている「マギ」は、異教の国で王に仕える祭司のことでもありました。つまり、神の子であるキリストを最初に礼拝しに来たのは、エルサレム神殿で仕える聖職者でも、昔から神を礼拝してきたユダヤ人でもなく、もともと異教の国の祭司をしている学者たちでした。イエス・キリストは、誕生の時点から、異邦人とユダヤ人の間に、対立してきた者との間に、つながりを、和解を、平和をもたらす王として、登場していたのです。


Q. 占星術の学者たちが救い主に届けた黄金、没薬、乳香は何に使われたんですか?

A. マタイによる福音書2章の後半には、占星術の学者たちが贈り物を届けて帰った後、生まれたばかりのイエスがヘロデ王から命を狙われ、エジプトへ避難しなければならなくなったことが書かれています。ヘロデ王は、ローマ帝国の傀儡として、ユダヤ人の王になった人間ですが、自分の地位を脅かす新しい王が生まれたと聞き、その子を殺そうと企みます。そんな中、占星術の学者たちがイエスにささげた黄金、没薬、乳香は、どれも高価で貴重な宝であったため、ヨセフとマリアがイエスを連れて、エジプトへ逃亡した際、その逃亡資金になったと思われます。ちなみに、没薬は遺体の腐敗を防ぐ薬として、乳香は腐敗の匂いを和らげるものとして、葬りの準備に使われるものでもありました。当然、ヘロデ王から逃れるために、これらの薬や香油を高く買い取ってくれる王宮の関係者に売ることはできません。マリアやヨセフから没薬や乳香を物珍しいものとして、安く買わせてもらったのは、ベツレヘム周辺の民衆だったと思われます。この後、ヘロデ王はベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を一人残らず殺してしまいますが、そのとき、子どもたちの葬りの準備に使われた香油や薬に、彼らの献げ物があったかもしれません。イエスも十字架にかけられる前、殺された子どもたちと同じように、乳香をかけられて、葬りの準備をされることになります。


Q. 救い主が生まれたとき、エルサレムの人々は喜ばなかったんですか?

A. 救い主の到来は、旧約聖書で預言者が語っていたもので、イスラエルの人々は、自分たちを苦しめる大国の支配や貧しさから救ってくれる新しい王を、ずっと前から待ち望んでいました。しかし、占星術の学者たちがエルサレムに来て、救い主の誕生を知らせたとき、人々は喜ぶことができず、むしろ不安を抱きました。なぜなら、ローマ帝国の傀儡であるヘロデ王がそれを聞いたら、新しい王も、新しい王に味方する者も、みんな殺してしまうと思われたからです。また、救い主の誕生を、同じユダヤ人からではなく、異教の国から来た占星術の学者たちに伝えられたことも、にわかに受けとめ難いことでした。けれども、この時、救い主の誕生をすぐには喜べなかった人々にも、イエスは神の国の教えと業を語っていき、信じて救われるように促していきます。


Q. イエスを殺そうとしたヘロデ王は、神を信じていなかったんですか?

A. 実は、新約聖書の悪役として名高いヘロデ王は、とても信心深い人でもありました。彼は、エルサレム神殿を立派に建て直し、イエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネの話も熱心に聞くような人物で、救い主の誕生を知らされたときも、全く疑わず、すぐに信じる素直な人でもありました。新約聖書の中で、救い主が来たことをすぐに信じた人間は、非常に珍しい存在です。一方で、ヘロデは自分の地位が危うくなると、身内でも次々と処刑したり、自分が信じている神の子を、その手にかけてしまうような、矛盾した弱さがありました。


Q. ヘロデから逃れるため、イエスの家族が避難したエジプトは、どんな所ですか?

A. 生まれたばかりの救い主をヘロデ王から守るため、ヨセフが夢で「ここへ避難するように」と言われたエジプトは、旧約聖書の出エジプト記に出てきます。実は、ヨセフたちが避難したエジプトは、かつて、イスラエル人を奴隷にして苦しめていた大国の一つでもありました。キリスト教徒の間でも、エジプトは「イスラエル人を奴隷にしていた悪者の国」というイメージがありますが、一方で、神の子をヘロデ王から匿って、命を救った国でもありました。このように、聖書の中に出てくる国や民族は、何か一つの出来事で、「神の敵だ」と決めつけたり、「滅ぼされるべき人たちだ」とは言えないことが分かります。


Q. イエスは子どもの頃、両親とはぐれて3日間、行方不明になったんですか?

A. ルカによる福音書2章の後半には、少年だったイエスが、過越祭というお祭りで、家族とエルサレムへ行ったとき、一人だけ神殿の境内に残って、両親とはぐれてしまったことが書かれています。しかも、3日間、神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり、質問したりしていた……というんですから、なかなか末恐ろしい子どもです。当然、イエスも両親からしっかり怒られ、親からすれば「口答え」としか思えないような返事もします。このように、イエスも私たちと同じように、両親に叱られたり、言うことを分かってもらえなかった子ども時代があった……と考えると、なかなか面白いですし、慰めにもなります。

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