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44_ニーファイの詩篇:2ニーファイ4:15-35

リーハイの死後、レーマンとレムエルが、ニーファイの語った「主の勧告のことで」ニーファイに腹を立てたこと(2ニーファイ4:13-14)続いて、ニーファイが兄たちの態度や行動に悩まされ、自分自身の弱さや罪にも心を痛めて、自分の心の思いを詩のように表現豊かな言葉で記録したことが書かれています。これは「ニーファイの詩編」とも呼ばれています。その中で、ニーファイは、そのような弱さや罪を克服する方法について述べています。ニーファイは、聖文を愛し、主から受けた祝福と強さに感謝していることも記しています。(2ニーファイ4:15-35参照)
 
ニーファイが受けた試練の多くは、兄たちの行動や態度の結果もたらされたものでした。また、ニーファイは自分自身の個人的な弱さのゆえにも苦悩していました。ですから、ニーファイの詩編の前半は、「惨めな人間」とか「肉のために苦悩し」とか「罪悪のために嘆く」「まとわりつく誘惑と罪」「うめき苦しむ」という言葉が続きます。でも、19節の後半の「わたしは、これまでに自分がだれに頼ってきたかを知っている」という言葉から確固とした口調に変わります。
 
それはどうしてでしょうか?
 
ニーファイは、自分が苦悩したり落胆したりしていたときに、イエス様のことやイエス様の深い慈しみについて思い起こすことができたからだと語っています。イエス様がこれまでにしてくださったことを思い起こし、感謝する能力があったおかげで、ニーファイは希望を抱き、より良い人になるための励ましを受けることができたのだと思います。わたしも何かの問題や悩みがあるとき、いつもイエス様が支えてくださること、助けてくださることを忘れないようにしています。そのために、十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老の次のような勧告をいつも心に留めています。

「例えば、朝の祈りの中で、自分の性格、行動、霊的な成長に関して、天の御父に相談する必要があるかもしれません。まず祝福に対して十分に感謝します。その次に、自分の力だけではどうすることもできない事柄に対して、理解する力、導き、助けを請い願います。例えば、祈りながら次のようにすることができます。
・ 最愛の人たちに、とげとげしい言葉や不適切な言葉を使ったときのことを思い起こす。
・ どうすべきか分かっていても、いつもそのとおりにできるわけではないことを認める。
・ 自分の弱さや、自分の中に『生まれながらの人』を捨てる努力が足りないことを悔やむ。
・ もっと完全に救い主のような生活をすると決意する。
・ 行いと性質を改善するためにもっと力を願い求める。」

このように祈ることは,一日の霊的な備えに欠かせません。そして,一日中,助けと導きを求めて心の中で祈り続けます。アルマも次のように勧めています。「あなたの思いを常に主に向けるようにしなさい。」(アルマ37:36)そのようにして一日を過ごすならば,とげとげしい言葉を使いたくなるような場面でもそうしない自分,怒りたくなるような場面でも怒らない自分に気づきます。天の助けと力に気づき,へりくだり,祈りがこたえられたことを認識します。そう認識している間でさえ,心の中で感謝の祈りをささげるのです。一日の終わりに,再びひざまずいて御父に報告をします。その日の出来事を振り返り,受けた祝福や助けに心から感謝を述べます。悔い改め,翌日よりよい行動を取り,よりよい人になる方法を,主の御霊の助けを受けて見つけます。だからこそ,夜の祈りは朝の祈りを土台としたものであり,朝の祈りの続きなのです。また,夜の祈りは翌朝の意義深い祈りへの備えでもあります。

(デビッド・A・ドナー「常に祈りなさい」『リアホナ』2008年11月号, p.41)

主との交わりを深めいつも覚えるために意義深い祈りをしたいと思います。
霊的な備えをする朝の祈り、助けと導きを求めて心の中で祈り続ける日中の祈り、1日を振り返り感謝と報告、悔い改めと御霊を受けて新たな方法を見つける夜の祈り


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