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【なんでもやりたい屋】#001

実施報告書 No.001
日付:2020/11/22(日)快晴
依頼者:久保寛子 様
場所:埼玉県さいたま市・旧大宮図書館
内容:作品撤去作業

「六甲ミーツアート2017」で一緒だった久保さんから依頼の連絡があったのは、Facebookに「なんでもやりたい屋」の情報を出して数時間後、早速の依頼がとても嬉しかった。久保さんは、埼玉国際芸術祭2020の出展作家であり今回はその作品の撤去作業の依頼だった。日にちも丁度空いていて二つ返事ができて尚嬉しかった。

当日は、10:30現地集合だったが、少し早めの9:30に大宮駅に着いた。最近11月とは思えない暖かい日々を過ごしていたので今日はしっかりと秋らしく冷え込んでいて清々しい。週末の夜を引きずった大宮の繁華街を抜けて Google map は、氷川神社方面を目指す。広い参道の中腹に旧大宮図書館はひっそりと佇んでいた。まだ時間に余裕があったので、裏手のベンチで読書をする(「魚の春夏秋冬」末広恭雄著)。久保さんから、到着が遅れ11:00 になります。との連絡あり。少し散歩でもしようかと思ったが、落ち葉拾いの参道を見ながら過ごす事にして、 図書館表の水道跡地に移動し読書の続き。しばらくして芸術祭キュレーターの戸塚さんらに不審がられてか「こんにちは~」と声を掛けられ、図書館の中へ。恥ずかしながら、まだ観ていなかった久保さんの作品へ案内して頂く。藁を混ぜた土と粘土で表面を覆った大きな女性像はいくつかのパーツに分れ、それらにはキャスターが付けられている。内部は、鉄とワイヤーメッシュの構造で空洞化され表面の土や粘土の重量感を軽やかに思わせていた。写真では作品を見ていたが実物の存在感に慄く。昨日の強風で移動したのか、手や足などが動いていた様 子で皆が直ぐに元の場所に身体の部位を戻していた。なぜ全てのパーツにキャスターが付いているのか疑問に思いながらしばらく無言で眺めていると、ポツリと誰かが「午前中の日差しの中で見たの初めてかも~」と呟いていた。その光が良いとか悪いとかではなく、沈黙を破るその一言にこの作品の強さが現れていたように感じた。 屋外作品の鑑賞に際して日差しを意識するのは、影や反射による意図しないところで起きる二次的な効果が多いと思う。しかし、昼間や夕暮れ、夜間に鑑賞したことのない 初見である僕でさえ思わず相槌をついてしまいそうになる程に、今日の秋晴れの優しくも鋭い日差しはこの作品を輝かせていたのかもしれない。
屋上へ登り、地域サポーターの方々や事務局の方らと久保さんの作品を眺めながら芸術祭の話をする。コロナでの延期話や内内の話など、芸術祭の終わり情緒ある時間が流れそのうち、久保さん一家が到着した。なんと今朝飛行機で広島から到着したばかりと言う。

久しぶりに再開した久保さんの脇に3歳になったという伊朔くんが居た。(3年前の六甲ではお腹の中に居た伊朔君は、大好きな電車の型番が言える程に成長していて感慨深い)そしてその隣に久保さんのパートナー、Chim↑pomメンバーの水野俊紀さんがニコニコと自己紹介して下さった。 久保さんは、到着したばかりではあるが直ぐに現場へ行き、搬出の手筈を考える。展覧会の終了と搬出という行 為がいつも儚く思うのは、今回の様に丁寧にインストールしてきた大掛かりで細密な作品であっても撤去せざるを得ないところにある。遠方から通う作家にとって、搬出日に現地に着いた途端に始まるその作業に、この場所に馴染んだ作品への余韻は無い。

藁を混ぜた土と粘土だけの薄い層を剥がす作業が始まる。1ヶ月以上屋外で風雨に耐えるよう計算された極限の薄さに覆われ、エッジの立った美しい土壁・土偶的なこの作品は会期中幾度となく鑑賞者に触る事を誘っていたであろう魅力がある。それを崩していく罪悪感は、久保さんの一蹴りで爽やかに打ち砕かれた。「こんな感じで、お願いします。」みんなの前で放ったその一蹴りで乾ききった土は秋の日差しにキラキラと舞いながら崩れて行く。躊躇なくやっちゃってください、という意図をみんなが感じ一 斉に解体が始まった。初めは、手のひらを使いながらワサワサと土を落としていたが、スコップで叩き、パイプで叩き、皆が要領を掴みながらあっという間に土が剥がれて行く。素材感からか鋳型を外す様な、遺跡の発掘作業の様な雰囲気がその場を包んでいた。傍らでは、久保さんが 運べる大きさまで鉄枠をグラインダーで切断している。 土落としの作業がひと段落し、ブルーシートの上には幾つもの土の山が築かれていた。彫刻の表面として覆われていた同じ物質とは思えないほどにボッタリと重みを感じる。
お昼休憩を挟んで、午後は、土嚢袋に入れた土と解体した鉄枠を1階に運ぶ作業だ。皆がそれぞれに作業を分担して持ち前の効率の良い方法を実践しながら動いている。例えば、水野さんは普段、物流のプロであり物の持ち方運び方を熟知している。大きく歪な物を持って二人がかりで階段を下る 場合お互いにどの場所を持てば良いのか相手にとっての気遣いと物への優しさを瞬時に発揮していた。AからBへ移動する時にただの移動にならない様に何かモノをついでに手に持つ所作は、幼少期畑仕事を手伝っていた時に身に染みた祖父母の所作を思い起こす。 休憩を挟みながら、黙々と作業し14:40頃、水野さんと伊朔くんは念願の大宮鉄道博物館へ向かった。(向かうタクシーで伊朔くんは爆睡して しまい、起きるのを待って閉園まで粘るとのこと。笑) 15:40頃全ての作業は終了し、1階フロアには解体されてコンパクトになった彫刻と大量の土嚢袋が綺麗に置かれた。明日はトラックに積み込んで広島に送るらしい。

今回の作業、特に辛かったのは階段の上り下りだったかもしれない。旧図書館という特性故、建物の構造は迷路の様で、3階の屋上から1階ま での往復は、コロナ対策のマスク着用と相まっていい運動になった。 (iphoneヘルスケアアプリ集計で21,669歩) 作業終了後、何も無くなった屋上で一緒に写真を撮らせていただいた。 緑色の防水コートにうっすら残る人型の土の跡を見ながら、昼間、水野さんの発した「孤独死の現場みたい」という痕跡の力強さが浮き立ち、 参道の色付いた木々から差し込む夕日に照らされた屋上に展覧会の余韻を感じられる瞬間だった。
16:00頃、久保さんはじめ皆さんとお別れをして、折角なので氷川神社へお参りをしてから帰ることにした。戸塚さんに近くにある有名なだんご屋さんを勧められたが、行列ができていたので泣く泣く諦め参道を歩く。広い歩行者専用の石畳の参道には夕方というのに沢山の参拝者が歩いている。本殿まで意外と距離があった。敷地内には七五三やお宮参の親子連れが多く賑やかで、入って正面に五穀豊穣のお供物が飾られていた。上空をカラスがおびただしい数徘徊し、誰かが「魔女の宅急便みたい」と言っていた。参拝を終え来た道を戻る。期待を裏切り、まだだんご屋は行列している。日中ほとんど吹いていなかった北風が大きく樹々を揺らし、朝落ち葉を掃ききった参道へ、また葉が積み重なって行く。

そう言えば、久保さん含め芸術祭の方々にこの作品のタイトルやコンセプトを聞き忘れてしまった。 帰りの電車で調べると、タイトルは「ハイヌウェレの彫像」。またお会いした時に聞いてみよう!
記念すべき一人目の依頼者となっていただいた久保寛子さんに改めてお礼申し上げます。

2020.11.23 古屋崇久

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