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離れていく人に【日曜礼拝】

《はじめに》

華陽教会の日曜礼拝のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》 ルカによる福音書24:13〜35

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》「離れていく人に」

救い主イエス・キリストが十字架につけられ、三日目に復活し、墓からいなくなったとき、遺体を整えにきた女性たちは、天使にこう言われました。「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」
 
確かにイエス様は、自分についてきた者たちへこう言っていました。私は十字架につけられて殺され、三日目に復活する……三度にわたって繰り返し、自分は三日目に復活すると告げていました。しかし、三日目の朝、天使にそう言われるまで、その言葉を思い出した人は、弟子たちの中にも、女性たちの中にもいませんでした。
 
さて、イエス様が生き返ったと聞いた女性たちは、大急ぎで墓から帰り、十一人の弟子たちと、他の人みんなへ一部始終を知らせます。そうだ、今日は三日目だ。病人を癒したり、悪霊を追い出したり、死んだ人を生き返らせたイエス様が、自分も甦ると言われていた日だ。約束された、あの日がやってきた……みんなもそのことを思い出しました。
 
けれども、この知らせを聞いて、本当かどうか確かめに行ったのは、ペトロともう一人の弟子だけでした。他の弟子たちは、家に閉じこもったまま出てきませんでした。女性たちの話をたわ言だと思って、信じませんでした。墓から遺体が消えているのを確認して、家に帰ってきたペトロたちも、驚いただけで、復活を信じたとは書かれていません。
 
本当に遺体が消えていた。墓石はどけられ、亜麻布しか残っていなかった。女性たちだけでなく、ペトロともう一人の弟子からも、そう聞いた他の弟子たちは、いったいどんな反応をしたんでしょう? 驚いて、自分たちも確かめに行ったんでしょうか? 約束通りイエス様が生き返ったと信じて、探しに行ったんでしょうか?
 
ちょうどその日、2人の弟子が、エルサレムから60スタディオン離れたエマオという村へ向かって出発しました。60スタディオンというと、だいたい10kmくらい、歩いて2時間ばかり行ったところです。何だか、急に出発したように見えますが、いったい何の用事ができたんでしょうか?
 
2人は歩きながら、あることについて話し合い、論じ合っています。それは、まさに、イエス様が復活したという噂についてでした。どうやら、エマオへ行く目的も、このことと絡んでいるようです。エマオという村へ行けば、復活したイエス様に会えるかもしれないと思ったんでしょうか? そこで会えるという約束でもあったんでしょうか?
 
けれども、イエス様が「自分は三日目に復活する」と告げられたとき、エマオへ行けば再会できるとは教えていませんでした。十字架につけられる前、弟子たちとこの村へ立ち寄ったこともありません。少なくとも、聖書にそういうエピソードは出てきません。むしろ、エマオという名前が出てくるのは、この箇所だけで、思い出も特にありませんでした。
 
他の福音書では、エマオではなくガリラヤで、復活したイエス様と会える、かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる、というふうに、天使が告げたと記されています。聖書の後ろについている、新約時代のパレスチナの地図を見ていただければ分かりますが、エマオとガリラヤでは、かなり離れています。どちらかというと反対方向です。
 
どうも、2人の弟子が、エルサレムを出発して、エマオの村を目指したのは、復活したイエス様に会うためではなさそうです。2人は、仲間の者が何人か墓へ行ってみて、女性たちの言ったとおり、イエス様の遺体が見つからなかったことを話していますが、自分たちも直接見に行ったわけではなさそうです。
 
女性たちと、仲間の何人かの話を聞いて、墓を見に行くでもなく、ガリラヤへ行くでもなく、イエス様との思い出もない、ちょっと離れた隣町へと向かいます。めちゃくちゃ不自然な行動です。イエス様の復活を信じるどころか、信じたい、会いたい様子も感じられません。
 
どちらかというと、復活を確かめたくないような、会いに行くのを避けるような行動に見えてきます。そう、2人がエルサレムを離れて、エマオの村へ出発したのは、おそらく、イエス様に会うためでも、探すためでもなく、出会わないためでした。会いに行くためではなく、会わないように、離れるために、隣町へ出て行ったんだと思います。
 
なぜでしょうか? イエス様が捕まったとき、見捨てて逃げたことが責められるのを恐れたんでしょうか? 三日目に復活するという約束を信じられず、忘れていたことが怒られると思ったんでしょうか? 今更、合わせる顔がなかったんでしょうか? あるいは、信じた後のことが怖かったのかもしれません。
 
もう二度と、今回みたいに見捨てることがあってはならない。もう二度と、疑うようなことがあってはならない。もう二度と、教えを守らないことがあってはならない。その境目となるラインを越えるのが、怖かったのかもしれません。私は復活したイエス様と会っても、改めて弟子になれるだろうか……?
 
先週、イースターの日曜日に、新しく信仰告白をした方の洗礼式が行われました。そのとき、受洗者を迎えた私たちも、先に信徒として在籍していた私たちも、自分が洗礼を受けた日のことを思い出し、かつて交わした誓約を、再び思い起こしていました。中には、あの日、洗礼を受ける人以上に、自分が緊張していた方もいたと思います。
 
きっと、何人かはこう思ったはずです。かつて、洗礼を受けたあの日、私はイエス様を信じますと約束したけど、神様に仕えますと告白したけど、洗礼を受けてからも、新しくされてからも、疑ったり、間違えたり、教会から離れることが何度もあった。今改めて、洗礼を受けたあの日に戻ったら、同じように告白できるだろうか? 
 
神様を信じ、教えられたことを守りますと約束できるだろうか? 今だったら、そんなこと言える者ではありません……と頭を下げて、イエス様の弟子を、クリスチャンを名乗ろうとはしないんじゃないか? 目立たないように、会堂の後ろの方で座っているか、教会そのものに来なくなっているんじゃないか?
 
安心してください。みんなでイエス様の復活を記念する日に、大きな喜びを分かち合う日に、あなたがそう思ってしまったなら、それはあなただけではありません。あなたの隣に、前に、後ろにいる人も、イエス様の復活を聞いた日に、イエス様から離れてしまった自分自身を、どこかで感じていたりします。
 
私も、洗礼を受けてから、何なら牧師になってからも、もし、自分が牧師家庭に生まれていなかったら、クリスチャンの家庭に生まれてなかったら、自分は教会に行く意志があるだろうか? 洗礼を受ける決心をしただろうか? 人生を最初からやり直せたら、どうするだろうか? と考えることが何度もあります。
 
やり直せたら、自分は教会に行くだろうか? 洗礼を受けるだろうか? 牧師になるだろうか? 正直、教会へ行かないで、洗礼を受けないで、神学校へ行かないで、違う人生を歩もうとしたのではないか? イエス様へ会いに墓へ行くことも、かねて告げられていた場所へ、ガリラヤへ行くことも、なかったのではないか?
 
そう思ってしまうことがけっこうあります。不安になります。自分の心はイエス様から離れていて、本来、ここで信徒を、牧師をすることはできないんじゃないかと……こんな中途半端な人間が、みんなと一緒に礼拝しているのは、みんなと一緒に教会員をしているのは、誠実ではないかもしれないと。
 
でも、違うんです。あの日、私たちは復活したイエス様と会わないように、離れるように、エルサレムを出発し、エマオの村へ向かって、歩き始めたにもかかわらず、この方は話しかけてきたんです。約束を信じないで、約束した場所にも行かないで、全然違う方向へ行く私たちと、同じ宿に入られたんです。
 
会わないようにしていたのに、離れようとしていたのに、私たちはキリストに出会ってしまいます。この方は私たちの目を遮って、自分だと分からないように出会われます。離れようとしていた私たちが、自分から引き留めるように、一緒に居てほしいと願えるように、気づいたら出会っているんです。
 
後から振り返って、私たちは気づきます。教会から、神様から、心が離れていると思っていたあの日、私の目は遮られていたけれど、確かにイエス様は一緒に居てくださった。自分から離れていく私のために、以前と同じようにパンを割いてくださった。責めるためでも、裁くためでもなく、共に食卓へつくために、再び出会ってくださった。
 
私も、改めて宣言します。キリストの復活を記念するイースターを迎え、共に洗礼の喜びにあずかった日、教会から、イエス様から、離れていこうとした者も、この方のパンを受け取っています。あの日、復活した方は、あなたと同じ道を歩き、あなたと同じ宿に泊まり、あなたと同じ食卓で、パンを分けてくださいました。
 
キリストの姿が見えなくなった者は、安心して行きなさい。あなたの目に写らなくなった方は、あなたと共に歩いています。あなたと共に帰っていきます。立ちどまるあなたに語りかけ、出発させます。既に新しいことが起こっています。共に、この方のもたらす変化を味わいましょう。


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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。