30歳 1ヶ月 <5/21>公開ゲーム

 一人で自分を支えきれないとか、淋しくて仕方ないってのは、自分という神輿を担ぐ人々がくたびれてる時に起きる。

 自分という神輿はだいだい3 人から5 人の自分によって支えられている。誰かが一時的に倒れてもなかなか神輿が倒れないのはその為なのです。

 担ぎ人にとっての体力は気力でしかなく、さらに言えば「神輿を担ぎたいかどうか」でしかないから、担ぎ人がくたびれるという現象は「ちょっとこの神輿担ぎたくないなァ」であり、淋しいとは「誰かと一緒なら担いでもいいなァ」である。

 ずっと気になってた神輿のあの余分な出っ張りが、実は他人の神輿とのジョイント部品だったと知る。または余分な出っ張りに全くの無関心を装って、他人に自分の神輿を担がせたり、自分が他人の神輿を担いだりする。それはもともと無茶な話です。
 その証拠に、他人に神輿を担がれた人は「依存」ってものがおまけについてくるし、お節介に他人の神輿を担いだ人は、自分の神輿が手薄になって自己実現の傾向による憂鬱というおまけがついてくる。また、互いに担ぎ担がれは、共依存という地獄からのおまけが用意されている。

 果たして僕のジョイント部品は腐っているような気がする。

 と勢いで書いてみたが、これがジョイントに無関心な人間なのかも知れません。
 ああイヤだ。
 と勢いで書いてみたが、これはこれ以上考えるのがイヤだ。
 というのが本心だったりする。
 そしてこのように分析しながら、僕は僕を追いつめていく。
 ああイヤだ
 が本心なのでそれで終わりにすればいいし、実際終われるのだけど、今日はなんとなく追いかけてみる。

「ああイヤだ」が本心だとして、ならばどうしてその後に「これはこれ以上考えるのがイヤだというのが本心だったりする」という分析をしなければいけないのか?
 この分析は別に特別なことではなくて、普通にフラッと思い浮かぶことでしょう。この先に続くのはどういう言葉かというと、「これ以上考えるのがイヤだということは、僕はそこに何か思い違いや思い込みがあって、それに抵抗して考えないのではないか?」という疑念で、ゆえに「だとしたらその思い込みはなんだろう?」と思考が進展して犯人捜しが始まります。例えばその犯人(思い込み)が「ジョイントに無関心な自分はいけないのだ」というものだったりすると、「ジョイントに無関心な僕はそれに関心を払えるまで、淋しいなどと言ってはいけない」という指針が簡単に算出される。それが僕である。
 僕はこのように極端に走りやすい人間なのですが、実際のところ、上の犯人は間違っている。冤罪である。真犯人は「分析すること」自体である。つまり捜査を行ってきた警察官本人が犯人なのである。事件のでっち上げなのだ。
 ただ、煙のないところになんとかと申しますように、事件をでっちあげるのにもそれなりの背景がある。その背景に迫ることが、自分の本心の本音を聞くことである。

 ああイヤだ。

 これが本心だとして、その背景を無視して「私は淋しいとは言ってはいけない」と、そもそもの自己評価の低さ故の答えを出している。さらっと「自己評価の低さ」と書いたが、本心の本音とはこのことである。「私は人に愛されるべきではない」のだけど「淋しい=愛されたい」などと思っていて恥ずかしい、とか「だいの大人の男が、淋しいという本音を言うなんて駄目だ」とか、それが私の本心の背景にはある。問題と言えばこれが問題だけど、問題と言ってしまうとまた犯人捜しが始まるので、これは問題なんかではないのである。

 そんなこと誰だって思うよ。

 なのだ。

 大人とか男とかが淋しいって言ったら恥ずかしいんだったら、大人の男ってのは安定してるはずだけど、実際問題「淋しい」って言えないから、中高年の男達が自殺しちゃうんしょう?

 なのだ。

 このようにいくらだって応援が来る。

 つまり、僕がこのように自分を追いかけてみて分かることは、「私は答えをたくさん知っていて、その上で答えを知らないフリしてわざわざ自己嫌悪などをしている」という事実である。
 じゃあ、どうしてそんなつまんないことをするの?という問いが当然生まれますが、その答えだってきっと私は言えるのです。
 答えは。
「苦行こそ、自分を成長させる効果的な方法だ、という思い込み」なのです。
 そして驚くべきことに、最初の本心である「ああイヤだ」の主語は、このことだったのです。そしてさらに加えて、「これ以上考えると変な思い込みで暗い気持ちになるから、考えたくない」という自己防衛でもあったのです。それからもう一点見逃してはならないのは--この文言を読めば分かるように--私は私の負の思考パターンを予め分かっているという点なのです。

もう一度始めの方の文章を読み返してみましょう。
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果たして僕のジョイント部品は腐っているような気がする。
と勢いで書いてみたが、これがジョイントに無関心な人間なのかも知れません。
ああイヤだ。
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 お分かりでしょうか?
「ああイヤだ」は、見事に私お得意の負の思考パターンが顔を出した瞬間に登場しているのです。

 ほえーっ。と僕は僕に頷きますが、人間ってわりと平気でこんな複雑なことを自然にこなしてる場合が多いのです。実のところ多くの場合、もしくはほとんどの場合、あなたや私が他人に求めていた答えというのは、あなた自身がすでに持っていたりするものなのです。

身に覚えはありますか?

おしまい

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