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どんな不正を見つけたか?【聖書研究】


《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録24:1〜23

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

世界宣教の先駆者パウロは、度々ユダヤ人に捕まっては、殺されそうになったり、騒動を起こした原因として、ローマ兵に投獄されたりしてきました。多くの場合、取り調べがきちんと終わる前に、拘束されたり、鞭打たれたり、監禁されたりしてきました。理由はたいてい、宗教的なものでした。
 
ユダヤ人の守るべき掟を蔑ろにした……ユダヤ教から分派した新しい教えを述べ始めた……ユダヤ人の神殿に異邦人を連れ込んだ……そのような理由で、彼は悪評を広められ、攻撃を受け、リンチや裁判を受けました。時には、事実と異なる主張をされて、あるいは勘違いをされて、非難と罵倒を浴びました。
 
彼は、「ナザレ人の分派」ようするに、キリスト教の首謀者として、広く認識されていました。ユダヤ教にとっても、ローマ帝国にとっても、新しく出てきた「分派」は、今で言う「異端」や「カルト」のように、秩序の破壊や混乱をもたらす、不安要素の一つに見えました。警戒されるのは、決して不自然ではありません。
 
しかし、パウロを訴える人々は、パウロが行ってきたことも、パウロが教えている内容も、ほとんど整理しないまま、検証と確認をしないまま、「死刑に値する罪を犯した」と、過激な主張をしてきました。先ほど読んだ、大祭司アナニアの告発とパウロの弁明が続くシーンでは、それが如実に現れます。
 
「この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります」……確かに、パウロがどこかへ行く度に、騒動が起きているのは事実でした。エルサレムだけでなく、アジア州やヨーロッパ州で、何度も、会堂から追い出される事件が発生していました。
 
しかし、パウロが会堂を占拠したり、無理やり居座り続けたり、所構わず人を集めて、群衆を扇動するようなことはありませんでした。むしろ、群衆を扇動して、パウロやパウロの仲間たちを攻撃させ、家を破壊し、騒動を大きくしていったのは、パウロに敵対した一部のユダヤ人や大祭司の方でした。
 
また、「この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました」という主張も、実際には、アジア州から来たユダヤ人たちの誤解によるもので、パウロが神殿を汚した事実はありませんでした。以前、彼が異邦人と一緒にいるのを見ただけで、「神殿にも異邦人を連れ込んだ」と早とちりした人々の暴走に過ぎませんでした。
 
ところが、大祭司アナニアの言い分に対し、他のユダヤ人たちも、この告発を支持し、そのとおりであると申し立てます。つい先日、一回目の最高法院が招集された際、パウロがなぜ訴えられたのか、どうして逮捕されたのか、何も分かってなかった人たちが、ここでも事実を確認しないまま、十分な検証もしないまま、大祭司に乗っかってしまいます。
 
しかも、大祭司アナニアはかなり自信満々です。「閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます」……調べられたら、むしろ、パウロが群衆を扇動していないことも、神殿を汚していないことも、暴動を起こしたのは自分たちの方であることも、明らかになってしまいます。
 
大祭司の告発に、同意する者が多くても、一人一人を調べられたら、その証言が、どれも食い違っていることが露わになります。事実、一回目の最高法院を招集した後、最初に取り調べを行った千人隊長クラウディウス・リシアは、「彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はない」と述べていました。
 
パウロの方も、「自分がエルサレムに来てから、まだ12日しか経っていないこと」「神殿でも会堂でも町の中でも、自分が誰かと論争したり、群衆を扇動したりするのを見た者はいないこと」「自分を告発している者たちが、総督に対して、何の証拠も挙げることができないこと」を根拠にして、無実を主張していきます。
 
そして、エルサレムで逮捕されたとき、確かに、供え物をささげるために神殿へ行ったものの、それを人に見られただけで、自分自身が騒ぎ立てることも、自分が暴動をけしかけるような群衆もいなかったことを語ります。もし、自分を訴えるべき理由があるなら、最初に自分を捕まえた、アジア州から来たユダヤ人たちこそ、説明を行うべきであると。
 
そもそも、この騒動が起きたのは、アジア州から来たユダヤ人たちが、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだからでした。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった」
 
そして、群衆は皆、その言葉を鵜呑みにしてパウロを捕らえ、神殿の外へ引きずり出し、殺そうとまでしてきました。しかも、群衆に火をつけたアジア州から来たユダヤ人たちは、いつの間にか姿を消し、いなくなってしまいます。そのためか、群衆も、パウロがなぜ、逮捕されたのか、どんな罪で訴えられているのか、曖昧な認識のままでした。
 
だからこそ、長老数名と弁護士テルティロを伴っても、大祭司アナニアは、パウロにどんな不正を見つけたか、明確に答えることができません。「疫病のような人間」「神殿さえも汚そうとした」「お調べくだされば分かります」といった、抽象的な内容でしか、訴えることができません。
 
一方、パウロは具体的に自分の行動を説明し、彼らが「分派」と呼んでいる道、キリスト教に従っていることを明確に認め、何を信じているか、どんな希望を持っているか、ローマ帝国の総督相手に堂々と証言していきます。大祭司が「疫病のような人間」と人格攻撃をするのに対し、パウロは淡々と人格攻撃をしないで反論します。
 
結果的に裁判は延期され、友人たちが世話するのを妨げない条件で、パウロはカイサリアで監禁されることになりました。本来は、無実であるにもかかわらず、なかなか解放されないことを嘆くシーンですが、40人以上の暗殺者に狙われている状況だと、ある意味、ローマ帝国の保護を受けていることになり、最も安心できる展開だったかもしれません。
 
そして、ローマ人への伝道は、この裁判や取り調べを通して進められていきます。本来は、敵に訴えられ、伝道が阻害されているシーンですが、神様はこの状況を用いてパウロの信仰を人々に伝えさせていきます。ユダヤ人の信仰とキリスト教信仰の違い、「ナザレ人の分派」と呼ばれる人たちが、どういう生き方をしているのか、知られていきます。
 
ローマの市民権を持つパウロは、ただ、自分の扱いを不当だと訴えて、裁判を逃れようとしたわけではありませんでした。むしろ、取り調べや裁判を通して、自分の無実だけでなく、自分たちの信仰を、生き方を、みんなへ知らせようとしてきました。それは一見、「伝道」としてイメージされる会堂や広場でのメッセージとは違うかもしれません。
 
礼拝に人を誘うこと、聖句を渡すこととは、かけ離れた行為に見えるかもしれません。しかし、人と人とのやりとりを通して、神様に与えられた生き方を見せることは、紛れもなく伝道です。会堂へ行けなくても、礼拝に行けなくても、自由に外へ出られなくても、あなたはなお、伝道者として、神様に用いられているんです。
 
誰かから不当に貶められているときでさえ、あなたとその人のやりとりを通して、神様はご自分を現します。あなたが自分の十字架を背負うとき、弱さや、愚かさや、情けなさを覚えるとき、神様の栄光は、あなたを通して現されます。十字架につけられ、鞭に打たれ、人々に引いていかれた、何もできないはずの姿で、栄光を表されたイエス様のように。
 
だから、希望を持ちなさい。あなたはキリストの証人であり、弟子であり、兄弟姉妹の一人です。この道を伝える者の一人です。キリストの平和の使者として生きなさい。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。