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主の日に彼はやってくる【日曜礼拝】


《はじめに》

華陽教会の日曜礼拝のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》 マラキ書3:19〜24、ヨハネによる福音書1:19〜28

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

来週には、キリストの誕生を記念するクリスマスを迎えます。プレゼントがもらえるのを楽しみにしている子どもたちは、その日が早く来ないかとワクワクして待っています。一方で、その日が近づけば近づくほど、ちょっと不安にもなってきます。本当に、欲しいものをもらえるだろうか? プレゼントをちゃんと受け取れるだろうか?
 
当日の朝、ベッドの横に何もなくて、家中探し回ってもプレゼントが見つからず、失望することにならないか? あるいは、欲しかったゲームや玩具じゃなくて、大嫌いなドリルや参考書が置かれてないか? その日を迎えるまで、子どもたちには何が待っているか分かりません。早く来てほしいけど、その日を迎えるのが不安でもある。
 
まるで、イエス様が再び来られる日、再臨の日、主の日を待ち望むキリスト教徒のようですよね? あらゆる悪から解放されて、救われる日を待っている。でも、その日に待っているのは、救いではなくて、裁きかもしれない。自分への報いは、良いものではなくて悪いものかもしれない。早く来てほしいけど、その日を迎えるのが不安でもある。
 
「良い子にしていたら、サンタさんからプレゼントをもらえるよ」「悪いことをしていたら、プレゼントをもらえないよ」……この時期に、そう言われて育った人も少なくないと思います。もしかしたら、大人になってからも、似たようなことを教会で聞かされているもしれません。
 
「信じて従えば、神の国に受け入れられて救われる」「信じないで背いていたら、神の国から締め出されて滅ぼされる」……実際、マラキ書には、主の日に高慢な者、悪を行う者は藁のように燃やされて、根も枝も残されないと書かれていました。神に逆らう者は踏みつけられて、足の下で灰になると言われていました。
 
高慢な者、悪を行う者の行く末を聞かされて、私たちもドキッとします。妻や娘から、部下や同僚から、「高慢だね」と言われたことがあるかもしれません。面と向かって、誰かに言われたことはないけれど、思い当たる節があるかもしれません。悪を行ったことがない、常に正しく生きてきたと、胸を張って言うことは、できないかもしれません。
 
今の時点で、主の日が訪れてしまったら、自分は神に背く者として、良い子になれない者として、神の国に受け入れられず、締め出されてしまうんじゃないか? もう少し、自分に自信が持てるまで、神の国に受け入れられる、立派な信仰者になったと言えるまで、主の日が訪れないでほしい……そう思うかもしれません。
 
ちょうど、クリスマスが間近に迫る中、親に繰り返し怒られて、このままじゃ良い子と認められずに、プレゼントをもらえないかもしれない……と焦っている子どものように、私たちは不安になります。果たして、その日が来るとき、自分は大丈夫だろうか? 直前にチャンスはもらえるだろうか?……と。
 
実は、それっぽい預言も語られていました。マラキ書の最後には、こんな言葉が続いています。「見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって、この地を撃つことがないように」
 
まるで、クリスマス前日に「今日一日、良い子にできたら、サンタさんにお願いして、プレゼントをもらえるようにしてあげる」と言ってくれる、助け舟のような存在です。神の子イエス・キリストが来られる前に、人々へ悔い改めの洗礼を授けたバプテスマのヨハネも、まさに、みんなが破滅を迎えないよう、助け舟を出す存在でした。
 
「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水でバプテスマを授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れている。その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる(マタイ3:11〜12)」
 
ヨハネはそう言っています。ようするに、神様から火で焼き払われる前に、悔い改めて聖霊のバプテスマを受けられるように、罪を赦してもらえるようにしておきなさいと、みんなへ必死に呼びかけたわけです。助け舟があってホッとしますが、逆に言えば、このチャンスを逃したら、待っているのは破滅です。
 
預言者の言葉を聞いても、ヨハネの言葉を聞いても、神様に心を向けず、悔い改めず、救い主を信じないなら、燃える炉の中へ投げ込まれ、根も枝も残らない藁のように、神様に撃たれ、滅ぼされる……プレゼントはもらえずに、家から閉め出されてしまう……絶望的な展開です。
 
そう、本来、ヨハネの後にやってきた救い主、メシアを受け入れなければ、一発アウトのはずでした。お膳立てをしてあげたのに、悔い改めなかった人、神の子を信じなかった人たちは、容赦無く踏みつけられ、足の下で灰になるはずでした。ところが、ヨハネの後にやってきた救い主は、「信じない人たち」を「信じないまま」にしておきません。
 
ヨハネの言葉を聞いても、悔い改めなかった人々に、自分を受け入れない人々に、なお悔い改めて福音を、良い知らせを信じるように語ります。自分と直接会って、直接教えを聞いて、直接奇跡を見てもなお、理解できない、信じられない弟子たちへ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と促します。
 
何なら、十字架にかけられて、三日目に復活して、山の上で再び出会ってもなお、疑っている者たちへ、それでも自分の弟子として使命を与えます。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と頼みます。
 
この方は、自分が再び地上へ来られる日、再臨の日、主の日が訪れるそのときを、あなたが破滅する日になさいません。あなたの大切な人たちが燃やされる日になさいません。自分を見捨てた弟子たちへしたように、ヨハネの言葉を聞かなかった人たちへしたように、どこまでも、私たちを神の国へ迎えようと、時を越え、場所を越え、死を越えて導きます。
 
その日、私たちは義の太陽が昇るのを見ます。私たちを燃やし尽くす光ではなく、闇を照らして、世界を温める光を見ます。不安から、恐怖から、絶望から解放されて、喜びを共にする兄弟姉妹を目にします。私たちが締め出されるのを拒み、足を洗って、服を着させて、家の中へと招き入れる、救い主が訪れるのを目にします。
 
キリストの誕生を記念するクリスマスの準備をしつつ、イエス様が再び来られるときを待ち望む、アドヴェント第3週目を迎えました。クリスマスまで、あと一週間……荒れ野で叫ぶ者の声を、光について証しする言葉を、救い主を知らせる教えを、一緒に受けとめていきましょう。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。