29歳 9ヶ月 <3/22>運命の赤い糸

男と女がどうして交際するのか?
淋しいから。
これは正確ではない。

正確には「自分と違うモノに自分の存在( or 能力の一部や成果)を認めて欲しいから」だ。

自分と違うモノなんだから、別に同姓でもいんだけど、異性の方が違う度が大きい分、認められる報酬も大きい。と脳に教育されている。
動物でも植物でも人間でも愛がないと死んでしまう。淋しくて死ぬんだけど、正確には「自分の存在を認めてもらえない」
から当然の悲劇的結末として死んでしまう。
しかし不思議なことに人はなんとか生きようとインプットされているかのように、愛がもらえないならば、わざわざ「自分がイヤな気分を味わう」という報酬を貰おうとする。
例えば、親に褒められない子供が、外で自慢ばっかりする「ニセ自信家」を演じることで、周りに煙たがられる。それによってその子供はわざわざ自己嫌悪を味わう。
「愛」の変わりに「煙たがられる」だって、人は欲しがる。

人にとっては、「なにもないよりはまし」なんだそうだ。激しく合点する。

恋人がいちゃいちゃするのは、「あなたはオッケーよ」を非言語に表明しあう行動で、昔はみんな親からそれをもらった。
子供時代に十分にこの「存在のオッケー」を貰えなかった人は、親を困らせたりすることで「なにもないよりはまし」を獲得する。それはその子の死なないための処世術だった。

その子が大人になると、不思議なことに「存在のオッケーを私は貰えない人間なんだ」と無意識に思いこんで、非言語的な愛を表明しない異性を求めたがる。そして子供時代の再演を行う。

こういった考え方は、TA( Transactional  Analysis=交流分析)の一部みたいなんだけど、なるほどなーと思う。
今僕はTA にご執心なのだった。肌に合う思考法をまた見つけた感じだ。「人が変わっていく」ことを常に前提にして、悪戯に被害者意識を肯定しない。全て自分の選択である。そのことに好感を持つ。

僕の場合は「一つの問題の中で、被害者意識と加害者意識は両方とも経験的に必要で、そして最後にそれを捨てる」って考えだった。これはこれで時間はかかるけど、前の僕にとっては肌に合う思考法だった。なにせ自己流だったし。
確実にもう一歩進もうと思う。

せっかくここまで育ったんだからもっともっと育とうと思う。

そう思っていたら、なんとなくあと2段階、人間がレベルアップしたら恋人をつくろうと思い立った。2004年の冬に「10歳からやり直す」を始めて、僕は今19か20歳なんだけど、2段階ステージアップしたら25歳になっている。
そんなことを稽古後の飲み会で喋ったら「岩崎君は自分に厳しすぎる」と言われた。これを言うと多くの人は異を唱えるような気がするけど、そういう指摘もありだな、とも思う。
「厳しすぎる」というか、「25歳になったら恋人をつくろう」ってのは「25までは恋人をつくれない」という「隠されたメッセージ(=抑圧)」なので、それが僕を硬直させるのはよくないと思って、考え直した。それがこの二行。

私とあなたは、あの場所で(改めて)出会う。
私はあなたの成長を待っている。あなたは私の成長を待っている。

いい年して『運命の赤い糸』。「改めて」ってのはもうすでにその人と出会ってるかも知れないから。でもまだ互いに成長が合わないので、会ってても出会ってはいないのだ。

まぁ素敵。

そのように思うと、僕の中のある部分が優しく補完された。
またどこか身体が変わっていく予感がする。
ホント、「この世の中に変わるってこと以外に永遠に続くモノはない」のだな。

おしまい

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