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会わずにはいられない【聖書研究】


《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録28:11〜20

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

 エルサレムでユダヤ人たちの迫害を受け、無実の罪でカイサリアに収監され、ローマ皇帝に上訴したパウロは、ローマへ連行される途中、船が難破してしまいました。しかし、一緒に乗っていた囚人も、兵士も、乗組員も、一人も命を落とさないで、マルタ島へ上陸し、冬の間、再び船を出せるまで、島の人たちに世話してもらうことができました。

 三ヶ月後、パウロたちは、アレクサンドリアの船に乗って出航し、シラクサの港に寄って、海岸沿いに進みながら、プテオリの港に停まりました。彼らが乗った船は、ディオスクロイを船印とする特徴的な船でした。ディオスクロイというのは、ギリシャ神話に出てくる双子の神で、イスラエルの人々から見れば、異教の神をかたどった偶像でした。

 パウロが皇帝に上訴したのは、単に、自分の無実を証明するためではなく、ローマの人々へ、自分が出会った神様を、イエス様の教えと業を伝道するためでした。興味深いことにパウロがローマの人々へ宣教するために乗った船は、宣教者が乗る船としてふさわしいとは思えない、異教の神をかたどった船印がついていました。

 もし、こういうものを毛嫌いして、異教のものに関わりたくないと、パウロがこの船を拒絶していたら、彼がローマへたどり着くことはできなかったでしょう。厳格なユダヤ人から見れば、こんな船に乗って伝道へ行くなんて、それも、異教の民であるローマ人の兵士や囚人と一緒に海を渡るなんて、考えられないことだったでしょう。

 パウロの異邦人伝道は、人々の考える「理想的な伝道」とは大きく異なるものでした。むしろ、罰当たりに見えたかもしれません。さらに、囚人という立場で、見張りをつけられ、鎖をつけられて移動する様子は、自由な伝道からも大きくかけ離れたものでした。常に監視がおり、鎖をつけられ、行きたいところへ行けない状態が続きます。

 ところが、プテオリの港についたパウロたちは、そこで同じ信仰を持つ兄弟たちを見つけ、請われるまま、一週間滞在します。ローマの兵隊に護送されている途中なのに、まるで、自由に休暇が取れる旅行者のように、仲間と一緒に過ごします。普通は許されないことですが、彼と共に、暴風の中を神様に守られてきた兵士たちは、彼の自由を保障します。

 本当の神を知らない、宣教者の自由を奪う異邦人だったはずの兵士は、いつの間にか、パウロの伝道に協力する、新たな支えになっていました。さらに、パウロは連行されている身であったにもかかわらず、自由に人と会うことが許され、ローマに入ってからは、番兵を一人つけられたものの、自分だけで住むことを許されます。

 もはや、囚人である、監視されているということが、宣教を邪魔する要素にならないほど、様々な環境が整えられていました。囚人なのに、目的地へ着いて間もなく、拠点まで借りられているんです。あとは、この地で、ローマの人々へ神様を証しし、イエス様の教えと業を伝えていくだけです。

 さて、いよいよ準備の整ったパウロは、ついにローマ皇帝へ上訴して、ローマ市民全体に、イエス様の教えと業を伝える機会が巡って来ます。ところが、パウロがローマに入って真っ先に向かったのは、皇帝の前でも、法廷でもなく、ローマ市民の集まる広場でさえありませんでした。

 彼が向かったのは、何度も自分を窮地に追いやってきた同胞たち、ユダヤ人のもとでした。ここに来るまで、何度も、何度も、ユダヤ人に拒絶され、酷い目に遭わされてきたにもかかわらず、「今後、わたしは異邦人の方へ行く」と宣言したにもかかわらず、結局、パウロは、彼らユダヤ人と会わずにはいられないようです。

 もともと、パウロがローマまでやって来たのは、皇帝へ上訴して、ローマの人々の前で神様の教えと業を証しすることが目的でした。ローマに入って、真っ先に向かうとしたらローマ皇帝か、ローマ市民の集まるところでした。ユダヤ人たちはもう、話を聞かなかった民として、放っておかれるはずでした。

 けれども、使徒言行録の締めくくりとして描かれるのは、ローマ人たちへ証しをするシーンではありません。むしろ、今まで話を聞かなかった、信じなかった、今後は放置されるはずだったユダヤ人たちへ、パウロが証をするシーンで締め括られます。何なら、クライマックスであるはずの、皇帝へ上訴するシーンは、いっぺんたりとも出て来ません。

 結局、パウロの無実は認められたのか、皇帝は彼の言うことを信じたのか、裁判の決着はどうなったのか、という最も気になることが明かされないまま、使徒言行録は終わっています。どちらかと言うと、彼はこのまま、皇帝に会うことが叶わず、囚人としてローマに滞在し続けて、誰かの訪問を待つか、手紙を書くかで伝道したんじゃないかと思えます。

 もし、パウロがローマ皇帝に会えなくて、ローマの人たちに直接、イエス様の教えと業を語る機会に恵まれなかったなら、いったい誰が、彼を訪問して、彼の言葉をローマ市民へ、異邦人へ伝えたんでしょう? それは、パウロが真っ先に会いに行って、話を聞かせたユダヤ人、彼の言うことを受け入れた、一部のユダヤ人たちでしょう。

 使徒言行録を読んでいると、私たちはある瞬間に、救われる者と救われない者が分けられるような、仲間になれる者となれない者の間に壁が作られるような感覚に陥ることがあります。実際、私たちの現実でも、自分の信じているものを共有できる人と、共有できない人がいます。何を言っても、受け入れてはもらえないと感じることがあります。

 パウロ自身、そう思いながら、何度も自分を迫害するユダヤ人に「救いは異邦人に向けられた」と言って、彼らユダヤ人には、もう目を向けないかのような発言をします。しかし、結局、彼は会いに行きます。「わたしは異邦人の方へ行く」と言いながら、「救いは異邦人に向けられた」と言いながら、彼らにも救いを向けることをやめません。

 それは、旧約の時代から、神ご自身が、私たち人間との間で、何度も見せてきた姿でもありました。自分を信じないで、自分に従わないで、身勝手に生きる人々に対し、裁きを語りながら、滅びを警告しながら、結局、自分に従えるようになるまで、滅びないよう、正しくなるよう、新しく呼びかけ続ける神がいました。

 自分を拒絶し、離れていった民に対し、離れたままにしておけず、もう一度、出会い続ける神がいました。帰ってきなさい、立ち帰りなさい、信じない者ではなく信じる者になりなさいと、どこまでも手を伸ばす方がいました。神様が、イエス様が、もう二度と会ってくれない人なんていないんです。分かり合えないまま放っておく人なんていないんです。

 それどころか、分かろうとしなかったローマの兵隊が、パウロの宣教を支える者となったように、信じようとしなかったユダヤ人が、パウロの言葉を異邦人へ伝える者となったように、神様の導きは、どこかでストップすることを知りません。深く、広く、進み続けます。

 宣教者を連行する異教の神をかたどった船が、宣教者を送り届けて、福音を、良い知らせを広げる船となったように、理想的には見えなかった伝道も、私たちの思いを超えて、大きく実を結びます。行きたくないところへ連れて行かれた人々が、監獄に、護送船に、法廷に、見えない教会を建ててしまったように、宣教を妨げる場所も人も、宣教の業そのものへ、加えられていきます。

 だから、あなたが会わずにはいられない人を、思い起こしましょう。もう言葉が届かない、言っても受け入れてもらえない、何度もそう思って、諦めた人を思い起こしましょう。あなたが思い返さずにはいられないように、神様も、その人と出会い直さずにはいられません。あなたの後にも新しく人を遣わし、立ち帰るまで呼びかけ続けます。

 どうか信頼してください。人にできないことを人を通して実現してきた神様に信頼してください。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んだ者を見捨てたままにしなかった方、神の子と同じ言葉を叫ぶ者へ復活の希望を与えたこの方に、あなたの信頼を寄せてください。栄光が世々限りなく、この方にありますように。アーメン。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。