いわゆる同性婚について、偽装結婚などの心配をする前に、成年後見制度の対象者の「婚姻の自由」を制限したほうがよい。

まず、結婚制度というのは、もともとは赤の他人であった他人がきょうだい以上の深い関係にある間柄となる家族となり、税制、社会保障、はたまた相続という部分において権利が保証される制度である。

それゆえに、同性婚を忌避する立場の人間からは、「偽装結婚」などのリスクを口実とした批判が出ている。曰く、外国人にたやすく日本国籍を与えるものだ、偽装結婚のリスクがある、云々。

こういう言辞は、間違っている。そもそも、偽装結婚などのリスクは、現行法で認められている異性同士のそれにおいても同様のリスクが存在するのであり、同性婚を区別する理由にはならない。

また、同性愛者への嫌悪というものは、そう簡単に拭えるものではない以上、簡単に「矯正」できるものではありえないし、その必要もないだろう。心情的には理解できなくもないが、そもそも、責任能力がある個人間のやりとりにかんして、安易に世俗国家が介入するような性質のものでは、少なくとも、ない。

一方で、日本国の法律においては、「責任能力」が欠落、あるいは不足している人間というのは、たしかに存在する。児童、認知症、知的障害者、精神障害者あたりが、これに該当する。ある立場からすれば、気に食わない制度かもしれないが、刑法第39条の存在は、こういった立場を採用している、ひとつの証拠であるともいえよう。

さて、タイトルにも書いたように、日本国には「成年後見制度」というものが存在する。この制度の趣旨は、認知症や知的障害などにより、正常な判断を期待することが困難であると認められた人間の私有財産を保護する、という、重大な目的を有している。こういった状態にある人間に「婚姻の自由」を認めるということは、本人の意思決定権を尊重しているとはいえ、同時に、悪意がある人間との「合意」という極めて危険なリスクを有している、とも言えるだろう。

児童や精神障害者や知的障害者のやらの人権を守りたいなら、少なくとも当人間だけの問題でしかないという前提ではあるが、同性婚なんかに目くじらを立てる前に、成年後見制度の対象者たちの「婚姻の自由」も同様、また制限をかけたほうがよいのではあるまいか。

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