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子供はダイヤの原石ではない!

「子供はダイヤの原石」という言葉を聞いたことがありますが、たぶんどう磨くかで輝き方が変わるといったような意味合いだと思います。

ですが、その前に光り輝いている大人っているんですかね。

まるで大人がダイヤであるかのような表現だと思うのですが(そこまでは言ってないかもしれませんが)、私はダイヤのように輝いている大人に会ったことがないので子供を磨こうとは思わないです。

むしろ子供の行動を観察したり、感性を垣間見ることでこちらがブラッシュアップされることの方が多い気がします。

子供こそ光り輝くダイヤである

私は、子供は生まれた瞬間が一番光り輝いていて、そこから少しずつ社会にもまれ、輝きがなくなってくのが大人ではないかと考えています。

大人になるに従って輝きがなくなることは悪いことではありませんし、それが大人だと考えればいいことです。もしそれが現代の社会というならそうかもしれません。

ただ、キラキラ輝いている子供を、大人が自分の考えを子供に反映させようとすればするほど、本来子供が持っている素晴らしい輝きがどんどん消えてしまうような気がしてしまいます。

もちろん子供に対して、何もしないということはできませんが、その方法や接し方については少し考えてもいいかもしれません。

私も今は手のかかるとんでもない最強クラスの怪獣の育児中です。

私は「子供こそが光り輝くダイヤである」という考えがあるので、早いうちから自分達の考えを押しつけたりすることに少し抵抗があります。

見守ることは本当に本当に大変ですが、できるだけ彼の意思を尊重し、赴くまま行動させてあげたいと考えています。

しかしそれがいかに大変で難しいかは周りを見渡せば想像に難くないです。

今も記事を書いているすぐ近くに、赤ちゃんを連れた若いご夫婦が電車に乗っています。

優先スペースでゲームに夢中になっている人は一歩も譲らず、赤ちゃんが泣いているのをなんとかなだめようと2人で四苦八苦しているすぐ近くで、眉間にシワを寄せ若いご夫婦を睨みつける女性がいます。

こんな時、沸点の低い私は「クソしかいねーな」と急に本性が出てきます。

若いお2人も周りの視線が気になっているのか下を向いたまま、泣いている赤ん坊の声が少しでも小さくなるように2人で赤ん坊を包み、申し訳なさそうにあやしています。

こんな社会では訳の分からないルールを教え込む事が必要になってしまうのかもしれませんね。

最初に言った通り、子供が光り輝くダイヤだとしたらそれを大切に見守れる成熟した社会が必要なのではないかということです。

子供は泣いてなんぼ。それが本能。それを静かにさせようと周りが圧力かけてどうするんだとつくづく思います。

そういえば面白い取り組みをしている航空会社がありましたね。

飛行機内で赤ちゃんが泣いた分だけ搭乗者の料金が割引になるということで、みんなもっと泣けもっと泣けとなるわけです。

本来はそんなことをしなくてもいいような社会があればもっといいですが、難しいのならそういう取り組みもいいですね。

ですが我ら日本ではこんな話が話題になりました。

電車内でベビーカーをたため

なぜそんなことを言えるのか分かりませんし、それがどういう状況なのか分からないので何とも言えないのですが、それは議論するようなことなのでしょうか。

昔の日本には「子はかすがい」という概念がありました。今ももちろんありますが、その言葉の意味はだんだん薄れてしまっているように思います。

子供のおかげで夫婦の繋がりが切れずにいられると言った意味だったと思いますが、子供が人と人とのかすがいになるような社会がこれからの日本を良くするような気がします。

大人が作る社会ではなく、子供を見守ることで得られる優しい社会。

夢のようなことかもしれませんが、そんな社会になるといいなぁと心から思います。

子供はダイヤの原石ではなく、「子供こそダイヤである」と考えていると、意外としっくりくるような気がします。

少なくとも私はそう考えようと思っています。








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