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28_「イシマエルが死んで、ネホムという所に葬られた」(1ニーファイ16:34)

リーハイの一行にとってのはじめての死者をだします。家族の中の愛する人を亡くすというのは、言葉で表すことのできないほど大きな悲しみです。この場合、イシマエル家にとっての大黒柱、父親の死は大きな悲しみをもたらしたことでしょう。「イシマエルの娘たちは、父を亡くしたため、また荒れ野の中の苦難のために非常に嘆き悲しんだ。」とニーファイは綴っています。そして、そのため、イシマエルの娘たちを筆頭にエルサレムに帰りたいと言い出します。レーマン、レムエルは、イシマエルの息子たちを煽動してニーファイを殺そうとします。しかし、主の声によって懲らしめられ、怒りをしずめ罪を悔い改めて、旅を続けることができました。


【ミニ情報:ネホムという所】
モルモン書インスティテュート『生徒用テキスト』, p.40から引用)

イエメン、マリブにある祭壇。ニーファイのネホムの記述に対応するNHMの銘がある。

「ネホム」はヘブライ語で、「慰め」という意味を持つと思われる。これは「悲しむ、嘆く」という意味の「ネホム」という動詞に由来する。アラビア半島に「ネホム」という地名があることを明らかにした考古学上の発見を報じる記事が『エンサイン誌』(Ensign)に掲載された。

「先ごろ,末日聖徒の調査団はアラビア半島南西端のイエメンにおいて、ある遺跡で、モルモン書に記されたリーハイの旅にまつわる地名が実在したことの証拠を発見した。ウォーレン・アストン,リン・ヒルトン、グレゴリー・ウィットが見つけた石の祭壇は、設置された時代が考古学の専門家によれば少なくとも紀元前700年までさかのぼる。この祭壇には、『ネホム』がリーハイの時代以前から半島に存在した実在の場所であることを確認する刻印がある。」(“News of the Church,”Ensign", 2001年2月号,p.79) 


(2022 FAIR Conferenceから引用:https://www.fairlatterdaysaints.org/answers/Possible_locations_for_Nahom)
 
質問:「なぜ『ネホム』がモルモン書の考古学的証拠になるのですか?
 書かれたヘブライ語には母音がないので、モルモン書の名前「ネホム」はヘブライ語で書くとNHMになります。これは名前と場所の重要な相関関係です。部族名として「NHM」という名前を含む、紀元前7世紀から6世紀にかけての祭壇碑文が3つ発見されています。部族名として "NHM "の名を含む、紀元前7世紀から6世紀にかけての祭壇碑文が3つ発見されている。これはリーハイの家族が同じ地域を旅していた時期とほぼ一致します。

Photo by Warren Aston. Effects by Book of Mormon Central.

S. Kent Brownは次のように述べている。
「ニーファイは、義父イシュマエルの埋葬地であるネホムの地名を残していることがあります。ニーファイは受動態の中で「ネホムと呼ばれていた場所」と書いていますが、これは現地の人々がその場所をすでに名付けていたことを明確に示しています。この地域がアラビア南部にあることは、ドイツの考古学チームがイエメンのマリブにある廃墟と化したバルアン神殿で発見した3つの石灰岩の祭壇に刻まれた銘文が、最近の『ジャーナル』誌に掲載されたことで証明されています。」(S. Kent Brown, "'The Place Which Was Called Nahom': New Light from Ancient Yemen," JBMS 8/1 (1999): 66-68; and Warren P. Aston, "Newly Found Altars from Nahom," JBMS 10/2 (2001): 56-61.)
 
また、Burkhard Vogtは“NHM”に関連して次のように語っている
「このような発見は、発掘者によって祭壇が彫られた一般的な年代である紀元前7世紀から6世紀にかけて、アラビアのその地域にNHMという部族名が存在したことを考古学的手段によって可能な限りしっかりと証明するものである。」(Burkhard Vogt, "Les temples de Ma'rib," in Y émen: au pays de la reine de Saba (Paris: Flammarion, 1997), 144; see also the preliminary report by Burkhard Vogt et al., "Arsh Bilqis"—Der Temple des Almaqah von Bar'an in Marib (Sana'a, Yemen, 2000).)
 
また、Terryl L. Givensは、祭壇の発見は「モルモン書の歴史性に対する最初の実際の考古学的証拠」に相当するとしている。(Terryl L. Givens, By the Hand of Mormon: The American Scripture That Launched a New World Religion (New York: Oxford Univ. Press, 2002), 120.)

 

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