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侮る者へ【聖書研究】

《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録13:32〜43

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》「侮る者へ」

今週の日曜日「棕櫚の主日」からイエス様が十字架につけられるまでの最後の一週間を思い起こす「受難週」に入りました。来週の日曜日には、イエス様が殺されてから三日目に復活したことを記念するイースターを迎えます。そんな中、順番に使徒言行録を読んできた私たちは、奇しくもキリストの復活について語っているパウロの言葉と出会いました。
 
「神はイエスを復活させて、私たち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです」約束というのは、詩編2章7節に出てくる「お前はわたしの子。今日、わたしはお前を生んだ」という預言の成就を指しています。もともとこの言葉は、神に背いて民衆を虐げてきた王に代わり、神様から「わたしの子」と呼ばれる王が即位する日を約束したものです。
 
パウロは、神様が十字架につけられたイエス様を、死者の中から復活させることによって、みんなを治める王として、即位させたと語ります。それも、いつか朽ち果て、居なくなってしまう王ではなく、悪い王に取って代わられる王ではなく、もはや朽ち果てることのない、永遠にみんなを導いてくれる王として、復活させられたと語ります。
 
それは、何度も大国に攻め入れられ、自分たちの王を失ってきたイスラエルの民、ユダヤ人にとって、心を震わされる宣言でした。今まで、「神に従って歩んだ」と言われた王でさえ、早くに亡くなってしまったり、途中で神に背いたり、敵に支配されてしまったため、自分たちが最後までついていく指導者を見失っていたからです。
 
しかし、パウロは伝えます。「神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかった」と。イエス様は、神様に背いて人々を虐げることも、蔑ろにすることもなかった。敵に屈して仲間を見捨てることも、差し出すこともなかった。むしろ、自分の身を差し出して、命を失ったにもかかわらず、死を越えて、みんなのもとへ帰ってきてくださった。自分を見捨てた者たちを訪れ、和解して、再び仲間と呼んでくださった。
 
神様が復活させた独り子は、単に身体が朽ち果てなくなった方ではありません。私たちに対する、愛と、憐れみと、慈しみが、決して朽ち果てない方です。そして、パウロが一番伝えたかった言葉が38節に出てきます。「だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」
 
今度は、ユダヤ人でない、神をあがめる改宗者たちの心が震わされていきます。ピシディア州のアンティオキアでは、ユダヤ人でない異邦人も、聖書の言葉を分かち合う会堂に入ることが許されていました。同じ地域で生活するユダヤ人から、旧約聖書の話を聞き、神様を信じるようになった異邦人が、毎週一緒に集まっていました。
 
しかし、改宗者となっても、旧約聖書に記されたモーセの律法に定められている全ての掟を守ることは、どうあがいてもできません。必ず日曜日に仕事を休めるわけでも、他の神々を信仰する異邦人との接触を断てるわけでもありません。その地で生活していくには何世紀も前にイスラエルへ語られた言葉をそのまま守ることはできません。
 
ユダヤ人同士なら理解され、配慮され、日常生活の中で守ることができる教えも、異邦人の改宗者にとっては、より難しい掟となります。家庭で、学校で、職場で、自分だけしかキリスト教を信じていない人間が、毎週みんなの理解を得て、教会へ行くことが難しいように、彼らもまた、「改宗者として欠けている」「改宗者になりきれない」意識を持ちながら暮らしていました。
 
そんな中、パウロはユダヤ人の同胞だけでなく、共に集まっていた異邦人にも伝えてきます。「兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」
 
聖書に書いてあることを大事にしたいと思いつつ、「これが守れない」「あれも守れていない」という自分に直面し、救いから遠く離れていると感じてきた人たちに、慰めと希望が語られます。復活して、自分を見捨てた者たちに死を越えて再会し、赦しを与え、平和を告げたイエス様は、あなたにも赦しと平和を告げている。ただ、この方を信じることによって、あなた自身も救われる。
 
とても大胆な知らせでした。「そんなこと言ったら、律法を守らない奴が現れる」「みんなが神様の掟を大事にしなくなる」「異邦人のスタイルが持ち込まれ、信仰共同体が乱れてしまう」……そんな非難が容易に予想できました。事実、翌週の安息日になると、パウロとバルナバはユダヤ人から大反対を受け、この町から追い出されてしまいます。
 
けれども、2人の言葉を、異邦人の改宗者と一緒に真剣に受けとめているユダヤ人もいました。次の安息日にも同じことを話してほしいと頼み、2人についていって、語り合っていた同胞がいました。きっと、ユダヤ人の中にも、自分は掟を守ることで救われることはできない……「信仰者として欠けている」「信仰者になり切れない」と感じる人たちが、居たんだと思います。
 
パウロは彼らへ警戒するよう語ります。「預言者の書に言われていることが起こらないように、警戒しなさい。『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を。』」……ここで、新しく行うと言われている「一つのこと」とは、救いが異邦人に向けられることを意味しています。
 
毎週日曜日の礼拝に来られない、聖書に書かれた教えがちゃんと守れない、信仰から遠のく付き合いがたくさんある……そんなふうに、本人も、周りからも見なされる人たちへ神様の救いが向けられます。今まで、「あなたはここがダメだ」と言われ続けてきた、「自分はここがダメだ」と思い続けてきた人たちに、赦しと平和が告げられます。
 
どうか、侮らないでください。神様はあなたが自信を持てなくても、他人が評価しなくても、あなたに救いを向けられます。あなたを自分の民と呼ばれます。同時に、あなたが侮る誰かのことも、滅び去らないように新しく出会われます。あらゆる壁を越えて、その人の心の奥底に訪れ、変化と回復をもたらします。
 
今度の日曜日、私たちは新しく仲間を迎え、洗礼式を行います。かつて、洗礼を受けた人たちも思い出すでしょう。バプテスマを受ける直前まで、「自分はまだ信仰者として欠けている」「信仰者になり切れてない」という不安や恐れを抱いていたことを。ここで洗礼を受けること、救いにあずかる「神の民」となることを赦されないんじゃないかと心配になったことを。
 
しかし、神様の憐れみを、イエス様の慈しみを侮る古い自分は、やがてこの方に滅ぼされます。あなたは新しくされます。あなたは甦って、赦しと救いを受け入れます。ここにいる私たち一人一人が、最初はとうてい信じられなかったことを、信じていったように、あなたも「信じない者」から「信じる者」へ、変化と回復をもたらされます。
 
キリストの復活を記念するイースターまで、あと4日。私たちを救うため、どこまでも何度でも、訪れてくださるイエス様を、共に心に迎えましょう。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。