みんなが持ってる「感覚」という、物差しについて。

【この記事は2019年1月のFacebookリライトです】

昨日、ムスメが入るという塾の先生と話して気がついた。

当たり前だけど、「感覚」「認識」って、人それぞれなんだよね。

先生

「ムスメさんの性格や傾向を教えてください」

わたし

「うーん、そうですね…

ムスメは見積もりが甘いところがあり、完成度5割以上で〝できる〟といいます。
おおむね3から5割までは〝普通〟、0から3割以下で〝できない、難しい〟という感覚だと思います。」

先生

「エッ!そうなんですか!8割以上を〝できる〟認識じゃないんですか!」

いやぁ、先生。
わたし(母)も〝できる〟認識は【8割】じゃなかったわ…

(わたしは7割程度でした)


この辺の認識というか感覚って、いろいろあるなぁ、と思う。

それは皆それぞれ違う物差しを持っているようなもの。

例えば、

日本人はよほど日常的に会話できるレベルでないと「英語はできません」と言う。

だけど他の国の人は、

「ニホンゴ?ハナセマース!コンニチハ!サヨナーラ!」
日本人がエェェ…!コミュニケーション無理やん…と思う程度でも〝できる〟感覚の人は多い。

言語以外でもそうだ。


社会に出て、「見積もりの甘さ」は失敗を招きやすいと学んだ。

だから見積もりの甘さ、イコール認識の甘さ、だとも思うけど、
この辺の感覚の違いが

「できる」って言ったじゃない!
ウソなの?

なんて話につながるようなら哀しい。

それは、単なる「つかってる物差しの違い」であって、その人の誠実さをあらわす訳じゃない。

「ニホンゴ、ハナセマース!」あの海外の感覚を、
「気軽に取り組む精神を見習いましょう!」と
勧めることだってある。

どちらが正しいとかじゃないんだと思う。

きっと、「今ここでは」こちらの物差しでいこうか、で済むのかもしれない。

わたしの話を聞いた塾の先生は、ひとこと

「いやぁ、おもしろそうですね!」

と言った。

どう工夫しようか楽しみだ、と。

わたしも、ムスメが新しい物差しを
取り入れるのか、たまに使うのか、全く使わないのか。

どう扱うか、楽しみにしている。

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