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「明日の風は、どこに吹く」

オチがあるわけでもない話。でもなぜか今、書きたい話。

高校生の時、学校の帰り道に友人"T君"が何気なく口にした言葉を、今でも時々思い出すことがある。

『なぁ、ケイ。人生っていうのは、成るように成るんだよ。だから、ただただ流れに身を任しておくのが大事なんだ』

夕暮れ時のオレンジが、T君の顔に降り注ぐそのシチュエーションに一瞬騙されそうになったがすぐ正気に戻り、"なんと説得力のない言葉なんだ!"と当時16歳の僕は思った。

というのもT君は、その数ヶ月前に高校を留年して2度目の高校1年生をやっていた。
今思うと留年など大した話ではないが、1年中同じ人間と過ごす高校生にとって留年というものは、とても大きな事件だ。

T君は、とても口がうまい人間だった。そしてとても面白かった。イメージでいうとハライチの岩井さんみたい。(なんとなくイメージできたら嬉しい)
頭の回転が早くて、毒舌で、でもその発言が芯をついてて自然とカリスマっぽい立ち位置にクラスの中でなっていくような。

僕は中1の時に彼と同じクラスになった。当時静岡のほどよく田舎に住んでいた僕にとって東京のいいとこ育ちのT君の存在は、かなり刺激が強かった。
というか、最初はすごく嫌いだった。でも最初の印象が悪い分、いいとこが見つかるとどんどん魅力的に見えてきて(恋愛みたいだ)、部活が同じこともあってか、いつのまにか僕らはすごく仲良くなっていった。

だがT君は中学2年生になってまもなく、学校に来なくなってしまった。
言ってみればクラスのカリスマ的存在だったT君が、なぜ学校に突然来なくなってしまったのか、当時の僕には全く理解できなかった。今思うと理解しようともしていなかったのかもしれない。

その後中学3年生になり再び彼は学校にくるようになった。それもまた急に。そして有り余るそのカリスマ性を発揮し、学校に来ていなかったことが嘘だったかのように再びクラスの中心人物になっていた。
学校に来て、みんなの中心にいる時のT君からは悲壮感は一ミリも感じられなかった。そのオーラに、最初はみんなどう接していいか分からなかったのだが、1ヶ月もするうちにそんなこと忘れてしまっているくらいだった。

だが、まただ。
高校1年生になると、学校にぱったり来なくなってしまった。なんの前触れもなく突然に。
僕らは、『気が向いたらまた学校こいよ〜』『大丈夫か〜?』などとメールをしていたが、またすぐに何事もなかったかのように学校に来るのだろうと、どこか安心していた。

結局彼は、高校1年生のほとんどを学校に来ないまま、留年してしまった。

そして僕は高校2年生。T君は2度目の高校1年生になった。
T君はまた学校に来始めたのだ。ここまでくると行動が意味不明すぎて、面白くなっていた。

その年の5月。学校帰りに最寄駅のラーメン屋さんに入ると、T君がいた。その隣の席には、見覚えのある顔、たしか一個下のサッカー部の後輩が座っていた。

T君『お〜ケイ、元気か〜』
僕『こっちのセリフだよ。一個下には馴染めた?』
T君『もう余裕よ。なぁ?』
隣の席の後輩『Tが一番馴染めてるんじゃね?お前面白いし』
僕『おー、ならよかった。。』

ついこないだまで、同級生だったカリスマのT君が、後輩にタメ口を使われていることに僕は衝撃を受けた。そしてそれを至極当たり前のように受け止め、会話を続けているT君の姿も衝撃だった。
今まで彼はとても強い人間だと思っていた。だからなぜ学校に来ないのか全く分からなかった。しかし、彼は自分の弱さを自分の体の外側に溢れさせ、ガスを抜くことがとても下手くそな不器用な人間なんだと、僕はその時はじめて気づいた。

ラーメン屋を出て、僕はT君にちょっと散歩しようといった。
その僕の提案を見越していたかのように、それとも全くこだわりがないからなのか、恐ろしく自然な間で『いいよ』と彼は言った。

黙って歩く2人。時間は5時過ぎくらいだった気がする。少しずつオレンジ色に空が変わっていく。
僕から散歩しようと言ったのに、彼に何を話しかければいいのか全然思い付かなかった。


信号が点滅していた。
僕はそのまま横断歩道を渡ろうと小走りしたが、彼は歩いたまま。
信号がギリギリのところで赤になった。
3本ほど白線を跨いでいた僕は、彼が立っているところまで戻る。
そして、僕が彼の横に戻ると、T君がつぶやいた。

『なぁ、ケイ。人生っていうのは、成るように成るんだよ。だから、ただただ流れに身を任しておくのが大事なんだ』

遠くの空を見ながら、彼はそう呟いた。

これまでの人生でいくつか忘れられない言葉がある。

部活の顧問の先生が、泣きじゃくる僕らにプレゼントしてくれた言葉。
大好きだった子にフラれた時の、心臓を直に突き刺してくるような言葉。
誰もが羨むような成功を収めた人格者の、とても平凡で、とても非凡な言葉。
両親からもらって、今もお守りのように心にしまっている言葉

だがなぜか、僕が一番思い出す言葉は、T君のこの言葉だ。

きっと意味がわからなかったんだと思う。当時も、今も。
でもその言葉には、確かな説得力があった。
お守りとも違う、道しるべにしてるわけでもない。でもなぜか思い出したくなる時がある言葉。

T君とは高校卒業以来、一度も会っていない。何をしているのかも知らない。

ここ数年で世界は大きく変わった。僕も少しばかり足踏みをしている。
成るようになるのならば、それはいつなんだ? そう思うことがほとんだ。

でも、なぜかまた今日、あの言葉を思い出した。
そして、意味は今も全くわからないけれど、少しわかった気がした。

彼は今も僕の中で生きている。


という僕の妄想





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