30歳 1ヶ月 <5/25>神の国はあなた方の内にある

 キリストの言葉だそうだ。
 最近、僕の感じ方がまた偉人の言葉に近くなっているので書いてみた。昨日も無意識に福沢諭吉の言葉を使っていたらしい。ああ、偉人とは確かに偉人なのだな、と殊に感心している今日この頃なのだった。もしやもうすぐまた「地球になってしまう(「病むはやむ日誌」参照)」のではないか?とか思うけど、別に不安ではない。地球になりそうになったら、またこうやって俗世に戻ってくればいいだけなのだ。

 昨日の深夜、どうしても僕に会いたいという人がいて、夜中に田端のデニーズにて会うことにした。3時間近くお話をして、お相手は僕のことを「好き」と何度も言った。そしてそれと同じくらい僕のことを「きちがい」と言った。
 僕はまんざらでもなかったけれど、何故か何度もおしっこがしたくなった。実際、何度もトイレに立った。尿意とそれの関係性はよく分からないけれど、あんまり関係がないように思う。一つ言えることは、僕も相手も結局はそれほど緊張しないですんだ、ということだろう。
 それからその会合の相手が男性で、芝居の出演オファーだったことも付け加えておこう。

 男性から「好き」と言われるのは慣れていない。男性から「きちがい」と言われることには何故か慣れている。女性から「好き」と言われるのは少しだけ慣れている。女性から「変態」と言われることには結構慣れている。私はいったいどんな人間なのでしょうか。

 今週はなんだか、そういう呼び出しが続いている。こないだも、僕の戯曲を上演したいという団体と話すのに夜の10時に日暮里のビルディに行った。その時も突然その日に会うことになったので、資料などいろいろ忙しなく用意して向かった。尿意を感じなかったので僕はそれなりに緊張していたように思う。
 そのときは「きちがい」とも「好き」とも言われなかった。

 そういえば僕は両人ともに同じ事を言っている。「僕は人の垣根がないので」という言葉だ。私は初対面でも相手を緊張させない人間になりたいので、相手が緊張してるかどうかはとても気になるのだった。私と言えば、礼儀としての若干の緊張はあるけれど、基本1対1の方が得意なのだった。

 演劇人と話して分かったことは--というか「ああやっぱり」と思えたこと--「僕はなんて演劇に執着がないのだろう」という事実だ。昨日は「演劇キライですよね?」とまで言われた。「キライではないけど、そんなに興味がないのかも知れません」と答えた。
 そんな会話をするくらいだから、相手はきっと話したいことが話せたのだろうとホッとする。

 ふと今日になって、こんな僕が持っている技術は早いとこ世界に還元した方がいいな、と思い始める。僕が一人で後生大事に抱えていても有効活用できない多くの技術があって、それはたくさんの人に使ってもらった方がよいのではないか。と。
 今はなんとなくそんなことを考えている。

おしまい

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