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抽象思考の誘惑

現実がひしひしと迫ってくる。残り半年の休学期間を終えて、大学4年生を1年やったら、いよいよなんらかの職を得て生活していくことになる。あと1年半もしたら社会人になる。その厳然たる事実が、私を抽象思考の世界に誘う。

現実は具体的で鮮やかだ。その鮮やかさに耐えられない私は、これまで抽象思考に逃れてきた。抽象思考に逃げ込みさえすれば、現実を直視しなくて済むからだった。いちいち抽象的なことを懐疑して意識の俎上に載せていく。頭の中を抽象的なことで一杯にする。

キルケゴールの『死に至る病』的に言えば、”可能性”や”無限性”に偏ってきたのだと思う。必然性も有限性も直視した上で、中庸を生きないと、本来的な自己には到達し得ないのだけれど。

キルケゴールは、『死に至る病』の中で、人間は絶望して生きるべきだと主張した。下の引用は、キルケゴールの鍵概念である絶望という言葉を使わずに表された、キルケゴールのエッセンスの詰まった一文である。

自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、
自己は自己を措定した力のなかに自覚的に自己自身を基礎付ける
キルケゴール著『死に至る病』より

人間には本来的な自己というものが存在することを意識し、自己自身(現在)を本来的な自己(理想)に近づけていこうと意志した際に、理想の範疇(どれだけ仔細に描かれているか)に自己自身を築いていく。

そうすることで、本来的な自己を生きることが出来るというのが、キルケゴールの主張だが、ここで自身の問題に戻る。

自身の問題は、自己と自己自身の関係が存在しないまたは薄いというところにある。抽象的な本来的な自己の意識というところは出来ているのかもしれないが、それを今の自己自身と関係させる、要するに具体的な行動に落とし込むということが不足しているのだ。

本来的な自己に近づいていく(絶望していく)ことが必要だという、キルケゴールの主張には多少なりとも共感していたつもりだった。でも真に共感するには、キルケゴール的に生きるには、「キルケゴールの言ってることなんとなく頭で理解できる」という状態から脱しなくてはならない。

抽象思考の迷路から逃れなくてはならない。

本来的な自己を生きるべきだと決意するのなら。


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