誰かの恋愛観≠自分の恋愛観
私にとって恋愛は芸術そのもの。
誰かの言った、デートしたり、キスしたり、手を繋いだり…それは俺の芸術ではない。
私の芸術でなければならない。
それは一般的には理想という。
私は理想が高いのだ。
誰かの恋愛観
恋愛には何処か芸術的な部分がある。
皆が羨み、幸せだと感じる、神秘的、摩訶不思議、未知、信頼、絆、愛、生命…
それから、壁ドン。
イケメン、美女との恋愛を胸をときめかせ、運命的にも両想い。
相手に欠点など1つもない。ありはしない。だって理想の相手だから。
イメージ戦略だ。
いつでも優しい。いつでも恋人の事を想う。逢いたい。触れたい。逢えないとそれが不安になり、逢って幸せになる。
人の心に希望が灯るというイメージ。一瞬で悩みが消え、幸せになるというイメージ。
それが誰かの恋愛観だ。
自分の恋愛観
私の恋愛の芸術には調和しかない。
二人で調和を保つ。
別にドキドキしたいとか思っていない訳ではない。
しかし、遥かに調和の方が大切なのだ。
お互いにお互いを想っているなら調和である。
片想いは調和ではない。
手を繋ぐだけなら行為である。調和ではない。
愛でもない。
調和とは、あらゆる要素がバランスを保ち、一定の状態に落ち着いている事を指す。
宇宙で太陽の周りに惑星が周り、地球は自転するから、朝、日が昇り、夕方日が落ちる。
調和そのものだ。
力のバランスで成り立っている。
これこそ私の芸術=恋愛なのだ。
私にとって、理想の相手と言うものはわからない。
何と調和を保つか、これに尽きる。
誰ではない、何か。
その相手とどんな状態で調和が保たれるかだ。
人によってその状態は変わる。エントロピーが増大した熱力学的安定の状態が変わってしまう。
安定という状態は誰しもがそこに辿り着く。
狭い、狭い…狭すぎる、この固定概念。
誰かの真似事?やだ。
ユニークでいたい。
オンリーワンでいたい。
もう、二人だとワンじゃなくなる。
ユニークな調和を保てる恋愛などあり得るのか?
終わり
著者:知らんがなBOAT