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どこから湧いて出た?【聖書研究】


《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録18:24〜28

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家……突然出てきた人物に、私たちは困惑します。初代教会の歩みについて、使徒言行録を18章まで読み進めてきた人たちは、ペトロやヨハネをはじめとする、イエス様の弟子たちや、宣教者パウロと直接出会って、同行するようになった人たちを見てきました。
 
マルコと呼ばれるヨハネ、シラスとテモテ、アキラとプリスキラ……彼らは、パウロが直接訪れたり、パウロの話を直接聞いて、一緒に、宣教へ出かけるようになった同労者です。そろぞれ、自分の町に留まって、人々にイエス様の教えと業を語り伝えただけでなく他の町にも出ていって、時には外国まで行って、イエス様の教えを宣べ伝えていました。
 
その役割は、使徒やパウロが常駐できない村や町で、信徒を励ます巡回教師や、キリスト教を知らない土地で、開拓伝道をすることでした。きちんと、イエス様の弟子たちからレクチャーを受け、訓練を積み、その活動が、エルサレムの教会にも報告される、正規の教師、宣教師です。
 
ところが、誰から教えられたのか分からない、どこで知識や訓練を積んだのか分からない、背景不明の人間が、いきなり教師の一人として出てきました。「アポロ」という名前が出てくるのはここが最初で、見るからにギリシア人っぽい名前です。実際、彼は当時の世界で「第二の都市」と言われていたアレクサンドリアの出身でした。
 
いわゆる、異邦人の町で生まれた者です。しかし、パウロと同じく、ユダヤ人でもありました。しかも、「聖書に詳しい雄弁家」と出てきます。おそらく、小さいときから、母や父から教えを受け、アレクサンドリアの町にあった、ユダヤ人の会堂でも、熱心に聖書の言葉を聞いていたんでしょう。
 
問題は、彼がいつ、どこで、誰から、イエス様の教えと業を聞いたのか、分からないということです。使徒言行録には、エルサレムの教会がユダヤ人の迫害を受け、壊滅的な被害を受けたとき、各地へ逃れた信徒によって、異邦人の町にもイエス様の教えが伝わっていったと記されています。

おそらく、エフェソの町にも、パウロが訪れる以前に、誰かがキリスト教を伝え、アポロもそれを信じて、みんなへ教えるようになったんでしょう。「彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていた」とあるように、非常に心強い仲間です。
 
一方で、アポロは「ヨハネの洗礼(バプテスマ)」しか知らなかった……ともあります。ヨハネの洗礼は、救い主イエス・キリストを迎えるための準備をする「悔い改めの洗礼」で、イエス様が、私たちのために十字架にかかり、復活して、永遠の命を与えてくださったことを告白する、現在の洗礼とは、少し異なるものでした。
 
ヨハネの洗礼が「イエス様に会うための準備」だとすれば、現在の洗礼は「イエス様と出会ったことを告白し、新しくされるもの」です。それをまだ、アポロが知らなかったということは、イエス様の教えを熱心に語りながらも、イエス様の命じた「父と子と聖霊の名によって」授けられる洗礼を、まだ受けていなかったということです。
 
どうも、教師として各地へ宣教するには不安があります。実際、アポロから、イエス様の教えと業を聞いた人々は、のちに、パウロから質問を受けたとき、「聖霊があるかどうか聞いたことがない」と答えていました。さらに、アポロが教えた人々も、ヨハネのバプテスマを受けており、父と子と聖霊の名によるバプテスマは受けていませんでした。
 
これって、現代の教会でやったら、大問題になると思います。イエス様の命じた「父と子と聖霊の名によるバプテスマ」を受けてない人が、キリスト教を伝えるために、教師として各地を回り、そこで教えを受けた人たちも、聖霊を、本来のバプテスマを、知らないままでいる……下手すれば、「異端」と言われそうです。
 
現実に、日本でも「宣教師」や「牧師」を名乗りながら、所属している教団や宣教団体、出身神学校が分からない、背景不明の人たちがおり、正体や目的を隠して、各大学のキャンパスで勧誘したり、伝道していることがあります。中には、学業よりも自分たちの活動を優先させたり、学生を危険な地域へ派遣して宣教させるグループもあります。
 
実は「どんな背景で活動してるか分からない」って、けっこう恐ろしいんです。当然、そんな教師は警戒されますし、注意しなければなりません。ただ、アポロが、エフェソで宣教していた頃は、初代教会の成長期で、キリスト教を体系的に学べる神学校や組織体制もありませんでした。みんな手探りで伝道していました。
 
最初にできた教会の多くは、名前も知らないどこかの誰かが、自分の見聞きしたイエス様の教えと業を宣べ伝え、それを信じた人たちが集まって、後から、巡回してくる使徒や教師の助けを受けて、少しずつ、少しずつ、形になっていったんです。アポロも、そんな人物の一人でした。
 
ある時、彼がユダヤ人の会堂で、大胆に教え始めたとき、そこに、パウロの同労者、プリスキラとアキラが来ていました。2人は、アポロを自分たちのもとへ招き、もっと正確に神の道を教えます。彼の知らない、聖霊について、父と子と聖霊の名によるバプテスマについて説明します。
 
アポロも、2人に協力し、さらに一生懸命、イエス様の教えと業を伝えるようになります。プリスキラとアキラは、アポロが孤立しないように、アカイア州の弟子たちに、彼を巡回教師として歓迎してほしいと手紙を書きます。背景不明の宣教者は、こうして、弟子たちの輪に加わって、一人ではなく、連携しながら、伝道していくようになりました。
 
このように、健全な宣教は、自分のやり方に固執せず、足りないところを教え合って、補い合って、形成されていったんです。よく見ると、使徒言行録に出てくる、各地の信徒や教会は、代わる代わる、色んな教師と出会いながら、色んな人から教えを受けて、成長していきます。パウロ一人に囲われることも、アポロ一人に囲われることもありません。
 
ある地域には、教会の種を蒔くためにパウロが派遣され、芽が出てきた頃に、次の地域へ遣わされます。そして、水を蒔くためにアポロが派遣され、成長してきた頃に、また次の地域へ遣わされます。パウロに欠けていたもの、アポロに足りなかったものが、次の宣教者によって補われ、キリストの体である教会が築かれていきます。
 
私たちの教会にも、色んな人たちがやって来ます。私だけでなく、鈴木先生や他の教師も来てくれます。遣わされるのは、牧師だけではありません。まだ、洗礼を受けてない人から、私たちが教えられることもあります。同時に、私たちも知っていることを、ここへ来た人たちに伝えます。私たちは互いに派遣され、一緒に共同体を築く者として、神様に出会わされています。
 
どこから湧いて出たのか、分からないままの証人ではなく、キリストにつながる教会の群れとして、互いに支え合い、迎え合い、遣わし合っていきましょう。「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように(コリント一1:3)」アーメン。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。