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幼さは見栄を片手に勝負事を避けてきた結果である

子どもと大人の境目はあまりない。とはいえ決定的な違いがある。それは、

自ら積み上げにいった経験

である。

これが、

  • 誰とセックスしようが

  • 何人子どもを作ろうが

幼いままでいるのか、それとも一人前の風格を持つ人になるのかの違いである。

当然これは「小さなこと」とあなたが決めつけていることから始めるしかないので「おとなりの一家団欒」を今スグできることは当然ない。

今さら断っておくが私は結婚はしたことがないし、子どももいない、そして今後これらのことはするつもりがないので、すべて想像である。

■アイスコーヒーと女子高生

本記事のきっかけになったのはイオンモールのイレブンカットで散髪を終えた帰りのことである。

最寄り駅までのバスから降りて、家の近くの停留所までのバスに乗り換えようとして、20分ほど時間があったのでコンビニでアイスコーヒーを飲もうとしたときのことである。

レジでアイスコーヒーを注文して会計を済ませ、コーヒーメーカーに行ったとき、そこに部活帰りであろう女子高生が4人いた。フラッペらしきものを持っておしゃべりをしていて、正直邪魔というか操作をしにくかった。

とはいえ、その女子高生は何も悪いことはしていない。

さて、ここでポイントになるのが私が「どいてください」と言わなかったことである。キツイなと思うのであれば「コーヒー入れます」でもよかったのである。

しかも今の中高生は20年前の彼らを違い話のとおりはいいので十分に通じる。

とはいえ、私がここでとった行動は手を前に伸ばすだけだった。

それこそ「コーヒー入れます」と一言いうだけだったのだ。

■経過と体験

どうして言わなかったのであろうか、

  • 目を合わせられないから?

  • キモイと笑われたくなかった?

  • 言い争いになると思った?

ともかく、怖かったからである。ともかく争いになるなら自分から避けようとしたのである。

始まりは幼稚園のときの運動会である。

風船割りのときに音に驚いて泣いて逃げたのである。

そうだ。たったの一歩でもいいから止まればよかったのである。

そこからはなんでも恰好がつかないと思ったら、避けることを選ぶようになった。

そう、タイトルのとおり見栄を片手に挑戦から逃げてきた結果なのである。

■これからどうする

関連記事の内容をただ実行するだけである。


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