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悪魔の子から【聖書研究】

《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録13:4〜12

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》「悪魔の子から」

聖書の中で、ある人が「悪魔の子」と呼ばれてしまうって、なかなかインパクトのある出来事です。キリスト教徒が誰かに対し、「悪魔の子」と言ったら、もう相当な侮蔑を含んでいます。神の敵、正義の敵、滅ぶべき者……よほど憎んでいる相手にしか、こういう言葉は吐けません。
 
だからこそ、この話を読むとドキッとします。聖霊を受けたパウロから「悪魔の子」と言われたバルイエス、またの名を魔術師エリマ……この人がしてしまったことを、自分もしないように気をつけなければならない。そうじゃないと、自分も神の使徒から「悪魔の子」と呼ばれてしまう。神の敵と言われてしまう。救いから外されてしまう……。
 
そんな恐怖が襲ってきます。事実、魔術師エリマは、パウロとバルナバから神の言葉を聞こうとしている総督セルギウス・パウルスを信仰から遠ざけようとして、目を見えなくされてしまいます。今まで預言者を名乗って、不思議な業を見せて、人々に頼られてきた男は、途端に何もできない、手を引いてもらわなければ、歩けない男に変えられます。
 
自分もこうなったら嫌だなと、誰もが思わずにいられません。人々を騙して、自分を預言者だと偽った、奇跡を起こせると偽った人物が、それ相応の報いを受けたのなら、仕方ないかもしれません。でも、彼自身が本当に、自分を預言者だと思っていたら、自分は神の声を聞いていると思っていたら、この出来事は余計にショックな話です。
 
私たちだって、神の言葉と思って受けとめたものが、本当は、自分がそう思っているだけだったかもしれません。神によって導かれた選択だと思っているものが、本当は、自分がそう感じているだけだったかもしれません。偽預言者とまではいかなくても、自分に都合の良い言葉を神の言葉だと受けとめて、本当は間違えていることがあるかもしれない。
 
牧師にとって、この話は非常に恐ろしく感じます。なぜなら、私自身も、自分に都合の良い言葉を神の言葉と受け取って、皆さんに語っているかもしれないからです。知らず知らずのうちに、偽預言者をしている恐れがあるからです。不思議な出来事を神の導きだと語るとき、人々を惑わす魔術師になっているかもしれないからです。
 
実際、魔術師エリマに向かって、「悪魔の子」と叫んだ使徒パウロは、自分もかつて、神の子であるキリストから、「なぜわたしを迫害するのか?」と叫ばれた人間でした。自分は神の意志に従っていると思っていたのに、神の子から「そうじゃない」と言われた人間でした。
 
よく見ると、魔術師エリマと使徒パウロは、驚くほど重なる要素を持っています。二人ともユダヤ人で、二人ともキリストを信じる者と出会ってすぐに敵対します。二人とも人々から二つの名前で呼ばれています。バルイエスという名の偽預言者が、魔術師エリマとも呼ばれたように、サウロという名の宣教者も、またの名をパウロと呼ばれます。
 
エリマも、サウロも、キリスト者の信仰を邪魔しようとしたとき、その場で目を見えなくされ、手を引いてもらわなければ、歩くこともできなくなります。実は、魔術師エリマが、宣教者パウロにされたことは、かつて、キリスト者を迫害していたサウロ自身が、幻のイエス様にされたこと同じでした。彼と自分が重なります。
 
「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか」……パウロがエリマに向かってかけた言葉は、そのまま過去の自分に返ってくるものでした。私も偽りと欺きに満ちた者だった、私も悪魔の子であった、私も正義の敵になっていた、神のまっすぐな道を歪めていた。
 
エリマに対するパウロの呼びかけは、単なる侮辱ではありません。彼の呼びかけは、自分自身のかつての姿を告白したものでもあるんです。あのとき、復活の主の幻に言われたことは本当だった。私は罪を犯していた、私は偽預言者だった、私は魔術師をやってしまった。信仰者を捕まえて、邪魔して、喜んでいたのは、神の導きでも何でもなかった。
 
パウロはエリマに向かって宣言します。「今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう」……時が来るまで、あなたは目が見えなくなって、周りの人に手を引いてもらうことになる。私がアナニアに手を置いて祈ってもらうまで、みんなに手を引いていかれたように、あなたも誰かに手を置いて祈られるまで、みんなに手を引かれ、導かれる。
 
今まで見えていなかった道を、今度こそ正しい道を歩けるように……目が見えなくなって、手を引いてもらおうと歩き始めたエリマの姿は、自分が迫害していたイエス様の仲間に迎えられるため、手を引いていかれたパウロの姿と重なっていきます。「悪魔の子」と呼びかけたパウロの叫びは、単なる呪いじゃありません。「悪魔の子」魔術師エリマが、本来の名前である「イエスの子」バルイエスに立ち返るための宣言です。
 
振り返って、私たちはどうでしょうか? 誰かに対して、「悪魔の子」と呼びかける信徒の姿は、色んなところで見聞きします。けれども、そのとき、自分も「悪魔の子」であったことを告白する準備ができているでしょうか? 「悪魔の子」と叫んだ相手が「イエスの子」として導かれるように、とりなす準備があるでしょうか?
 
「退け、サタン」……イエス様からそう言われた人物がもう一人いました。私たちもよく知っている、弟子たちの中心的な人物、使徒ペトロです。彼もまた、悪魔の子であると訴えられ、ショックを受けた人間でした。しかし、イエス様はペトロをサタンのままにはしておきません。自分を見捨てるペトロのために、祈って、とりなし、聖霊を送ります。
 
今、私自身も告白します。私自身も、偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、正義の敵である姿を持っています。にもかかわらず、キリストが出会ってくださった、手を引いてくださった、目を開かせてくださった者の一人です。もし、あなたが「悪魔の子」と呼ばれることが出てきたら、どうか、思い出してください。
 
あなたも見えないキリストに手を引かれ、「イエスの子」として受け入れられ、新しく、キリストの証人として変えられていくことを。イエス様は誰一人、「悪魔の子」のまま、置いていくつもりはないことを。迫害する者と、迫害してきた者が、和解し、つながり、新たな群れとなるように、いつも導いてきたことを。
 
「時が来るまで日の光を見ないだろう」と宣言された人々は、同時に、この言葉を聞くでしょう。「神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」……イエス様があなたへ出会いにやって来ました。悔い改めて、良い知らせを信じましょう。キリストの復活を記念するイースターまで3週間、「イエスの子」となる準備ができますように。アーメン。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。