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帰ったり別れたり【聖書研究】

《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録15:30〜40

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

救い主イエス・キリストの弟子たちが、最初に伝道した相手は、同じ国、同じ民族の同胞であるユダヤ人でした。しかし、母国イスラエルで、ユダヤ教の異端として排除され、迫害を受けるようになった信者たちは、首都エルサレムから逃げ出して、諸外国で異邦人を相手に伝道するようになりました。
 
当初、ユダヤ人が中心だった教会の中では、ユダヤ人でない信者の扱いに差があったり、異邦人に対して、ユダヤ人と同様の生活スタイルが求められたりしていました。しかし、最初の教会会議と呼ばれる使徒会議を経て、ユダヤ人も異邦人も関係なく、共に、教会へ受け入れられ、一緒にやっていくことが確認されました。

以前、エルサレムからやってきた、ユダヤ人の信者から「自分たちと同様、モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と言われていた、アンティオキアの信者たちは、「割礼を受けなくても、そのままキリスト教徒として受け入れられる」という公式の励ましを知って、たいへん喜びました。
 
今まで、パウロとバルナバ以外のユダヤ人からは、異邦人の自分たちが救われること、受け入れられることを、公式に語られてこなかったので、エルサレム教会の信者たちも、満場一致で、同じキリスト教の仲間であると言ってくれて、ホッとしたんだと思います。彼らにとって、手紙と口頭の両方で、公式の知らせを受けたことは、とても重要でした。
 
さらに、パウロとバルナバに同行して、エルサレムから派遣されたユダとシラスは、使徒会議の決定を知らせてからも、すぐに帰らないで、しばらく滞在し、異邦人の信者たちを励まし、力づけて過ごしました。エルサレム教会の指導的立場に居た人間が、率先して異邦人の信者と交流し、関係を築いていったことは、大きな影響を及ぼしました。
 
教会は、この後も繰り返し、ユダヤ人と異邦人の立場を巡って衝突しますが、その度にこの日の出来事を思い出して、この日の光景に立ち帰って、対話と協議を重ねながら、自らの姿勢を改めていったんです。やがて、ユダとシラスはアンティオキアの信者たちから送別の挨拶を受けて見送られ、自分たちを派遣したエルサレム教会へ帰っていきました。
 
ところが、ユダヤ人と異邦人が和解して、一緒に歩み始めた出来事の直後、残念な展開が待っていました。それは、アンティオキアに残ったパウロとバルナバが激しく衝突し、ついに別行動を取るようになった、という展開です。その衝突とは、以前、宣教の途中で自分たちから離れてしまったマルコと呼ばれるヨハネの同行を認めるか認めないかでした。
 
バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて、全ての町を訪問したいと思いましたが、パウロの方は、一度、自分たちから離れた者を、一緒に連れて行くべきではないと考えました。どうやら、パウロは自分の過ちを赦されて、使徒の仲間に加えられたにも関わらず、仲間の過ちは赦せなくなっていたみたいです。
 
ここだけ見ると、パウロの方に大きく非があるように感じますが、ガラテヤの信徒への手紙で、パウロ自身が残した言葉によると、どうも、衝突の原因はそれだけではなかったみたいです。異邦人の信者と一緒に食事をすることについて、割礼を受けたユダヤ人から非難が来るのを恐れてしまい、身をひこうとする態度が、バルナバにも見られたことが出てきます。
 
バルナバはバルナバで、他のユダヤ人を信頼できなかったり、異邦人を守りきれなかったり、色々な弱さがあったみたいです。実は、この衝突は、どちらか一方が正しくて、どちらか一方が間違っていたから起きたのではなく、両者にそれぞれ弱さや愚かさがあることを赤裸々に記しているんです。
 
パウロも、バルナバも、一貫して誠実な姿勢を貫けたわけではありませんでした。衝突が起きたのも、別行動を取るようになったのも、ただ自分の信念を貫こうとしたからでなく、保身や頑固さも関わっていました。あらゆる教会に、教区に、教団に起きていることと同じです。
 
しかし、神様はこの2人の分裂を、ただの分裂で終わらせません。2人一緒だったものが、1人ずつ別れたままでいることを赦しません。バルナバは、かつて自分たちと別れたマルコと呼ばれるヨハネと関係を回復し、彼を連れて、一緒にキプロス島へ出発します。一方、パウロは、一旦エルサレムへ帰ったはずのシラスを呼び戻し、エルサレムの人間と共に、シリア州やキリシア州を回って、教会を力づけていきます。

2人は別々になって終わったんじゃありません。その先で、かつて別れた者と一緒になり、先に帰った者と再び組んで、宣教の業を新しくしていったんです。キリスト教会が、多くの教派に分かれた歴史も、その延長にあります。私たちは衝突します。別れて行動するようになります。しかしその先で、再び一緒になったり、新たな仲間を加えていきます。
 
帰ったり、別れたり、それだけを見ると、負の歴史にしか見えないものが、実は、別れただけで終わらない、離れただけで終わらせない、神の導きを思い出させる、証の歴史になっています。今、私たちの間で起こる衝突も、分裂も、神様は、ただの分断で終わらせません。これまでの歴史が、目を凝らしたとき、そのことを証明しています。
 
どうか、世の中に絶望し、教会に失望し、自分にも期待できなくなっている人たちへ、神様の導きが、働きが、呼びかけが、力強く示されますように。私自身が、諦めることのないように、希望を捨てることのないように、皆さんと共に、歩んでいくことができますように。アーメン。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。