29歳 12ヶ月 <5/4>労働とは

 そんなもん決まってます。他人のニーズに応えることです。
他人と言っても上司でも他の部署の人でも取引先の誰かでもなくて、その先にいる他人のことです。それを普通お客さんといいます。

 昨今、「好きなことを仕事にしたい」などと申しますが、そんなもの嘘です。
 その証拠に「好きなことは仕事にするな」という有り難い言葉もあります。好きなことを仕事にしたら、「好きなこと」がキライになってしまうからです。からです、などと断定することではないですけど、昔の人はそうやって正業なりを生業としてきました。

 自分のやってる仕事のニーズを感じられないと、仕事は退屈な時間つぶしにもなります。労働とはニーズに応えるものなんです。自分の好きなことを他人もまた望むなんてのは、基本ありえないことです。演劇だって、誰も観てくれなくては淘汰されます。演劇を労働にするためには、ニーズを感じとる感受性とそれを形にする技術と忍耐力が必要です。
 多くニーズを感じ取る感受性というのは摩耗していく傾向があるように思います。何せ向き合うのは自分自身ってのが多いですし、そこに他人からのニーズという要素を組み込むことに抵抗感ってのはあるように思います。「君のホントにやりたいことをやるといいんだよ」という助言は創作する上でよく聞くアドバイスですが、そう言われるような人に、「観客のニーズを考えろ」というのは酷なことです。なぜなら、そもそも演劇や芸術というのは、自己の芸術性を公共性まで高めるという宿命を背負っているもので、自己の緩やかな確立(硬直しない確立)なくしては他者のニーズを受け入れても意味がない仕事だからです。

 なんでこんなこと書いてるんだろう。
 今日は朝10時から24時半までバイトだったのだ。明日も9時からバイト。
 辛いのか?と言えば、今日は別にそういうことで書いてるのではない。
 なんとなく書いている。
 だいたいいつもなんとなく書いている。

 僕は別に演劇や芸術が他の仕事とは別の特別なものだと言っていない。
 演劇だって普通の労働と基本一緒だ。社会のニーズを勝手にかぎ分けて、己が感受性を勝手に供給する。「勝手」というところが「演劇が日本で生業になりにくい」最大の欠点ではあります。海外のことはよく知りませんが、多分そうそう「勝手」じゃないと思います。

 なんででしょうね~。
 今、日本で満足に演劇やってける人ってのは金持ちが多いと思う。演劇やってなければほとんどニートって人が活躍するチャンスを得たり得なかったりしているような気がする。

 あ、でも分かんない。いい加減に書いてる。

 僕なんかも正業ってのが分かんない今時の男の子だからな。
 男の子っていってももう30ですけど。30になってもずっと男の子やってられる日本てのはどうなんだろう?とか思ったりして、でもそうやって外に思考を逃がすのが、それこそ最近の男の子だなぁとか思ったりします。

 今の若者って男女問わずに「分裂上手」なんでしょうね。僕がそうなんだからきっとみんなもそうだと思います。僕だって今の時代性を背負ってるはずだから。

 「正業が分かんない」ってのは「まともな仕事に価値が見いだせない」ってことだし、それを生業にしてる人達の内実はまったく分かんないってことでもありますが、なぜ分かんないのかっていうと、やっぱり「労働というが他人のニーズに応えるものだ」という黄金律が刻まれてないからなんだと思います。理由は時代性ってのも勿論ありますけど、そんなこと言っても、結局困るのは僕達です。だから別に時代がなんだ、世代がなんだ、と言っても仕方ないとも言えます。実用的な思想が僕達にはきっと必要なんだと思います。もうフロイトはいい加減卒業しましょう。

 まぁでも他人のニーズって確かに見えずらくなってますよね。僕んちの実家は靴屋ですので、お客さんという他人は目の前に存在していましたが、普通のサラリーマンにとって他人ってのは同僚だったり上司だったりするのかも知れません。株なんてねー。ホント、そう思うと子供に株を学ばせるなんて以ての外だと僕なんかは思いますね。あんなものやらせたら、労働の意味なんて子供は学ばないんじゃないか?と普通に思います。正業に相反する要素を親が積極的に子供に注入していて、後になって小うるさく言ったって、子供の中にはしっかり、それを抗う論理が出来上がってるのでもう手遅れ、なんてことにならないといいですけど。
 社会をどんだけ利口に泳いでいけるか?というショートカットの処世術が、今後日本の将来をどう変えていくのでしょうか。ただ、「実用的な思想」と「実務的な思考」とは明らかに違うんですけどね。
 ついでに言ってしまいますが、これからの時代、大事なのは何かっていうと--なんでこんなの書いてんのか知らないけど--「弁別能力」でしょうね。これが育たないと生きる意味がありません。ていうか「生きる意味」が希薄になってしまいます。日本の死亡原因の1位が自殺だそうですが、残念ながら向こう10年は地味に更新したりしなかったりだと思います。これが減少していけば、日本人の弁別能力が上がった指標にもなりえます。
 僕は最近、わりあい「弁別能力」の弱い人間が自殺していくと思っているのです。この能力は僕自身弱っちい人間なのでいろいろと危ういのです。くわばらくわばら。

 ああ、なんだか勝手に暗い気持ちになってしまいました。

 ちょっと前に、近しい人から「君ってホントに最近の若者だね!」と嫌みを言われたことをふいに思い出して長々と書いてみましたが、最後は変な方向に行っちゃっいました。

 もう止めようと思います。
 あ、でも別に、今日は普通の一日でした。

おしまい

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