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〜訪問看護師として想う日々のあれこれ。訪問看護師たねあかし〜

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長年、訪問看護師として働いてきた、私自身の仕事観、考え方、私を支えるものなどの話です。
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2018年12月の記事一覧

眠れない夜に〜

オンコール当番の夜。電話が鳴りました。 「夜分にすみません。父のことで相談です。どうしたら良いかわからなくて・・。」 電話口では、心配そうで、そして、夜に電話した事が申し訳なさそうな娘さんの声。 私は娘さんとのやり取りの後、今からうかがって様子を看させていただく事を提案しました。 「本当ですか!来ていただけるのなら、お願いします!」 娘さんの声が少し明るくなりました。 (うかがって、対処ができて、何とかなりますように) 私は内心ドキドキしながら、利用者さんのお宅へ車

くやし涙

訪問看護部門の中でも、あまり感情を表に出さず、冷静に淡々と仕事をこなすKさんが事務所に戻ってきたとき、珍しく涙をためていました。 どうやら悲しいのではなく、くやし涙のようです。 主治医の先生とこんなやり取りがあったようです。 彼女の受け持ちの利用者さんは微熱が続いており、経過観察していたのですが、血液検査の結果炎症反応が悪化していました。 ご家族も微熱が続いている事、検査結果が悪くなっている事、 「このままでは身体が弱ってしまうのではないか」と心配をされていました。

原付ライダー明日も行く!

今ではわたくし、原付に乗り訪問看護をする「原付ライダー」ですが、昔はフルフェイスのヘルメット、黒の革パンツ、ブーツ。テントと寝袋を持ち国内をツーリングする「250ccライダー」でした。行く先々で、風の感じや空気の匂いが変わるところがとても好きでした。 ずいぶん前、私はバイク走行中に車と衝突し、事故に遭遇し、全身打撲・頸椎捻挫・骨折2か所。1カ月の入院を余儀なくされました。2週間は仰臥位のみのベッド上安静。側臥位もダメ。ギャッジアップは食事の時のみ30度まで可能。という指示が

人が老いて人生を終えてゆく姿 〜ひいおばあちゃんのこと〜

モクレン(木蓮)の花が咲いているのを見かけると、ひいおばあちゃんのことを思い出します。 私が子どもの頃、祖祖母も一緒に暮らしていました。実家の離れに住んでいて、その離れの前の植え込みにモクレンの木がありました。春になると紫色の花を咲かせていました。 祖祖母はもう90才近かったので、身の回りの手伝いが必要で、祖母(実娘)が世話をしていました。物忘れや、思い違いも頻繁にあったように思います。食事をしたことを忘れる、お風呂の中で寝てしまう等は珍しいことではありませんでした。

訪問看護師。目指す時が始める時。

私はこの1~2年の間に、訪問看護ステーションで訪問看護師として勤務を希望される方の採用面談を担当させていただくようになりました。 最近は、学生実習で訪問看護実習がありますし、訪問看護の社会的必要性や、看護協会の推進活動などの後押しもあり、学生時代から訪問看護に興味を持たれる方や看護師として数年勤務の後、訪問看護を希望される等、20代の看護師さんと採用面談をさせていただく機会が増えました。 面談の際に 「まだ私には、早いかもしれません。」 「私に務まるのでしょうか?」 「ど

今の職場を辞めたいと思っている看護師1年目のあなたへ 〜手紙〜

先日採用の面談をさせていただいたあなたへ ********************************************* 先日は面談の機会ありがとうございました。 総合病院の病棟に勤務されてからの事や、訪問看護への想い等がお話しできて良かったです。 あと、希望されて現在の部署に配属され勤務したものの、中々上手くいっていないという点を含め、入職1年目で訪問看護への転職を考えておられることが個人的に気になっており、メールさせていただきました。 1時間ほどの面談

背中を押すということ

エレベーターを降りると、エレベーターホールの鏡に白衣姿の私が写っていました。 自分の姿を見ながら深呼吸して、アポなしで総婦長室に向かいました。 私は総婦長に向かって、 「私は訪問看護を目指してこの病院に就職しました。病院の取り決め通り、病棟経験も積みましたので、来季からは訪問看護科への配属をお願いします。そのためにこの病院に就職しましたので、それがかなわないなら、私は退職します。」と一気に喋りました。 総婦長は「あなたの気持ちはよくわかりました。」と一言。 私が総合