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NICO Touches the Wallsが私に魅せてくれた4年間

2019.11.15(Fri) 12:00

その時は突然訪れた。

昼休み、いつものようにTwitterを眺めていると、2ヶ月ぶりにNICOの公式Twitterが動いていた。なんの言葉もなくただ載せられた画像には

「このたび、僕たち4人はNICO Touches the Wallsを終了することにいたしました。」

「さあ。「壁」はなくなった!一度きりの人生、どこまでも行くよ!」

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6/5にリリースされたQUIZMASTERは間違いなく最高のアルバムだと思う。どこか今までのNICOの殻を破ったような、NICO本来の魅力が全て詰まったアルバムだと私は思う。そんなアルバムを作った後だから、この先にNICOが魅せてくれるであろう景色を待ちわびていた。リリース前のライブで聞いた曲たちが夏フェスを経てどんな風に進化していくのか、本当に楽しみだった。それなのに急に消息が途絶えてしまった。公式Twitterを頻繁に更新する人達ではないので、ゆっくり休むのであれば、そうと早く言ってくれればいいのに、そう思っていた。動きがない期間が長くなると、古くんのインスタにはコメントが殺到し、イイニコに関してもきっと多くのDMが届いたのだろう。イイニコについてちゃんと動いてるよ、とだけストーリーに載せてくれた。イイニコの日を迎えた今日特にアクションもなかったため、あれは古くんなりの優しい最後の嘘だったのだろうなと思う。アーティストがSNSを通して発信することが当たり前になった今、発言しなさすぎる3人に不安を持ってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。古くんがあまりにも優しいから、私たちと近い距離にいてくれた古くんに負担を図らずもかけてしまった。

そして11/15。「いい15年だった」という意味でのこの日の「終了」のアナウンスだったのだろうか。せめて一人ずつのメッセージが欲しかった。それだけでも納得する人はいるし、こんなにも後味の悪い終わり方にもならなかったと思う。逆に未練たらたらで終わられても困るけれど。

何度読み返しても、NICO Touches the Wallsが終了したという事実は変わらなかった。バンド名を変えるだけじゃないか?メンバーが増えたり新体制でやっていくのでは?そういった考えもよぎった。けれどその後の古くんのインスタで本当に「終了」なんだと思った。

QUIZMASTERがリリースされてからNICOばかり聴いていた。他の好きなバンドが新曲やアルバムを出しても、このアルバムに勝るものはなく、間違いなく2019年はNICOの年だと思っていた。それだけに突然の終了はとてもショックだった。しかし、終了発表後、様々のインタビュー雑誌のコメントを読み返すと、なんとなく腑に落ちるものがあったのも確かだった。NICO Touches the Wallsとして全てを出し切ることができたのがQUIZMASTERだったのかもしれない。

以前書いた趣味の話に関するnoteでも少し述べているが、私が初めてNICO Touches the Wallsを見たのは2015年のTresure05Xである。アルスラーン戦記を見ていたため、そのOPを担当しているバンドだという知識だけを持ちNICOのステージに足を運んだ。目当ての渦と渦を聞けて大満足であったが、2曲目に何故か聞き覚えがあった。何故だろうと不思議に思いながら1日を過ごしたのを覚えている。

その後家に帰り、NICO Touches the Wallsについて調べてみた。聞き覚えのあった曲は手をたたけという曲でLISMOのCMソングということだった。その映像は今どこを探しても見つけられない。

引き続きYou-Tubeで他の曲を探していると、また聞き覚えのある曲に出会った。カルピスのCMソングに採用されていた夏の大三角形である。なんだか不思議な縁だなあと思った。その後、妄想隊員AのPVで見事心を掴まれNICO Touches the Wallsのファンになった。

ツアーに初めて参加したのはNXA Tour-Electric Side-の浜松窓枠公演。新作EPをひっさげたツアーにも関わらず、なんの予習もせずに飛び込んだ。新曲の何もかもが全て新鮮で感動することができたから後悔はしていない。はじめてのワンマンはとても楽しかった。何でもっと早く行かなかったのか、どうしてもっと早くにNICOの存在を認識できなかったのかと悔やむほどのライブだった。そして、Acoustic Sideにも参加した。光村龍哉の本来の魅力が存分に詰まったものであった。通常時と違い、歌のうまさが如実に表れていた。息を呑む歌声に圧倒された。ダブルアンコールではマイクを通さずに雨のブルースを歌ってくれた。しっかり届く声であるのにどこか儚さ、寂しさ、孤独を感じた。この人の歌声に、この人たちの演奏についていきたいとこのツアーに参加して思った。

そして今年のTour MACHIGAISAGASHI'19。一番最初に披露された18?という曲は何とも言えない不思議な曲で、どこか異世界の曲のように感じであり、思わず鳥肌が立った。今でもあの瞬間のことは忘れられない。MVも独特で、恐怖すら感じられる何とも言えないものになっている。あれはみっちゃんの叫びでもあったのだろうか。

爆音視聴会だと思って聴いてください、と言って披露されたどの新曲も素晴らしいものだった。これほどまでに音源とライブでの表現が違い、圧倒されるライブは、どのバンドもまねをすることはできないと思った。

唯一無二の存在であったものが突然消えた今、かなり心がふわふわしている。自分を形成するピースの一部がなくなってしまった。このピースは何にも代えることは出来ないのに。新しいピースがこの先増えたとしても、彼らと同じピースは存在しないし、その穴は決して埋めることはできない。

今日の古くんのインスタで、古くんはイイニコの日である今日までNICOのこと、私たちファンを想っていてくれたことが分かった。ただそれだけのことではあるけれど、突然置いてけぼりにされたファンも少しは気持ちの整理が出来たと思う。この1週間ずっとNICOの終了を引きずりながら過ごしてきたけれど、少しずつ前を向いて進んでいきたい。たった4年間しか本気で追いかけて来なかった自分でさえも、NICOが自分においてどれだけ大切なものであったのかを強く痛感しているのに、10年以上も追いかけていたらかなり参ってしまうのも分かる。けれど、きっと光村龍哉は、NICOのメンバーは、また音楽の世界に戻ってきてくれると信じて待ってみませんか。

現在、終了報告のツイートには7万RT,12.8万いいねがついている。公式アカウントのフォロワーはは8.6万人しかいないのに、NICOというバンドを知っている人は少なくとも10万人もいる事実に悔しくなった。普段のツイートにも1万人以上のアクションが起こることがないのに。これだけの認知度があるのにも関わらずなぜアリーナツアーが常時行えなかったのだろうか。ソールドアウト出来るほどの実力があるはずなのにどうしてファンがついてこないのだろう。幕張でニコフェスを開くことができるくらいとても大きいバンドであり、仲間内からの光村龍哉の評価はかなり高いものであったのに。事務所の売り方が悪かったのか?ビジュアルで売り出せないと判断されたからだろうか?ビジュアル面でも全く問題がないと個人的には思うけれど。何はともあれ悔しかった。

タイアップ曲じゃなくても素晴らしい曲はたくさんあるのに、11/15にトレンド入りした曲はタイアップ曲ばかり。今メディアで取り上げられる曲もポップな曲や、トレンドの中心を担う女子高生などに響く恋愛ソングばかりである。日の目にあたらない素晴らしい曲はNICOに限らずたくさんあるのに、どうして評価されないのだろう。難しいなあ。その人の作る作品を必要としている人は絶対にいるのに。永遠に続くものはやっぱりないんだなあと改めて突きつけられた気がする。

世間の求めるものとNICOが作りたいもの、みっちゃんが表現したいもの、全てが上手くはまらなかったのだろうか。みっちゃんが書く歌詞はどこか闇や孤独を感じるものがある。

今年の浜松窓枠でのMCでみっちゃんは

「僕はギターを置いてステージを降りてしまったら、人に表現したり伝えるのが不器用な人間だと思う」

と言っていた。小学生のころから歌詞を書き続けた光村龍哉という男は、音楽を表現することに多分憑りつかれているし、NICOをやめたとしてもギターを置くことはないと思う。どうか、これからも歌詞を書いてどんな形でもいいから光村龍哉を感じることができる何かが世に出ればいいなと思う。

そして、古くん以外のメンバーの声が全く届かない今、終了の謎のすべては憶測になってしまう。けれど、どうか音楽をやめずに、いつかまた光村龍哉、古村大介、坂倉心悟、対馬祥太郎の4人で音を鳴らす時が来ることを願う。

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