29歳 9ヶ月 <3/6>続・バランス感覚の鬼

■例えば、稽古で今まで気に入っていた演技が、久しぶりにやってみたら崩れていたり、
例えばそれが、自分の中の3つ4つの自分がバランスを崩しているのが原因かな?とか思っていたり、
そしてそれが、原因分析じゃなくて解決志向が優れてんだ、だったり、
いろいろと人は個人の中で忙しい。
僕はここ最近、ホントこの1週間くらい、自分の中のバランス感覚が崩れていて忙しい。
過去ばっか、原因追及ばっかしても仕方ないよねーー。って意見もあってそれはそれで正しいんだけど、前提として「原因分析だけして解決しなけりゃ」という括弧つきなので、それが僕個人のことならば「ほっといてくれ」と言いたいし、言う。
それで「大人げない」とか言われてもそれが大人なら「げない」で結構。
例えば、演技が前と違ってるのは、声の出し方の問題なので声を幾分高くすれば戻る。
例えば、自分の中の自分たちのバランスが崩れてるのは、大きく3つの自分、「親」「大人」「子供」のうちの「大人」が主導権をとれていないからで、だったらとれるようにしてあげればよい。
どうすればいいのか分かんないけど。
自分の中の抑圧が強いのは「自分の中にある親」の権力が強いからで、倫理観ってのはこの部分におおく存在しているんだと思う。僕は倫理観が強い人間です。
金銭感覚とか労働意欲が低いのは「自分の中にある大人」の権力が低いから。
A→B→C→D(病むはやむ日誌参照)と段階を経てやってきたことは、自分を10歳からやり直すということだったけど、これは言葉の通り、「子供の復権」で「正しい思春期のやり直し」だったわけなんだけど、するとどうなるかというと、真ん中の「大人の自分」の立場が浸食されるわけ。
僕なんかとっても極端な人間なのですが、その由縁というのはそんなところにある。
で、じゃどうする?って議論が開かれて、もちろん「大人の復権」だよね、って話になるんだけど、そこで反対するのは「親の倫理観」で、賛成するのは「よく分かんないけど…いいんじゃない?」という「無責任な子供」。多分今はそれで大人が右向いたリ左向いたりしてんだけど、僕はこいつに「まっすぐ向きなさい!」と言いたい。もちろんそこには説得力が必要
なのだけど、そんなのは決まっていて、
「なりたい自分に、今もうなってるつもりで行動してごらん」
という言葉。
「バランス悪くなるんじゃない?」というのは「親の既得権」からの発言。
「つまんない人間になるんじゃない?」というのは「子供の既得権」からの発言。
「オレのことも尊重しろよ!!」と言うのは「浸食された大人」からの発言。
浸食された分、子供の部分も親の部分も持っていて臆病だ。
それじゃ可哀相なので、本来の現実的で冷静で愛のある「大人の復権」を願いたい。そしてこれからの「子供」はその「大人」によって保護されるべきだと思っている。
自分会議で誰が主導権をとっているのかを意識的に考えるようになってきた。
次期代表は「大人」に決めているけれど、抵抗勢力がある。
それらが肩を凝らせたりため息をつかせたり口内炎を起こさせたりする。
原因分析ばかりしてきた僕だけど、前に僕は「過去は未来で順番待ちをしている」と言っている。原因を考えることは、未来で過去と握手するためなんだと思う。解決志向も原因分析も手段に過ぎないけど、僕はそれが気に入っている。

■最近、僕を分裂させた話題がある。ポツドールの新作のいろいろだ。主宰の三浦さんが、ニセSの時に五反田組が稽古場によく泊まっていることを聞き、「ああ、やり部屋になってんだ」と開口一番言っていて、それから彼は、僕にとって「苦手な作り手」として認識されている。
今、一部の演劇界でポツドールの新作が賛否両論、というか、倫理の問題で賑やかしているけれど、あれだけ酷評が出ると、当然大好評が出てくるのは集団心理として当然のことで、
それは無意識に「自分はどっちにつくか」という立場の問題にすり替わっていたりすることから起こるのでしょう。こういう事態は日常でもよくあることです。
僕はポツドールはニセSでしか見たことないけど、「この作品を面白いと言う人はたくさんいるのは分かるけど、とりあえず作った人間にまったく興味がそそられないので僕には関係ない」と思っている。上の一件が少しは関係してるだろうけど、
単純に作品から透けて見える作者の人間観からそのように思った。
でもね、社会にはそういう表現をする人間だって当然必要です。そういう人がちゃんと存在してこそ僕らがいるんだろうなぁと思います。この勢いのまま頑張って欲しいです。彼が演劇と出会えてホントよかったですよねー。
アンチテーゼだけを投げかけて、社会と合致してジンテーゼを得るのは、決して「やり逃げ」でなく正しい芸術のあり方の一つだと思います。
善し悪しのことは言ってないですよ。
ただ、「悪趣味」という言葉も僕は知ってるけど。
見てないので多くは語りません。
ただ、見てなくても不快な感じを貰いました。想像出来るから。
例えば奇抜さというものが、「人の想像力を超える」ではなくて、「人の倫理観を蹂躙する」ということならば、「悪趣味!」と言ってなんら恥じるべきではないとだけ思いますけど。
この声が「僕の大人」の見解です。それから何だって深読みしてあげればいくらでもひっくり返りますからね。善悪なんてたくさん存在するのですから。
日記を書いて少し落ち着きました。ああよかった。
今日も稽古です。

おしまい

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