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絶対律の揺らぎ

春学期の反省はなんだろうと考える。先日、反省点の一つとして、「無目的的であること、無計画的であることに囚われすぎていたところ」を挙げた。

なぜ囚われたか。自身のモチベーションの源泉にあるのは、「”没頭”や”充足感”」にあると考え、それらを手に入れるためには理性的でなくどこか直感的に、感性的に飛び込むことが必要だと結論したからである。

だからこそ予め何も決めず、心の揺れ動くままに過ごしていた。そしてそう過ごすことを目的化した。これを反省点と挙げたのは、「あなたは前進しているのか」「成長したのか」という疑問に是と答えられなかったからだと思う。

だが、考えている中でいくつもの疑問が立ち上がってくる。そもそもモチベーションという心理に自分を従わせることが前進を意味するのだろうか。はたまた感性的でなく、理性的に”真理”のようなものを追求すべきなのか。そもそも何を持って前進とするのか。前進することが私を形作る思考体系の大元、アルキメデスの点なのか。等々。

要するに先日挙げた反省点を含め、春学期の自分は「絶対律の揺らぎ」に翻弄されていたと言える。分かりやすく言い換えれば、「価値観の崩壊」だろうか。今も変わらず自分にとっての絶対律を探して、哲学書を読んだりしているのだけど。

思えば、この絶対律の揺らぎというのは、ヒッチハイクで日本一周をしていた時から生じていたように思える。旅を経て自分の中にあった常識のようなものが破壊されたのだった。

自然が好きで、お気に入りの場所にテントを立てて生活しながら、日本を巡る旅人に出会った。その人はチリの国立公園で働いているという。煩わしい人間関係がなく、豊かな自然を満喫できる環境だ。彼は”自由であること”にこだわりを持っていた。彼の場合、"自由であること"が第一条件でそこから物事を思考するのだろうと思う。

自分も、「好きなことで生きていきたい」という意欲は旺盛で、”自由であること”にこだわりを持っていたはずだった。でも彼ほど自由ではなかった。

そこで一つの問いが生じる。

「ではあなたは自由であることを本当に求めているのか...」

このようにして、自身がこれまで抱いてきた価値観や自己自身に疑いや揺らぎのようなものが生じてきたと思う。そして哲学書に触れることでこの揺らぎは更に加速しているように思える。

そんな非生産的で形而上学的なことばかり考えないで、生産的なことをしろと言われたら、それまでなのだけど、自己が一旦揺らぎ始めてしまったのだから、その揺らぎを抑えるまでは考え続けるんだろうなと思う。




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