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ユダヤ人を見放した?【聖書研究】


《はじめに》

華陽教会の聖書研究祈祷会のメッセージ部分のみをUPしています。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》使徒言行録18:1〜8

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》

パウロを含むイエス・キリストの弟子たちは、どこへ行っても、まずユダヤ人の会堂を訪ねて、そこからイエス様の教えと業を語りました。ユダヤ人は、もともと神様の教えと業を諸国民へ告げ知らせることを期待され、神の民として選ばれた人々です。繰り返し、神様の言うことに背きながらも、神様に守られ、導かれてきました。
 
ところが、「諸国民に神様の教えと業を宣べ伝える」という自分たちの使命はどこかへ行き、「自分たちは神から選ばれた特別な民である」「自分たち以外の異邦人は救われない」「異邦人と関わっていたら汚れてしまう」と言うようになり、ユダヤ人でない人、ユダヤの掟を守れない人を蔑むようになりました。 
 
もちろん、全てのユダヤ人がそうだったわけではありませんが、男尊女卑の激しかった時代、病気や障害への理解が乏しかった時代、多くの人々が、差別や偏見に囚われていたように、異邦人に対するユダヤ人の態度も、簡単には変わらない、根が深いものでした。そもそも、ユダヤ人は異邦の国に攻め入れられ、滅ぼされ、搾取されてきたからです。
 
使徒言行録8章2節にも、クラウディウス帝によるユダヤ人追放令によって、全ユダヤ人が理不尽にローマから退去させられたことが書かれています。あちこちで住居も仕事も奪われていたユダヤ人は、「どの国の人もどの民族も、イエス・キリストを救い主メシアと信じたら救われる」とパウロが語るのを聞いて、色んな感情が湧き起こります。
 
自分たちの故郷を滅ぼした民族、敗戦国の自分たちを支配する国々、こちらが国を失っている間、大きく栄えた異邦の民……彼らも、自分たちと同じ神の民、天の国に受け入れられる住人とは、思いたくない人がたくさんいました。そんなユダヤ人の多くにとって、異邦人にも救いを語り、病を癒し、食事を共にしてきたイエス様は異色に映る存在でした。
 
同じユダヤ人として生まれてきたにもかかわらず、ユダヤ人を支配する異邦人の願いも聞いた。シリア・フェニキアの女や百人隊長の身内も癒した。ユダヤの掟を守らずに、異邦人と接触していた「罪人」とも食事をした。そんな自分のことを救い主メシアと信じさせ、人々を従わせた不届者……そういうふうに映りました。
 
もちろん、異邦人も自分たちと変わらない、神様に愛されている存在だと気づかされ、イエス様に共感し、一緒に信じるようになったユダヤ人もいましたが、イエス様を嫌って「あの男がメシアなものか」「あいつを信じるのはユダヤ人への冒涜だ」「イエスが神の子であるわけがない」と罵る人たちが大半でした。
 
パウロも、もともとは、イエス様を神の子と信じないで、イエス様を救い主メシアと呼ぶことに反対していたユダヤ人でした。イエス様を神の子と信じる人たちを老若男女捕まえて、処刑するため投獄するような人物でした。けれども、復活したイエス様の幻と出会ってからは、自分の誤りを認め、イエス様こそメシアであると同胞たちに告げていきます。
 
私も間違っていたから分かる。私も信じていなかった。だが、イエス様は確かに私の前に現れ、自分を迫害していた私を赦し、この使命に就かせてくださったんだ。同胞であるあなたたちにも信じてほしい。もはや、ユダヤ人も異邦人もなく、イエス様を信じる人は誰であれ、救われることが約束されているんだと。
 
フィリピ、テサロニケ、ベレア、アテネ……これまで、ヨーロッパに渡ってから、イエス様の教えと業を宣べ伝えてきた数々の町で、パウロは最初にユダヤ人の会堂か、祈りの場所へ赴きました。そこで、力強くイエス様のことを語っては、反発され、追い出され、口汚く罵られてきました。
 
そして、とうとうコリントのユダヤ人にも罵られ、反抗され、我慢できなくなったパウロは服の塵を払い落としてこう言います。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く」……もう知らない、勝手にしろ、そうやって見切りをつけた台詞に聞こえます。
 
実際、この言葉を聞いて、パウロはユダヤ人を見放して、異邦人伝道へ完全に切り替えたと感じる人もいるでしょう。ところが、捨て台詞を残してパウロが次に行った先は、ユダヤ人の集まる会堂の隣、ティティオ・ユストという人の家でした。ユダヤ人のことはもう知らない……と言いながら、自らユダヤ人の近くへ来たようにも感じます。
 
たまたまだったんでしょうか? しかし、会堂長のクリスポは、一家をあげてイエス様を信じるようになったと書かれています。クリスポは、隣の家の壁に耳をつけて、パウロの言葉を聞いていたんでしょうか? そうとは思えません。やはり、パウロは自分が泊まっていた家の隣へ行って、会堂にいる人たちにイエス様の話をし続けたんだと思います。

さらに、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けたと出てきました。コリントの教会と言えば、教会内でいくつものグループに分かれ、律法の守り方について議論が絶えなかったところです。つまり、この教会は、異邦人だけが集まっていたわけではなく、ユダヤ人も相当数集まっていたわけです。
 
「わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く」……そう言いながらも、パウロが足を止める先には、やっぱりユダヤ人がいました。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ」……そう語りながらも、その血を洗い流す神の言葉が、彼らの頭にかけられ続けました。
 
確かに、宣教において、話を聞いてくれないところ、対話にならないところ、自分にはもうどうにもできず、神様に委ねるしかないと思うところが必ずあります。しかし、そのとき私たちが足の塵を払い落としてなお、神様は私たちが期待できない関係の変化をもたらします。払い落とされた塵に命を吹き込み、聖霊の炎を燃え立たせます。
 
自分の言葉が届かない、自分じゃ上手くいかない宣教は、そのまま終わっていく宣教ではありません。見切りをつけた人も、つけられた人も、なお、神の国に招かれる隣人として、神様の導きが続いていきます。私たちの期待と想像を超える神の業が、今日もここから広がっていきますように。アーメン。

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