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私はもともと敵だった【聖書研究】


《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録21:37〜22:5

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

弁明とは、自分の言動を説明し、相手の理解を求めることです。不利な状況から自分を守り、少しでも有利になるよう、言葉を重ねます。しかし、宣教者パウロが、ユダヤ人の聴衆に向かって「これから申し上げる弁明を聞いてください」と言って続けた言葉は、自分を守るどころか、ますます窮地に陥らせる、弁明にならない言葉でした。
 
なぜなら、結果を見てもらえば分かりますが、彼は、かえってユダヤ人の怒りを買い、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」と言われてしまい、最高法院で、取り調べを受けなければならないことになるからです。いったい何が、ユダヤ人をそこまで怒らせたのか? そもそも、彼はなぜ弁明しなければならなかったのか?
 
それは、前回も話したとおり、もともとはアジア州から来たユダヤ人の勘違いがきっかけでした。当初、パウロはキリスト教徒を迫害するユダヤ人の一人でしたが、復活したイエス様の幻と出会い、回心をして、ユダヤ人だけでなく、異邦人にもキリスト教を伝えていく宣教者となりました。そのため、熱心なユダヤ教徒からは裏切り者に見えました。
 
また、彼は異邦人への宣教を最も精力的に行っていたため、異教を持ち込む汚れた民と接触するのを嫌がる人から、早い段階で目をつけられていました。あの男は、異邦人との接触を広げ、ユダヤ人の教えと伝統をめちゃくちゃにしている。古くからの掟を破るようみんなに教えている。そうやって、彼の評判を貶め、恐怖を煽る人たちもいました。
 
そんな中、海外宣教から帰ってきたパウロが、エルサレムの神殿へ行くと、彼を見つけたアジア州のユダヤ人たちは、こう言います。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった」
 
実は、エルサレム神殿には、異邦人が入れる所と、ユダヤ人が入れる所が決まっており、異邦人は奥まで入れませんでした。アジア州から来たユダヤ人たちは、以前、パウロがエフェソ出身の異邦人と一緒に居たのを見かけて、彼が神殿の中にまで、異邦人を連れ込んだと思い込んでしまったようです。しかし、そんな事実はなく、完全に勘違いでした。
 
普通、この状況で弁明するとしたら「私は神殿の境内に、異邦人を連れ込んではいません」「皆さんの勘違いです」と言うでしょう。「私を捕まえたとき、私と一緒に異邦人が居ましたか? 居ませんでしたよね?」と確認すれば、済むはずでした。それなのに、彼は無実の主張ではなく、自分がユダヤ教からキリスト教へ回心した経緯を話し始めます。
 
キリスト教を迫害しているユダヤ人からすれば、もともと仲間だった人が、敵に寝返った話を聞くようなものです。この話を聞いて、パウロに好印象を持つとは思えません。また、その場に居合わせたキリスト教徒からしても、かつて、自分たちの仲間を縛り上げ、処罰していたパウロの所業を聞くことは、決して良い気持ちの良いことではありません。
 
なんだ、あいつは一生懸命、イエス様の教えと業を伝える奴だと思っていたのに、もともとは敵だったのか。しかも、俺たちの仲間を殺すことに、賛成したこともあったのか。なんなら、大祭司や長老会と手を組んで、キリスト教徒を連行する手筈まで整えていた、大悪党じゃないか。こんな奴が宣教者をやっているとか、どうなっているんだ?
 
パウロを捕まえたユダヤ人だけでなく、パウロの過去を知らずにいた仲間のキリスト教徒まで、敵に回しかねない告白です。同時に、パウロを殺そうと騒いでいた、ユダヤ人の混乱状態を鎮めるため、出動してきた千人隊長も、良い印象じゃなかったはずです。なぜなら、彼は自分たちに分かるギリシア語ではなく、ヘブライ語で語りかけていたからです。
 
当初、ローマ帝国の千人隊長は、パウロが最近反乱を起こした、エジプト人の暗殺者集団のリーダーだと思っていました。どうやら、エジプト出身のユダヤ人で、自らを預言者と称して、荒れ野に多くの信者を集めていた、危険な人物がいたようです。つまり、千人隊長は、パウロをテロのリーダーかもしれないと思って警戒していたことになります。
 
ところが、パウロがギリシア語で「ひと言お話ししてもよいでしょうか」と聞いたため彼がタルソス出身のユダヤ人であることが明らかになり、その線は薄くなりました。しかし、千人隊長がホッとしたのも束の間、「この人たちに話をさせてください」と告げたパウロは、今度は千人隊長たちに分からないヘブライ語で、ユダヤ人に語り始めます。
 
その後、彼の話を聞いて、ユダヤ人たちは怒り出し、わめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほど暴れ始めます。はたからみれば、何か騒ぎを起こすように、パウロが千人隊長たちに分からないよう、知らない言葉で群衆を扇動したのではないかと思いますよね? 
 
本来、千人隊長に対しても「私が襲われたのは、私が異邦人を神殿の中へ連れ込んだと勘違いされたためで、テロや暴動の主導者ではありません」と言えば済むはずでした。「この混乱は私のせいではありません」「反乱を起こす意志はありません」と言うべきでした。けれども、彼は無実の主張ではなく、イエス様に出会ってどう変えられたかを話します。
 
そう、よく見てみたら、彼が行った弁明は、ユダヤ人に対して、千人隊長に対して、自分の無実を主張するための弁明ではないんです。むしろ、自分の潔白を証明することよりも、かつての自分にイエス様がどのように出会ってくださり、どのように導いてくださったか、告白することに焦点が当てられています。
 
その告白は現在に至るまで、信仰の証として読まれています。私はもともと敵だった。けれども、イエス様は私に出会い、私を遣わし、弟子として、仲間として、送り出してくださった。かつて、キリスト教徒を殺そうとする者だった私が、イエス様から兄弟として呼びかけられたように、今、私を殺そうとするあなたたちも、兄弟と呼ばれているんだと。
 
そう、この弁明は、パウロのための弁明というよりも、彼を殺そうとする民衆のための弁明です。彼らが敵から仲間になるように、イエス様と出会えるように、新しい生き方へ変えられるように、自分の身に起きたことを一から語った証言です。どうか、私が出会ったイエス様を知って、あなたもキリストを受け入れて、新しい命を受け取ってほしい。
 
来週には、キリストの誕生を記念する、クリスマスを迎えます。イエス様が再び来られるときを待ち望む、アドヴェント第3週目の水曜日、イエス様が、私に訪れてくれることを覚えつつ、私の隣人、私の家族、私の友人をはじめとして、全ての人に救い主が訪れてくださることを、共に証ししていきましょう。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。