愚かな予想屋の類型、あるいは
悪徳予想屋動向調査会名誉会長の元ホテです。いまは汚物にまみれた俗世を離れ、東北の山奥で自給自足の暮らしをしています。今朝はせせらぎの綺麗な水でお米を炊きました。
さて、SNSを見渡せば、至るところに【激アツ】の文字。先月は鬼の400万回収! 絶対にぶち当てます! 申し訳ありませんでした、ついてないです……。もう見飽きたことでしょう。
いい加減「この予想屋はどうなんですか?」という質問に嫌気がさしてきたので、今後はこの記事を以て回答に代えさせていただきたいと思います。私は小鳥の声を聴いたり薪を割ったりで忙しいのです。
この記事が、生まれて間もないギャンブラーの目に届くことを祈って。
さて、悪質な予想屋には確信犯と無自覚の二種類が存在します。もうこれだけは覚えて帰ってください。
確信犯に引っかかるのは、詐欺がどうとか以前の問題です。彼らに捏造の証拠を突きつけても無駄です。当たらないと苦情を申し立てても無意味です。彼らは高額な単発予想を初心者相手に売りつけ、いつかアカウントを消すだけです。彼らを殺したかったら、騙された上で裁判をするしかありません。それも現実的ではないので、おおかた泣き寝入りになります。
詐欺師がnoteを売り、全国各地の枕が濡れる。騙す側にも騙される側にも、つける薬はないのです。
一応、確信犯的詐欺師の類型を画像にして載せておきます。
このテンプレートとのレーベンシュタイン距離が小さければ、そのアカウントの記事は買わないでください。
さて、問題なのは、無自覚な悪徳予想屋たちです。
一見するとまともそうなアカウントが、なぜ悪徳になってしまうのか。これを説明するためには、まず私にとっての「悪徳」の定義を明確にしておかないといけません。
勘違いしてほしくないのですが、的中率や回収率などという曖昧なものは論ずるに値しません。「得られるもの」は金銭ではないです。金銭(収益)は付随的なものであり、サービスのメインではないからです。このあたりの話は以前書きました。
優れたプロセスや情報は、短期的な収支によってその価値を変えません。優れた思考は、未来永劫残る可能性があります。
そういった「本質的な価値」がない予想屋を、私は悪徳と呼んでいます。
では、的中率や回収率という尺度を用いないで、どうやって本質的な価値を見出せばいいのでしょうか。
一言で言えば、その予想屋に知性があるかどうかです。
勉強ができるとか、いい大学を出たとか、年収が高いとかではありません。そのアカウントは「ギャンブルの予想・情報」を販売しているんですよね。医者が医学に詳しいのと同じように、彼らはギャンブルについて精通しているわけです。本当に精通しているのか、それをここから見ていきましょう。
愚かな予想屋の類型紹介になると同時に、これはギャンブルの手引きでもあります。
ギャンブルのなんたるかを知らない人から予想や情報を買うのは愚かです。それを避けるためには、あなたが賢くなるしかないのです。
見えません。
ギャンブルの主目的は、的中させることではありません。未来を見通すことでもありません。「見えている」とは「私はバカです」という意味です。
こういう予想屋は、本当に見えていたのだと勘違いしているケースが大半です。当たったこと=自分の手柄、そう思い込んでいるのです。
いいですか。目の前のレースの的中は、漏れなくすべて偶然です。ありもしない未来予知能力を誇る前に、自分の愚かさを「見て」ください。
何がどう申し訳なかったのでしょうか。
的中が予想屋の手柄ではないのと同様に、不的中もおおむね予想屋の責任ではありません。
自分のとっている戦略に自信があるなら、申し訳ないという感情はミスをしたときしか湧いてこないです。ミスは誰にでもつきものなので、そうした場合に素直に謝るのは適切な振る舞いなのですが、それにしても「ミス」が多すぎやしませんか。たまに「軸が転覆してしまいました、申し訳ありません」というような面白い文言を見かけますが、彼は選手の親ですか?
彼らから漏れてくる謝罪の言葉は、つまるところ「次も買ってください」という意味です。自分のヒューマンエラーと仕方のない不的中の区別もついていない予想屋は、単なるバカなので、無視しましょう。
気持ちは分かります。3周2Mで抜かれたり、狙っていた選手がフライングしたり。落馬、落車……公営ギャンブルに不運はつきものです。
しかし、心を鬼にして言わせてもらうなら、あなたは今日ギャンブルを始めたのですか?
いくらでも経験してきたはずです。どのくらいの頻度でどの程度の不運に見舞われるか。それがどのくらいで幸運と釣り合っていくのか。これが「経験」なんです。「ついてない」という嘆きは、謙虚で愚かな彼らによる「僕は経験値が不足しています」という自己紹介と言えます。
抜かれて外れる舟券は、抜いて当たった舟券と表裏一体です。どうして前者は「不運」フォルダに格納されて、後者は「足読みバッチリ」になるんでしょうか。愚かさとは怖いものです。
彼らは「合成オッズ」というものの本分を理解していません。
ある一定期間の回収率は、1レースごとの「期待回収率」に分割され、それらはすべてのギャンブラーの生命線です。
高額配当が偉いわけでも、万舟で勝てるわけでもありません。たしかに派手さはありますよね。誘蛾灯に群がる虫を見れば分かるように、万舟ごときで釣られる消費者は多いです。だから彼らも、何の悪気もなく勝ち誇ってしまうんですよ。
どんな万舟でも、数打てばいくらでも拾えます。その戦略が間違っているというわけではありません。穴を狙い続けてエッジをとるのも大切です。では、その予想屋はいつも何点で、1レースあたり平均どのくらいのリターンですか。
万舟の本数を誇示するのは、そんな計算していないという愚かさの自己紹介です。繰り返しますが、その計算が生命線なんですよ。彼らは死んでいるわけです。R.I.P.
おさえたくなるのは何故でしょうか。当てておきたいからです。で、当てたいと思っている予想屋はギャンブルが下手です。
ギャンブルで到達したい目標は「x本当てる」ではなく「任意の期間で収支を浮かせる」です。前項の合成オッズの話も同じですが、とにかくそこを真剣に考えていない予想屋はレベルが低いと言えます。おさえが悪いと言っているのではなく、その「おさえ」でいくら資金が持っていかれるのかを本当に考えているんですか、ということです。
たとえば4.8倍の一番人気をおさえたら、仮にそれが元返しでも総投資の1/5が必要です。10,000円賭けるなら、そのうち2,000円以上をその「おさえ」に突っ込まないといけないんですよ。します?
してなさそう。そう思ったあなたはセンスがあります。こういう予想屋は自分で購入していないケースが多いです。これは推測ではなく、事例を複数知っています。なんで知っているのかって? 私に融資を依頼してきたからです。噴飯モノですね。
そうだね。
私もよく思いますよ。スタートくらい行けよとか、なんで捲り差さないんだよとか。でも、そうだったら当たっていたとは思いません。
人は、経験しなかった結果を想像するのが本当に苦手です。何億何兆、いやそれどころじゃないくらいの「未来」があり得た中で、結果はひとつしか見ることができない。だから、他の可能性については「都合よく」解釈してしまいます。
スタート行ったところで1Mミスっていたかもしれないし、捲り差して吹っ飛んだかもしれません。未練がましい言い訳はいいとして、最低でも「こうだったら当たっていた」なんていう無能な回顧だけは止めてみませんか。それ、本当に愚かに見えます。
ここにあげたのは、ギャンブルのことをよく知っていたら当然のように出てこない言葉ばかりです。
Twitterを眺めていると、予想購入者のほうがよっぽどギャンブルを分かっています。半端な予想屋はとにかくギャンブルを知らないです。
どうしてでしょう。
身銭切っていないからなんです。
今から22世紀も前に、セクストス・エンペイリコスは「語る者は実践すべきであり、実践する者だけが語るべきである」と説いています。
ここにあげ連ねた彼らは、身銭を切っていません。単純に「投票していない」というだけの話ではなく、あらゆるリスクを背負わずにやっている、ということです。
ギャンブルセンスとは、リスクに対する鋭い感性と、エッジをとり続ける冷徹な理性です。普段からリスクをとっていない軟弱な彼らに、高いセンスを求めても無駄なんです。
彼らの声に耳を傾ける必要は、基本的にはありません。しかし、「反面教師」としての存在価値があります。私はそういう観点から、よく彼らの予想を読んでいます。頭が悪いことを自己紹介し続けてくれているのですから、感謝しないといけませんね。今こそ反面教師たちの類型を眺めるべきときです。
あなたは、未来を見通さないでください。
あなたは、過度に後悔しないでください。
あなたは、不運を嘆かないでください。
あなたは、期待値に敏感でいてください。
あなたは、結果を冷静に見てください。
あなたは、リスクを負ってください。
あなたは、彼らより賢くあってください。
「明日は頑張ります!」とほざいている愚かな予想屋を尻目に、我々は明日"も"引き続き頑張りましょう。
それでは。
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