30歳 1ヶ月 <5/12>限界とかその手前とか

 人ってたいてい自分の手前に限界を引いてる。
 って、あだち充先生のマンガ「H2」に書いてあったけど、僕は別に甲子園やってるわけじゃないので、体力の限界突破に興味はない。無理なモノは無理。疲れたのもう。
 昨日は朝四時から仕事あって、その後学校あって夜10時半に帰宅。ホントはお芝居を観る予定だったんだけど仕事のせいで観れなかった。
 満足に食事だってとれやしない。
 その後、自宅の葛飾区から川崎市まで届けもの(夜の11時なのに)を頼まれたが、断った。
もう無理だわ。疲れたわ。眠らせて。

 昨日は学校だったのだ。かなり体力的にしんどかったけど、初めて軽いワークがあったから楽しかった。階段教室的な授業はなかなか集中が続かないけど。
 気をつけている。先生が喋っていることや、促している注意が、すでに自分自身で行ってきたものばかりだからだ。僕はその筋の即戦力だと思います。でも基本を体系的に学ぶために通っている学校なので、「ふふん、知ってらぁ」などと思っていてはいけない。当たり前のものほど、扱いに注意がいるのだ。「分からない」は時に「当たり前の検証」を必要とします。「当たり前」は当たり前だから普通検証しないんだけど、だから「分からない」が分からないまま人を混乱させる側面もある。

 「当たり前」なんて存在なんかしないのです。
実務世界にはあるけど、僕の言ってることはそのことではありません。
 自分の「価値観をゆさぶる」経験っていうのを意識的にやってく、なんてのは僕はこの10年ずうっとやってきたことだけど、実はゆさぶれていない大きな価値観の幹が僕の中にいくかあるのも知っている。「こいつなぁ」という価値観の幹はこの先ちょっと通行の邪魔になりそうなので、学校に行きながらゆさぶろうと思う。

 見えたものを見えたままに受け入れる
 って結構技術がいるもんです。

 学校のクラスのみんながどうも「いい人ばかり」なのがしゃくにさわる。
いや、「いい人」というところじゃなくて、「いい話」ばかりするのがしゃくにさわる。
 申し訳ないけれど、善人が強調される人は悪人が強調されている人と変わらないと僕は思うので、なんだか「何か見逃してるんじゃないのかなぁ」と思ってしまう。
 関係ないけど。
 きっとこれからみんなイヤな人を通過するんだろうなぁ。
 その茨の道を善人で押し通す厚顔な人もいるだろうけど。イヤな人にならないと通過できない道もありますからね。イヤな人ってのは「自分が自分を嫌いになっちゃう」ってことですけど。

今日はちょっとだけお出かけ。楽しみ。

おしまい

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