つかう言葉変えると

感情も変わるかも。


とおもった。


すきだなあ、と思うひとが

わたしに

わたしを見兼ねて


「先輩、寂しそうにみえます」


なんとも泣けること言ってきた


泣ける


ああ見ててくれるひといるんや 此処に

ああ気にかけてくれるひといるんや 今の私に

やさしいんだなあこのひと


などおもった


寂しいならじぶんから入ろうとしろ
その場所をたのしめるかどうかで
たのしいを感じられる量、頻度、幸福度
あがるんかもしらん。


でもじぶんを変えたくないんかな
わがまま
かもしらんけど


そのままでいても

こう、気にかけくれるひといるんや


とおもった訳です


正直にいる、素直でいる

いや正直でしかいられん、素直になってまう

という仮面能力演技能力の欠如
と言ってもいい


それか


気づくやつが

マジで
繊細/気づく能力の高さ/私をすき(私もそのひとすき)


どれでもいいけど、
いやどれでもよくないけど、
(すきだったらうれしいよね。)


とりあえず「やさしい」の価値観がにてる


そのひとがしたことを「やさしい」

と思えたらうちらの相性いいと思う


とゆうことで


わたしはじぶんで
「孤独」「おなじ方向を目指すひとがいない」

などといまの自分を形容してたけど、


「寂しい」

という形容の仕方をおしえてもらって
知って、


ああじぶんも人間だ

ひとへの感情、情あったんや


その感情もともとあったんだろうけど


なかったものが

ぴょこっと産まれた気がした

みえてなかっただけだね多分


ありがとう言葉くれて


ありがとう感情くれて


じわぁ。





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