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All for 走馬灯

どうも、お久しぶりのケイです。

何度目かの”ケイの国の鎖国”から脱出したので、また投稿再開したいと思います。
ここ半年くらい何をしていたか、何を考えていたかは少しずつお話ししていければ嬉しいです。

突然ですが、人間という生き物は、”周囲の人間”5人に思考や言葉使いが似てくるとよく聞きます。確かに今までの人生振り返ってみて、その時々に仲良かった友人の喋り方・好きなテレビ番組・アーティストetc..などがいつの間にか似てきていることとかはよくあるし、その重なっている部分が日々増えていく感覚を、絆の深さとして感じていたりしました。

じゃあ”周囲の人間”とは一体、どれくらい近い存在のことを言うんでしょう。
例えば、上京して大学入学をするものの、リモート授業で友達もほぼできず、いたとしてもまだ挨拶程度の友人などしかいない大学生の子は、一体誰に似てくるのだろう?
例えば、一人で暮らしているご老人の方で、1週間で喋る人がスーパーのレジの定員さんとかしかいないと、誰に影響を受けるのだろう?

だいぶ昔に平野啓一郎さん著の『分人主義』を読んだ感想を投稿しました(...もう3年前になるのか!!!時の流れはあまりに早い)
僕の解釈でめちゃくちゃ簡単に説明すると下のような感じになります。

人のアイデンティティ=性格というのは1つではなく、
1.家族との自分が20%
2.友達との自分が15%
3.会社・学校での自分が30%
4.恋人との自分が15%
5.1人でいる時の自分が20%
などそれぞれ違う性格をいくつも持っていて、その集合体が自分
そして、”自分らしく生きる”ということは、自分が持ちたい顔と心地よいバランスを知った上で、チューニングすることだ。

例えば、『会社での仕事が多すぎてほとんどの時間が仕事になってしまって居心地が悪いから有給取って友達と沖縄行こう!!』みたいな時は、自分の中での”会社の自分”という分人の割合が大きすぎるから慌てて”友人との自分”の割合を増やしてるんだろうし、『すごく仲の良い友達のはずなのに短い期間で何回も会うとなぜかお腹いっぱいになって、早く家帰って部屋で一人で映画とかを見たくなるな〜』って時も、一緒です。人はみんな、日々その時々で自分が心地よいと思う分人の割合を無意識に調整しながら生きてるんだと思います。
もっというと、卒業や就職・転職などで最初戸惑うのも、強制的にその分人の割合バランスが変化するからで、慣れて調整するまで時間かかるんでしょう。
そして、コロナというのはその物凄く大きいバージョンみたいなもので、強制的に全人類が分人バランスを急に変化させられた事態だなと感じています。その変化が急で大きすぎたからみんな戸惑ってるんじゃないかと思いました。

冒頭に話した自分に影響を与えている”周囲の人間”。コロナによるライフスタイルの変化によって、その人達と自分とが引き剥がれることで、急に”一人でいる分人”が大きくなっている人が多いんじゃないでしょうか。
かくいう僕もその一人です。元々このような事態になる前から、比較的人と部屋で作業する時間が多いタイプでしたが、それが加速しました。
そもそも僕の中には「良いアイデアは自分と深く対話することで生まれるものだ!!人に影響されて思いつくものではない!!」 というかなり間違っているであろうストロングスタイルな考え方を持っていました笑

そんな”自分鎖国状態”が幸か不幸かいくらでもできてしまう状態になり、変化したこととして”人と話が合わなくなる”ことが増えました。正確に言うと、自分は普通に喋っているつもりなのに、人に理解されないことが増えました笑
そりゃそうですよね、自分だけの世界をどんどん強くしているので笑 自分だけの言語の訛りがどんどん強くなるイメージですかね笑
あと、気づいたのは意外と一人で深く対話するのも大事なんですけど、そもそものアイデアのきっかけとかって、誰かとの会話だったり、人と関わることで生まれてることが多いんですよね。(当たり前ーーーなことに今更気づく、、、)
そんなごくごく当たり前の結論に半年以上して気づいたので、鎖国を解除してどんどん発信して、素敵なきっかけを貰えたらと思ったし、誰かにとって自分もそうなりたいと思うようになりました。

同時に、先月誕生日を迎えたんですが、それを機になぜだかはよくわからないのですが、死を意識することがすごく増えました。
そして自分が死を目前にした枕元で、どういう人生だったら良い人生だと思うのかと考えた時に、ベタベタですが”誰かとの素敵な記憶”がたくさんあることなんじゃないかなーと、ガリガリ君を食べながら部屋で一人で考えていました(またしても一人で考え事をしてしまっている笑)
そう考えた時に、『一人でいる時間が多いと、素敵な記憶が全然増えていかないじゃん!!!あかん!!』と気づいてしまいました。

そんなこんなで、僕は、”僕と誰かの間における化学反応”をもっと楽しみたい・大切にしたい”と強く思うようになっていました。


そう思っていた今日、映画『キネマの神様』を友人と見に行きました。
若き頃に映画監督を志した一人の男の人生の昔と今を、菅田将暉さんと沢田研二さんが主演で演じた映画で、元々沢田研二さんのかわりに志村けんさんが主演予定だった作品です。
なるべく内容は言わないようにするんですが、おじいちゃんになった主人公は”映画監督という夢”をとっくの昔に捨てて塞ぎ込んだ暮らしをしていたのですが、あるきっかけで周りの人と一緒に昔途中で捨てた夢の続きを追い始めることによって、どんどんイキイキしていくんです。自分が最近感じていることとも重なって”当たり前だけど、人という生き物は、一人では生きていけないんだ”と改めて感じました。
同時に、人生の短さと美しさも、映画から強く感じました。誰しも若い日々がある。そしてどんなに若い人間もいずれは年老う。その途中でうまくいっくこともあるし、そうじゃないこともたくさん起こる、でも人生は倍速再生も、ゆっくり再生も、早送り・巻き戻しもできやしない。どんなに楽しくても必ず月日は流れるし、どんなに退屈で残酷でも日々は続く。そしていつかは必ず亡くなる。
そんな残酷すぎるくらいリアルで、2度と同じ日は来ないからこそ人生は美しい。そんなことを思わせてくれる映画でした。
そして僕の中でのきっかけもわからない謎の”死への意識””人生の短さへの意識”がより一層強くなりました笑


生きるということは、刻一刻と過去になっていく今を、誰かと分かち合うことで、素敵な記憶にするためにあるのかもしれない。
だから僕は改めて、僕と僕らの音楽を応援してくれている方と感情を分かち合うことで、みんなの人生が少しでも彩るような記憶の一部になりたいし、僕も僕の人生を素晴らしいものにするためにそんな記憶をたくさん作っていきたいです。
だからたとえ少し未熟であったとしても、それが最期に素敵な記憶になるなら良いと思って、色んな発信をしていこうと思います笑(超いい曲作るけどね!)

超回りくどいラブレターみたいになってしまいましたし、真面目で支離滅裂ですが、そんな大層なことを思わせてくれる映画ってすごい!!笑
どうしても文章だと真面目な感じになってしまうから、同じような内容のことを近いうちにラジオでも喋ってみたいと思います。

改めて心配くれたり、どうしてるかなーって少しでも考えてくれていた皆さんへ。申し訳なかったです。そしてありがとうございました。

あなたの、そして僕の走馬灯に残るような活動、していきまっせ。
夜明けは近いぜよ〜〜〜

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