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野菜の呪い

こんにちは、こばしです!

なんだか、今日は note書くのに、かなり肩に力が入ってる感じがします。笑

というのも、ここ最近またnoteの毎日更新をし始めたのですが、

1番の目的は、

「弱い自分と向き合い、それをオープンにすること」

なんですよね。

(こちらの記事でも少し触れたので、もしよければ。)

とは言っても、やはり弱い自分と向き合うのは体力使うし、あと、別に楽しくないので、少しばっかり後回しになったりするわけで、

この「弱い自分」というテーマの記事を最近書いていなかったので、

今回はそっち方面の記事を書いていこうと思います。


以前書いた記事では何度かお話ししていますが、

幼少期の頃の僕は、自己肯定感激低人間で、大人になってできることが増えてくるにつれて、

だんだんと、自分を認められるようになってきた。みたいな背景があります。

というとことでじゃあ、「自己肯定感激低人間になったのはなぜ??」という問いをかけ、

自分のルーツを振り返ってみると、僕の中で大きな”呪い”が見つかりました。

その中の1つが、

「野菜嫌い」

であり、これは「自分を認められない自分」を作り出した要因として、かなり大きそうだなと思ってます。


どういうことか触れていくと、

小学生の時の僕はまず、

「全ての野菜が食べれません」

というレベルの極端な野菜嫌い。

家で野菜の料理なんて出てきた際には、”何があっても”、”絶対に”食べることはありませんでした。
(子供だったからユルシテ…)


ただ、そんなわがままを言いながらもやはり、

「本当は野菜も食べれた方がいいんだよなぁ」
「野菜が食べられない自分ってダメだなぁ」

という気持ちを持っていました。


そして家では食べなくてよかったものの、

学校ではそんなわがままは通らず、嫌いなものを”減らす”ことは許されましたが、

”残す”ことは、体調不良でもない限り許されず、いつも時間通りに食べ終わらない。

給食の後は”掃除”の時間なのですが、みんなが机を後ろに下げて掃除をしてる中、

僕は下げられた机の中で一人だけ座ったまま、給食を食べ続けていました。


「(なんて、惨めなんだ……)」

という気持ちが、やはり強く、

ここから「野菜を食べれない自分=ダメ」という構図がさらに強まっていった感覚があります。

今はある程度の野菜は食べれるというか、まあ好きじゃないのもあるけど、一応食べるよねくらいにはなってます。

ただ、やはり「野菜嫌い=ダメ」というセルフイメージから、

「欠落のある自分=ダメ」

みたいな、そんなイメージが今も残ってるので、ここの解消は今後の課題。

とりあえず今のところは、そのルーツが見つかったのはOKって感じでいますので、

何か変化があったら、また共有させてもらうかと思います!

ということで、また!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。







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