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ここ数日の思考バラエティーパック

夕飯に焼き鮭が食べたくなって、仕事終わりに立ち寄ったスーパー。お花屋さんのコーナーで目に留まったのは1700円のモンステラ。スーパーを去るとき、わたしはマチルダさながら植木鉢を抱えて歩いていた。
食べたいもの、やりたいこと、行きたいところがコロコロ変わる。焼き鮭が食べたいと思っていたのにモンステラを抱えてスーパーを出るくらい。
本当に気分家だよね、と周りに呆れられるのも仕方ない。
でも気分屋であればあるほど人生は楽しいと思っている。
ものは言い様だが、その時の自分にとって、最良の答えを導き出す、常に心躍る方を意識して生きているということ。「その瞬間に自分が一番したいことは何か」それが道標となる人生。なんてしあわせな話なんだと個人的には思っている。

ちいかわを初めて見た。
死ぬまでみないぞと小さなそれこそ、ちいかわな反骨精神を掲げていた私だが、何も知らずに作品を否定するのはちいかわをみる以前に私のポリシーに反するので見てから判断することにした。
結果、ラッコ先輩の魅力にまんまとやられてしまった。
ふさふさなのに、イケボ。討伐ランキングでは常に上位のしごできニキ。一服と言ってプリティーなパフェを食べる。可愛すぎる。あの毛の塊にふさふさと心をくすぐられてしまっている。(こんなの人気ランキング1位でしょ!!と思って調べてみたら6位だった。)
何も考えられずに見れると思っていたが、ハチワレから色々と考えさせられたり、ちいかわに共感するシーンが多かったり、気づいたらラッコ登場回まで一気見していた。忍たま乱太郎の方がよっぽど何も考えずにみられた。数分間にぎっしりと詰まった大人のためのちいかわだった。

推しがラジオでaikoを選曲していた。
推しと私がaikoで繋がっている、そんな感覚に陥り遅刻ギリギリの電車の中でニヤついてしまった。さっきまで好きなAV女優の話でデロデロしていたのに、あまりにも素直で純な選曲だったので音楽に対しては真っ直ぐなロックスターに惚れ直した朝だった。数日前にライブに足を運んだ余韻も大きかったが。時間がない朝に限って最高回を聴いてしまったことを後悔した。
そして彼らの音楽活動のスタンスにも改めて尊敬した。彼らが好きで音楽活動を続けているだけ。時代や流行りに揉まれることなく、キラキラしたビッグすぎる夢を語ることもなく、あくまでも自分たちがやりたいことを続けている、そんな彼らの姿勢や音楽にいつも気付かされる。時代が勝手に流れているだけ、そこに合わせて自分を変える必要などないのだ。
音楽を通して立ち戻る機会を与えてくれる彼らに、どこまでもついていきたいと思った。音楽を愛してくれてありがとう。

ここ数週間、仕事終わりに誰かと飲みにも行かず、休日も1人で家で過ごすことが多かった。こうなると言葉にしたい気持ちがフッと浮かび自分の中に溜まっては消えていく。帰り道に浮かんだ言葉も家に帰れば自分の中にはもう無くなっている。それがもったいなくて、消える前にこうしてnoteにまとめてみたが、なんだかあまりにもチープ。語彙力のなさなのか、そもそもの感覚なのか、あるいは両方なのか。わからないけれどどっちにしろ今の自分の表現はそれまでなのだ。

憧れのロックスターが飛ばす強靭で熱い言葉や、好きな小説家が紡ぐじわじわと染み込んでくる言葉を私も書き留めたい。
20数年生きただけでは難しいことはわかっているが、どこかの、誰かの、1日の最後にお風呂に入る気力やお皿を洗う気力、メイクを落としてベッドでちゃんとに寝る気力、そのくらいのほんの少しの力を生み出せる存在で、今はいたい。


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